夏に似合う音楽・・・Richard Georg Strauß「AUS ITALIEN]

思い出だしたのは、先日NHKのクラシック音楽関連番組で「小豆島」の風景と、それにまつわる音楽という内容の放送があった。しばらく見ていると画面は坪井栄の「二十四の瞳」ロケ地の小学校の分教場を映し、そして日本三大渓谷美の一つに数えられている「寒霞渓」を映した。
ロープウエイに乗っている場面では、イタリア民謡の「フニクリ・フミクラ」がBGMで使われていたので、次は多分R・シュトラウスの「あの曲」が演奏されるのでは・・・と思っていると、ずばり的中で、「AUS ITALIEN」が、しかもサヴァリッシュの指揮でN響が演奏した4楽章が流された。

作曲家でもある司会者は、フニクリ・フニクラは民謡でなく、登山列車会社のコマソンだといい、R・シュトラウスは民謡と勘違いして素材とした、そしてこの火山は「ヴェスヴィオ火山」で「ポンペイ」がこれによって滅んだと解説した。

小生はこのとき・・・もう2・3年前になるだろうか。民放の番組でポンペイ遺跡から見えるものやその時のローマ皇帝の対応、ポンペイ市民の様子などをヴァーチャル・リアルに再現していた番組を思い出していた。

印象的だったのは火山灰によってほぼ一瞬の間に埋もれた人物や動物などの市民生活の痕跡が、とてもリアルに再現されていたことであった。
これはCGの効果ともう一つが灰に埋もれた人物、動物などは、やがてその肉や骨は消滅するのだが、そのフォルムはそのまま空洞のようにして残っていて、発掘後そこに石膏を流して型を取った、かたどりしたものは、表情でさえ分かる凄くリアルなものであったから、とても印象に残っている。

ついいまし方までお酒を飲んで談笑していた痕跡、貴婦人らしき女性が旦那の留守中に奴隷を部屋に呼び寄せているところ、得有る人の屋敷では、使用人たちを真っ先に逃がし、自分たちは家の中に閉じこもって一緒に死んでいったと見られる痕跡、集団で逃げて海沿いの洞窟に逃げ込んだのはいいのだが風向きが変わって洞窟の中に高音の火砕流が押し寄せ、全員が死んだという痕跡・・・・そのようなものを語る、火山噴火の怖さを知るところとなった番組だった。

ローマ皇帝ティトゥスの救済援助への思案の様子やポンペイの市民を救助するために船で急行したが、煙に巻かれて死んだ博物学者の大プリニウスのこと、小プリニウスによる当時の記述のことなど歴史的な説明も興味がもてた。
BC1世紀のことである。

フニクリフニクラはポンペイを、滅亡させたヴェスヴィオ火山のことであり、民謡とされるものは実は「登山電車」に人が集まらないので人集めのためにと依頼して作らせたCMソングである。
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調べてみると
『1880年にベスビオ火山山頂まで観光客を運ぶ登山電車として、トーマス・クック旅行会社により敷設された「フニコラーレ(ケーブルカー)」は非常に急勾配であったため、オープン当初はほとんど利用客がいなかったそうです。そこで客集めのためにトーマスクック(左図)がイタリアの作曲家ルイジ・デンツァに作曲を依頼したのが、この「フニクリ・フニクラ」です。毎年9月初旬に行われるピエティグロッタの祭り」で始めて発表され人気になりました。このフニコラーレは1944年3月22日の大噴火が原因で廃止され、現在は2人用の腰掛けリフトが観光客を火口付近まで運んでいます』・・・・・・という記述が有った。

d0063263_10231825.jpgさて
「民謡」「幻想曲」などのつながりと「火山」と「灼熱の夏」の連想でイギリス音楽から一気に「ドイツ人」「イヒャルト・シュトラウス」の手を借りてでイタリアまで飛んできたわけです。

交響的幻想曲「イタリアから」は、
①カンパーニャにて
②ローマの廃墟にて
③ソレントの海岸にて
④ナポリ人の生活
以上の4楽章からなっていてその4楽章「ナポリ人の生活」にフニクリ・フニクラの旋律がそのまま使われています。
小さい頃から親しんだそのメロディがそのまま使われこの曲を聴いた時には、そのあっけらかんとした使い方にビックリ仰天したものでした。ここでのR・シュトラウスは余り彼流の「ひねり」を入れないで曲を作っていて、夏の明るいイタリアの日差しのように・・・能天気なところさえ感じられます。
全体を通して聴いても「交響詩」とは趣の違うシュトラウスを感じることが出来そうです。
晩年の宗教的な作品「4つの最後の歌」「メタモルフォーゼン」についで好きな曲となっている。

「民謡」とされるフニクリ・フニクラは作者もスポンサーも会ったわけだから今なら多分盗作などで「訴訟」へ発展する可能性もあるのだろうが、時代が良かったのか、お互いにメリットがあったのか、密約があったのか・・・・「版権」が確立してなかったのか。
とにかく文化・芸術的には「よき時代」であったことは間違いないことだろう。
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by noanoa1970 | 2006-08-11 10:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)