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「かえるの合唱」の謎・・・チャイコフスキー「小ロシア」を巡って

世の中には「似ている曲」は数多い。小生は幸いにも「絶対音感」は持ち合わせてないから、編曲されてようが調性を変えようが、テンポ・リズムを変えていようが、似たものを発見することが多い。かれこれ半世紀近く音楽を・・・余りジャンルにとらわれることなく聴いてきたこともあって、同じジャンルからでも異質のジャンルからでもその発見は我ながら多いものと思っている。

しかし最近調べ物をしている中、ネットで「気ままにクラシック」という番組の「どこ似て」というコーナーに、視聴者の投稿によって「似ている曲」の集成の存在を知った。さらにコメントをいただいた方から、どのくらい似ているかを評価する番組がFMに存在するのを知って、小生の得意分野(笑)も、大勢のクラシックファンの手には、到底かなうまいと、もう足を洗おうと思ったが、この日曜日の午後、たまたま車で外出した時に聞いた音楽番組で流れた音楽が、有る音楽に瓜二つだったので、おかしな虫がまた騒ぎ出してしまった。

どうせ誰かが指摘し、音楽番組でも取り上げられているには違いないが、あえて確認せずに、そのままブログに書き置くことにした。

番組ではチャイコフスキーの2番の交響曲・・・これは普段余り聞かない曲で「小ロシア」という名前の方に親和性があるという曲。車が4WDのディーゼルなので、聞き取れないところも多くあるのだが、音楽が最終楽章に差し掛かってすぐ、聴きなれた・・・どこかで聴いた音楽が耳に飛び込むことになった。

今の季節、外から聞こえるのは、ツクツクボウシだけとなりつつあるが、車が走っている郊外の今は借り入れのシーズンを迎えた「田んぼ」が「水田」となる春であれば、どこからともなく湧いて出てくる「かえる」が、梅雨があけるまで、盛んに聞かせてくれる歌。

そう「かえるの歌」・・・幼児期に輪唱で良く歌った正式には「かえるの合唱」・・「ドレミファミレド」のメロディが変奏され調整を変え、オーケストレーションを変化させながら延々と聞こえてくるではありませんか。

「かえるの合唱」の謎・・・チャイコフスキー「小ロシア」を巡って_d0063263_19415477.jpg「小ロシア」の終楽章はこんな曲だったっけ・・・と考えるほどこの曲を聴いてなかったことを恥じつつ、しかしまた新しい発見をしたような気持ちになり、家に帰って早速この曲を聴いてみた。

小生の音盤は購入を覚えてないほどの「マルケヴィッチ」と「LSO」のもの。
やはりあの「かえるの合唱」が聞こえる・・・・というより、これは明らかにこの童謡の作者がチャイコフスキーからパクッタモノとしか思えないほど似ているのである。

作曲者はと、調べると「文部省唱歌」、どうも文部省唱歌は物まねが上手・・・と思っていると、「ドイツ民謡」とある。
一方チャイコフスキーの「小ロシア」の解説文には「ウクライナ民謡」である・・・と記されていて、そうなると


★「かえるの合唱」がオリジナル曲なのか、それとも民謡の引用なのか
★引用であるとしたら、どちらの民謡からか
★ドイツそしてウクライナの民謡とされるが、それぞれは異なるものなのか、同じものなのか
★同じものならドイツとウクライナそれぞれにルーツが記されてるのはなぜだろう
しかし
★余りにも似過ぎてているから、「かえるの合唱」と「小ロシア」のメロディが偶然一致したとは到底思えない・・・それは中間を少し過ぎた箇所で、それまで「ドレミファミレド」の変奏と繰り返しだけだったのが、「ドレミファミレド・・・ミファソラソファミ」と、ハッキリ奏されることで、最早確信的となるから、「かえる」と「民謡」が偶然の産物とは到底思えない。

★したがってそのルーツはドイツかあるいはウクライナかということになる。
★すなわちチャイコフスキーが採取した民謡のメロディは、ウクライナであるかドイツであるかどちらが正しいのかという議論になることに、落ち着きを見ることになるのである。

音楽的にどちらであるか・・・といわれれば小生などはたぶんに「ドイツ」を感じる。
それはドイツ人がビールを飲みながら居酒屋で陽気に歌う時の歌であり、音楽のように、思えるからである。

またこのリズムどおりのものがオリジナルであれば、ドイツ語に親和性を感じるから(ウクライナ語は無視して)、ドイツ民謡の方に軍配が上がりそう・・・直感はそのように言う。

しかし決め付けるのは早いので、先ずは「ウクライナ」について調べると、「小ロシア」=「ウクライナ」「ルーシ」であることが判明した。

「小」とは、ギリシャからの距離が「ロシア」より近いことからつけられた一種の「あだ名」で、ギリシャ・ローマ・・・かつての神聖ローマ帝国から「大ロシア」より、かなり近い・・・都会とされたので、このような名前で呼ばれることとなったという。

