ブラームス4つのバラードより、エドヴァルトを巡って、父親殺しの犯人は誰か

ブラームスの2重唱、そしてピアノ曲「4つのバラード」に「エドヴァルド」という曲がある。
これはスコットランドの古い民話=オールドバラッドを「ヘルダー」が採取し、ドイツ語に訳したものである。
ブラームスは何を思ってか、この寓話に2種類の曲をつけた。

母親に、そそのかされて父親殺しをしてしまう子供「エドヴァルト=エドワード」と、計算づくで父親殺しをさせた母親との世にも恐ろしい物語であるが、母親は子供エドヴァルトを操っていたにも拘らず、物語では、子供を一方的に問い詰めていく。その時の凄さをブラームスはピアノ曲では、「運命の動機」を多用することによって、この物語に潜む、どす黒い深層を暴いて見せた。(と小生は解釈している)

以前このことはこのブログにも書いたが、今日は父親殺しの犯人像「エドヴァルト」とは何者かを探ってみようと思い立った。

参考になるものは、「ヘルダー」の採取したオールドバラッドの中の、不可思議な母親と子供の対話であり、「エドワード」という固有名詞である。

邦訳があるので参考にあげておくことにした。

エドヴァルト (ヘルダー訳のスコットランド民謡)

「お前の剣が、血にまみれてそれほどに赤いのはなぜ?
エドヴァルト、エドヴァルト!
お前の剣が、血にまみれてそれほどに赤いのはなぜ?
そんなに憂いに沈んで歩き回るのはなぜ─おお!」

「私の鷹を打ち殺したのです。
母上、母上!
鷹を打ち殺したのです。
それで心が塞ぐのです─おお!」

「お前の鷹の地は、それほど赤くはない、
エドヴァルト、エドヴァルト!
お前の血はそれほど赤くはない、
息子よ、つつみ匿さず言うのです!─おお!」

「私の葦毛を打ち殺したのです。
母上、母上!
葦毛を打ち殺したのです、
あれは気丈で忠実なやつでした─おお!」

「あの馬は年老いて、お前には用済みのはず、
エドヴァルト、エドヴァルト!
あの馬は年老いて、お前には用済みのはず、
ほかに苦しみの種があるのでしょう─おお!」

「私は父上を打ち殺したのです。
母上、母上!
父上を打ち殺したのです、
それでこんなに心が苛まれるのです!─おお!」

「ならばお前はこれからどうするつもりです?
エドヴァルト、エドヴァルト!
ならばお前はこれからどうするつもりです?
息子よ、言っておくれ!─おお!」

「私の足は安んじて大地にとどまってはおりません!
母上、母上!
私の足が安んじて大地にとどまろうはずがありません!
海のかなたへとさすらいの旅に出るつもりです─おお!」

「ならばお前の館や広間はどうなるのです?
エドヴァルト、エドヴァルト!
ならばお前の館や広間はどうなるのです?
今まではこんなにみごとで美しかったこの館は─おお!」

「ああ、館など、いつか崩れ、朽ち果ててしまうでしょう!
母上、母上!
館などは、いつか崩れ、朽ち果ててしまうでしょう!
私は二度と目にすることもないでしょう!─おお!」

「ならばお前の妻や子供はどうなるの?
エドヴァルト、エドヴァルト!
ならばお前の妻や子供はどうなるの、
お前が海のかなたに行ってしまったら?─おお!」

「世間は広いのです、物乞いをすればいいでしょう、
母上、母上!
世間は広いのです、物乞いをすればいいでしょう、
私は二度と会うこともないでしょう!─おお!」

「それではお前の母はどうなるのです?
エドヴァルト、エドヴァルト!
それではお前の母はどうなるのです?
息子よ、お言いなさい!─おお!」

「地獄ののろいがふりかかればいいのです、
母上、母上!
地獄ののろいがふりかかればいいのです。
だって、このように仕向けたのはあなたですから!」


いかがでしょう、母親がそそのかしたせいで、エドヴァルトが父親殺しをしたことが、最後に分かります。
それまでは、母親は「母親らしく」エドヴァルトの様子を気遣うようなところが見られるのだが、確信犯的な様相も窺え、「実に恐ろしいのは息子に父親殺しを仕向けた母親」だった、という当時の世間を騒がせたニュースであったろう。
恐らく瓦版の作者であり伝達者ブロードサイドたちによって、この話はブリテン諸島全土に、あるいは時代を経て、ヨーロッパにも流されたのではあるまいか。

小生はこの物語を「跡目相続、あるいは王権争い」で、スコットランド及びイングランドにまたがる歴史的な一こまを、イングランドとスコットランドの国境近くの人たちが、この事件を揶揄したものであるとの仮説を立ててみた。

最初に「エドヴァルト」=「エドワード」をブリテン諸島の王族から探すことにした。

イギリス及びその周辺の歴史上の王で有名なエドワードといえば、エドワード1世~8世まで候補は存在する。
そしてスコットランド国王にはジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートという長い名前の人もいる。

