ジョン・ラターを聴く

「ラター」というと、思い浮かぶのはフォーレのレクイエムの「ラター版」、そして自身のレクイエム、wそして数々の合唱曲である。
彼の音楽は親しみやすく、まるで「スクリーン・ミュージック」のような、聴きやすさを持っている。
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現代の作曲家にしては、かなり珍しい存在である。彼は1945年生まれというからまだ60歳になったばかり、その彼がなぜロマン派以前の語法によるところの多い音楽を作るのか、不思議であるが、彼は聖歌隊に長くいて、合唱指揮を経験。その後「ケンブルッジ・シンガーズ」を結成。わが国でもアマチュア合唱団が良く取り上げたことも有って、名前が知れることとなった。

小生は第2稿「ラター版」のフォーレのレクイエムはたいそう気に入っていて、最近ではよく聴く音盤となっているのだが、其れまでは「ラター」という音楽家を「パーセル」などと同時代の音楽家であると、誤解をしていたものだ。

レクイエムを聴くと随所に、グレゴリオ聖歌の引用らしき旋法の音階が見られ、合唱曲では、ブリテン諸島の民謡らしきメロディが聞こえてくる。
この辺りは、「ラター」が、ブリテン諸島に伝わるキャロルの編曲ワークによって、培われたところが大きいと思われる。

イングランド、スコットランド、アイルランド、そしてブルターニュには古いキャロルや民謡がまだ残っていて、19世紀末から20世紀初頭には、それらの収集活動が盛んに行われた。「セシル・シャープ」はその代表格である。

今日は「ラター」の弦楽合奏のための「組曲」を聴くことにした。
ここ最近イギリス近代音楽を好んで聞くようになってきたのだが、其れはまだ小生の未知の分野の作曲家が多いのと、彼らはほとんどいずれもが「伝統」を強く背負っていると思われるようなところが、音楽に表出していると感じられ、その多くが民謡やバラッド、オールド・フォークソングを取り込んでいるように思うからである。

「ラター」の「組曲」は以下の4曲からなり、弦楽器のみで演奏される29分余りの、耳辺りの非常によい曲。
対峙して聞く曲ではなく、紅茶でも飲みながら、焼きたてのバタークッキーでも食べながら聴く・・・そんな感じの曲想である。
それが気に入って、数日前に入手したその音盤を、すでに5回以上聞いた。
耳へのなじみ具合は、並み居る作曲家の中でもダントツで、イギリスの作曲家で比較すると、小生の好きな「ディーリアス」より、もっともっと大時代的。

「ライト・クラシック」あるいは「軽音楽」といえそうなところもある。しかしところどころに「仕掛け」ら敷物が見えるが、其れは「聴いてのお楽しみ」・・・ということにしておこう。

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クラシックファンからは余り評価されないかもしれないが、その代わり、恐らく聞く人を選ばない「ポピュラーミュージック」であるといえるだろう。
「ポピュラーであるが、流行歌ではない」ところに、「ラター」の「ラターらしい」ところがあるのかもしれない。それはやはり伝統と、現代を「美しく響くハーモニー」という一転で、融合した、其れが現代においては、逆説的に、稀有で、独特の音楽となっているように思えるからである。
1..さすらい
2.私の青の縁取りのオンネット
3.オォ、ウォリーヲォリー
4.アイロンを掛け捲る

3曲の「オォ、ウォリーウォリー」は有名な民謡、「The water is wide」として、アメリカでもカントリー、ポップス、フォークの歌い手が好んで取り上げる曲である。
「ピート・シーガー」「ボブ・ディラン」「ニルソン」「トム・パクストン」「ロジャー・マッギン」「キングストン・トリオ」「カーラ・ボノフ」「ジェームス・テイラー」「中川イサト」「白鳥英美子」などなどいろいろな人が歌い演奏している。

このような有名な民謡が「ラター」の編曲の手になると、哀愁とともに気品が生まれてきて、幾度聴いても飽きることのない、「したたかな作風」になっているのが憎いところである。

音盤はNAXOSの「ロイヤル・バレー・シンフォニア」というマイナー演奏団体ではあるが、表情豊かで、色彩感アリ、アンサンブルもうまく、良く鍛錬されたものだ。ヒョットすると、有名オケからの「トラ」なのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2006-09-05 08:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)