かつては文化、経済の中心であったと思われるところが多分にあるところのようだ。
「かえるの合唱」の謎・・・チャイコフスキー「小ロシア」を巡って_d0063263_19363040.jpg


交響曲第2番ハ短調Op.17「小ロシア(Little Russian[Ukrainian])」 (1872/1873初演であるという情報から、引用した民謡はそれ以前のもの。
民謡の歴史を100~200年と仮定すると、その成立は17・8世紀中ごろとなり、

その頃の「ウクライナ」は、というと

1783年のクリミア汗国の併合などにより、ウクライナ東部と中央部はロシア帝国に併合され、西部はポーランドの支配を経た後、1772年のポーランド分割によって神聖ローマ帝国の領土となった。

19世紀に入ると、ロシア帝国の抑圧政策と全ヨーロッパで流行した民族主義の影響により、ウクライナ人の民族運動も盛んになった。

そしてそれ以前の「ウクライナ」の歴史は次のようである。

長年のポーランド支配を断ち切ることに成功したが、数年後の1654年にはモスクワ公国の大公の保護下に入る形で、ポーランドとモスクワ大公国によって分割され、独立はまたも失われることとなった。

以下のようなものを(実証のない)仮説としてたてて見た。

つまりかなり長い間「ポーランド」の支配下に置かれていて、・・・これは推測に過ぎないのだが、「ウクライナ」地方の農民たちの唄が、支配したポーランドに伝わり、「ポーランド分割」にて、「プロイセン」の支配を受けることになったときに、「プロイセン」≒「ドイツ」に伝わった。

つまり「かえるの合唱」のルーツは
「ウクライナ」→「ポーランド」→「プロイセン」と伝わり、やがて「ドイツ民謡」とされたのではないだろうか。

あるいはポーランド→ナチスドイツというルートも考えられないことはない。

「ウクライナ」は昔から叛ロシア、モスクワであった。

そして恐らく17世紀、18世紀の時代音楽文化後進国であったロシアよりは「ポーランド」あるいは「プロイセン」へとその音楽的財産は引き継がれていったものと思われる。

現在の「ウクライナ」に「かえるの合唱」の原曲が残ってないのは、恐らくはウクライナを構成していたのが、多民族国家であったこと、(もしかするとモンゴル帝国の末裔の可能性だってある)それが入れ替わり立ち代って現在の「ウクライナ共和国」があること。・・・そんな理由なのかもしれない。

現在では全人口の80%がウクライナ人である。他に少数派としてはロシア人、ベラルーシ人、モルドヴァ人、クリミア人、タタール人、ブルガリア人、ハンガリー人、ルーマニア人、ポーランド人、ユダヤ人であるがその昔は、民族あるいはその比率はもう少し違っていたのだと思われる。

「かえるの合唱」から「ウクライナ」の歴史へと発展するとは、思っても見なかったが、しばしのバーチャル旅行を楽しんだと思えば、・・・・・・・
そしてチャイコフスキーを聞くチャンスが出来たことを、ありがたいと思う残暑厳しい夏のある日のことでした。

by noanoa1970 | 2006-09-02 08:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by TTT at 2015-07-20 18:12 x
大変興味深く読ませていただきました。
というのは、私も「この曲似ている」が多く、まさに今回、「かえるの合唱」がその片割れになっていたからです。ただし、私が似ていると思ったのは、バッハのシンフォニア13番です。40秒ほど経った辺りが一番はっきりしています。リズムも複雑で、装飾音も多く、転調も繰り返されていますが、カノンになっています。そこで考えたのは、バッハは主題をドイツの民謡から採ってきたのではないかということです。おそらくは非常に単純なメロディ、リズムで繰り返される民謡を聞いたバッハが、最初は即興演奏し、最終的にこの形に完成させたのではないかと想像しています。
交響曲第2番ハ短調Op.17は今回初めて聞いたのですが、私も偶然以上の類似性を感じました。どのようなルートかは分かりませんが、比較的原形を保ったままのドイツ民謡をチャイコフスキーが耳にして、モチーフとして取り入れたというのは、いかにもありそうに思います。
Commented by noanoa1970 at 2015-07-21 20:13
コメントありがとうございます。最近FBがいそがしくてブログにてがまわってませんんでご返事が遅れましたことをお詫びいたします。バッハのご紹介の曲は記憶にないというかたぶん聞いてないと思いますので探して聞いてみようと思います。オナジメロディーでも聞く人によって想起する似た曲が違うのは面白いですね。ドヴォコン3楽章が童謡コガネムシに似てるというふいとは多いですが、小生には古賀正男の「青い背広」に似てるとしか思えません。