時間はかかるが、それぞれについて調べるほかはないが、ネットにある「ウイキペディア」に幸運にも該当が有った。

一番怪しいのはジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート1688年6月10日 - 1766年1月1日で、支持者であるジャコバイトによって、イングランド王ジェームズ3世およびスコットランド王ジェームズ8世と呼ばれる。・・・とあり、カトリックVSプロテスタント、イギリスVSスコットランドそしてフランス間の三つ巴の中に、身を置いた人物である。

プロテスタントへの「改宗拒否」によって皇位継承謙をなくしてしまった人物でもあるから、そしてオールドバラッドが良く取り上げる「王位継承」、「反プロテスタント」、「ステュアート朝支持」の「ジャコバイト」が強く支持した人であったから、この辺りの王位継承の歴史は一口では到底語れないものがあるが、候補の一人である。。

ジェームスの息子はチャールズ・エドワード・ステュアート(Charles Edward Louis John Casimir Silvester Maria Stuart、1720年12月31日-1788年1月31日)
しかし父親殺しに関係するものは全く見当たらない、良好な親子関係が見られるようであるから裏話などがなければ該当しないことが分かった。・・・でもやはり怪しい感じはする。

当てはまりそうなエドワードは、エドワード2世と3世の話で・・・・エドワード2世(Edward II, 1284年4月25日 - 1327年9月21日 在位1307年 - 1327年)中世イングランド随一の賢王と謳われた父とは似ても似つかぬ、稀代の愚王という刻印を押されている。
その混乱した不名誉なエドワード2世のキーワードは、男色相手の悪友ギャヴスタン、スコットランド、そして王妃イザベルである・・・と記される。

エドワード2世の暗愚ぶりと、友人ギャヴスタンをめぐる混乱は、スコットランドにとってはこの上ない僥倖であった。1314年、スコットランド中部のバノックバーンでロバート・ブルース率いるスコットランド軍に、将兵の8割以上が死傷または捕虜になるという大敗北を喫したのである。こうして、1323年、ついにエドワード2世は事実上の降伏である屈辱的な休戦条約を締結し、イングランドはスコットランドを失った。・・・要するに「ダメ国王」だったのである。

一方
エドワード2世の王妃イザベルは、フランス王フィリップ4世の娘であったが、友人の男ギャヴスタンを寵愛する愚昧な夫に当初から憎悪を抱いていた。
イザベルが表立って夫エドワードに反旗を翻したのは1322年、イザベルは、皇太子(後のエドワード3世)をイングランドからフランスに呼び寄せ、手元に確保すると、エドワード2世を廃位して息子を新国王に立てるという念願の策謀の実現に踏み出した。
イザベルは、愛人であるマーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーと国王廃位の作戦を練り上げ、1年半後の1326年、ついにイングランド進撃を開始した。
・・・・これは怪しい!!
・・・・つまり夫の男色、無能振りと、自分の愛人のために、自分の夫=国王を追い出し、息子のエドァード3世に王位を継承させたということが書かれている。(エドワード3世が傀儡政権で、ゆくゆく愛人に実権を握らせるつもりだったとすれば話の辻褄は符合してくる)

そして
息子エドワード3世, 1312-1377
イングランド最低の国王といわれるエドワード2世の息子として15歳で即位したエドワード3世は、隔世遺伝であるのか、祖父エドワード1世に似た賢明さを備えていたといわれる。

イザベルとエドワード2世の間に出来たの本当の子供でなく、イザベルの愛人マーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーとの間の子供だとも勘ぐれる。
しかし、15歳で即位したエドワード3世だが、彼の前に最初から立ちふさがっていた敵は、なにより実母イザベルとその愛人モーティマーであったという。・・・何かと口出しされたのであろうことは容易に推測可能だ。

折からある事件があって、エドワード3世は母親イザベルと、その愛人モーティマーを処刑するにいたり、失地回復・・・・スコットランドを再びイングランドの支配下に置くことに成功する。
スコットランドはフランスに助けを求め、もはやイングランド王家と血縁がなくなっていたフランス王フィリップ6世は、軍を進めるにいたり、イングランドの国王エドワード3世は、フランスに宣戦布告する。これが有名な百年戦争の始まりである。

この歴史的事実を読み解いていくと、「ヘルダー」が採取したスコティッシュバラッド「エドヴァルト」の父親殺しは、エドワード3世が母親イザベルにそそのかされて、愚か者の父親エドワード2世を暗殺。
母親の、夫殺しの手伝いをしてしまったエドワードが、母親とその愛人の陰謀に気づき、やがて二人を処刑するにいたる・・・・その辺りの悲劇を当時のスコットランドとイングランド、アイルランドを行ったりきたりしたブロードサイドたちが広めたお話であろう。・・・そんな推理をしてみた。

しかしやはり気になるのは、スコットランドのイングランドによる傀儡国王ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートだが、何せ彼の情報は凄く少ない。
またの機会にしておこう。
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by noanoa1970 | 2006-08-24 07:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)