鐘よ鳴り響け・・・古関裕而と「鐘」

古関 裕而(こせき ゆうじ)、 1909年(明治42)8月11日~1989年(平成元)8月18日)を知らない人も(多分居ないと思うが)、彼の曲を一度や二度は聴いているはずである。関西人なら阪神タイガースの歌・・・六甲おろし、関東人なら早稲田大学の応援歌「紺碧の空」、読売巨人軍の応援歌「闘魂こめて」でおなじみのはずだ。

さらに若鷲の歌(予科練の歌)」「露営の歌」「ラバウル海軍航空隊」といった、戦時の歌も多く作っている。
晩年にはTVの音楽番組の審査員としても良く登場していたのを見た人も多いはず。

明治から平成と4つの時代を生きた作曲家であリ、残る作品は数多い。彼は音大を出てない在野の作曲家であったことはその作品からは想像することが難しいほど、こなれていて、20歳の時、舞踊曲『竹取物語』ほか4曲がイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し入賞した・・・というからその才能は海外からも認められたほどのものがあったのだろう。

そんな彼が戦後の復興期に「鐘」にちなむ曲を残している。

『フランチェスカの鐘』d0063263_10125357.jpg






『長崎の鐘』d0063263_10194580.jpg


『ニコライの鐘』
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そしてラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌
『とんがり帽子』d0063263_10221045.jpg
である。

後に出版した
『古関裕而―鐘よ鳴り響け』 ISBN 4820542575
『鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝』(主婦の友社、1980年) の再刊。
(古関正裕との共著) 『風景の調べ―古関裕而スケッチ集』 古関裕而、1988年。
のタイトルにも「鐘」という文字が見られるから、彼は「鐘」に特別の思い入れがあったのだろうと思われる。

さてこの「鐘の鳴る丘」そしてその主題歌『とんがり帽子』を、小生はなぜか良く覚えていて、(昭和22年7月から3年半にわたってNHKラジオから放送された)から、小生が生まれたとほぼ同時期に放送開始されたので、勿論リアルタイムではないが、それでも「川田正子」が歌う「とんがり帽子」は歌詞もメロディも暗記している。

ドラマの内容は知る由もないのだが、
GHQによる浮浪児救済キャンペーンとして始まったこの番組はなかなか好評でその後、4年間、790回にもおよぶ番組となったという。

『連続放送劇『鐘の鳴る丘』は、昭和22年7月から3年半にわたってNHKラジオから放送され、古関裕而作曲の主題歌「とんがり帽子」とともに大流行した。昭和23年には、松竹によって映画化され、全部で3本作られている。主人公である浮浪児たちの喜びや悲しみに、敗戦間もない日本中が涙し、国民の心に明日への大きな希望を育てた。
 『鐘の鳴る丘』の舞台となった孤児院は、戦中、岩谷堂に家族を疎開させていた菊田一夫が、疎開先の旅館から見た岩手県江刺市南町(奥州市江刺区南町)の岩谷堂町役場(現明治記念館)の建物をモチーフにしたと言われている。現在、明治記念館からは、午前7時と午後5時に「とんがり帽子」のメロディーが流れている。』との解説があった。

放送中は銭湯がカラになったという 、あの「君の名は」の「菊田一夫」の作、そして「古関 裕而」が主題歌を作り、この正月に亡くなられた「川田正子」さんが歌った「鐘の鳴る丘」である。

『ドラマは、戦争が終り、復員してきた若者・加賀美修平がガード下で浮浪児にカバンを奪われそうになるところから始まります。その浮浪児は隆太といいました。ここから、修平は、隆太やその仲間、修吉、ガンちゃん、クロ、みどりなどと交流するようになります。彼らの惨めな境遇を知った修平は、何とかしなければと考え、浮浪児たちも彼を慕いました。そして、修平の故郷が信州だったところから、孤児たちと力を合わせて信州の山あいに「少年の家」を作り、共同生活を始めるのです……。
 当時は、日本中の子どもたちが、このドラマを欠かさず聞いていました。子どもたちだけでありません。敗戦とそれに続く苦しい生活にうちひしがれていた大人たちも、このドラマによって、明日への希望を育てたといわれます。』と記述される。

鐘の鳴る丘(とんがり帽子)
作詞 菊田一夫・作曲 古関裕而 
唄 川田正子

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緑の丘の 赤い屋根
とんがり帽子の 時計台
鐘が鳴ります キンコンカン
メイメイ仔山羊(こやぎ)も 鳴いてます
風がそよそよ 丘の家
黄色いお窓は おいらの家よ

緑の丘の 麦畑
おいらが一人で いる時に
鐘が鳴ります キンコンカン
鳴る鳴る鐘は 父母(ちちはは)の
元気でいろよと いう声よ
口笛吹いて おいらは元気

とんがり帽子の 時計台
夜になったら 星が出る
鐘が鳴ります キンコンカン
おいらはかえる 屋根の下
父さん母さん いないけど
丘のあの窓 おいらの家よ

おやすみなさい 空の星
おやすみなさい 仲間たち
鐘が鳴ります キンコンカン
昨日にまさる 今日よりも
あしたはもっと しあわせに
みんな仲よく おやすみなさい


一人の青年と、孤児たちの共同生活・・・敗戦の苦しみや苦悩から明るい未来へと・・・日とりぽっちの身の上になりながらも、同じ境遇の全員が力をあわせて、逆境に耐えながら、何とか皆で頑張っていこうとひたむきに努力する姿が、多くの国民の共感を生んだことだろう。
この放送の辺りから10年間の間は「尋ね人の時間」といって、戦争で行方不明になった人の消息を連絡しあう番組があり、小生はリアルタイムでこれを聞いていたのを覚えている。

川田正子そして妹の「孝子」サンの歌う「さくらんぼ大将」も懐かしく、後の「新諸国物語」の笛吹き童子、ウテナの塔、紅孔雀、風雲黒潮丸、少年探偵団そしてNHK「1丁目1番地」、3つの歌などにつながっていく。
小生は、いつもラジオの前にしがみついている少年であった。あの頃がとても懐かしい。
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by noanoa1970 | 2006-08-24 21:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)