聖セバスチャンの殉教

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掲示板「猫」の古参でありドビュッシー」について、いや近代仏音楽を中心に学術的見地から、はてはサブカルチャー的見地から鋭い問いかけをしてくれた・・・一過言の持ち主「八さん」・・いや「熊さん」でなかった「熊蔵」さんが、彼のブログで小生の「アンゲルブレシュト」の「殉教」へのコメント要請に答えてくれる記事をアップしてくれた。

第3幕「邪悪な神々の教会議」の前奏曲のファンファーレはアンゲルブレシュトがどのように処理しているのだろうかなどと気になるところである。

彼の録音はほとんどが廃盤になっている現在、オークション辺りでしか入手不可能なのがまことに惜しいことだ。
「ローザンタール」盤を入手したのがやっとで、発売されたのは知ってはいたのだが、他の音盤に化けてしまったのが悔やまれる。
特に聞きたかったのが彼の初演になるところの「聖セバスチャンの殉教」。であった。

仕方がないので取り出したのが今を去る40年前1966年のこと、初めて購入したドビュッシーの音盤「アンセルメ」の「聖セバスチャンの殉教」である。
なぜドビュッシーの最初のレコードなのかというと、多分それは三島由紀夫とのかかわりがあったからだろうと記憶する。

彼の殉教への美学と諸作品そしてダヌンチオ、映画で見た「ロジェ・ヴァディム」の「血とバラ」、「稲垣足穂」、「澁澤龍彦」そして「サスペンスマガジン」という怪しい雑誌などの影響があったのだと思っているのだが、ともかく最初に入手したドビュッシーがアンセルメのこの音盤であった。

なんというレコードジャケットであろうか、それまでのLONDONあるいはDECCAのアンセルメのジャケットはほとんどがあのアンセルメのどうしようもない顔写真が大きく載せられていたのが、このレコードは「銀色のバックにと白と品の有る紫の文字」という彩色の取り合わせの素晴らしいジャケットであった。

「ジュサンヌ・ダンコ」、「ナンシー・ウー」という女性歌手の名前の珍しいことに驚いたのも忘れられない記憶である。そういえば「ザ・バンド」に「リック・ダンコ」というメンバーがいて彼は仏系カナダ人であるから、「ダンコ」という名前は、仏人の純粋な姓れなのであろう。

彼女たちのビブラートを掛けないで歌うところの中性的な声、旋法を多用したどこか日本的な香りもする音、常に遠くから何かが呼びかけているような音楽に、引き込まれそうになり、得体の知れない「恐怖」を感じたこともあったのでした。
その恐怖とは「神秘」・・・というよりは「耽美」といった方が良いのかもしれない。

カーミラとミラーカの女性吸血鬼の物語のを見た時の感覚と似たような・・・男女逆転の感覚を始めて理解することにもなったのでした。

ヴァディムはセバスチャンの殉教を見たに違いないと、確信した。

三島由紀夫の「セバスチャン」
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こちらはデビッド・ボウイーの「セバスチャン」・・・どちらもその雰囲気がありますね。
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by noanoa1970 | 2006-07-22 09:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Commented by dr-enkaizan at 2006-07-24 22:11
トピック恐縮です、さてアンセルメを引き合いにだしてのアンゲルの記事ですがこれも決して平凡な演奏ではなく、同一の地平にたつ演奏であるのは言うまでもありません。

アンセルメはここでセバスチャンの語りを省略しており、ドビュツシーの音楽にそれを語る雄弁があると判断してた節があります。

アンゲルブレシュトの演奏では自身がこの形態の発案者であるゆえに、語りとの呼応を吸えた音楽作りがあり、その点での違いが楽しめると思います。

ちなみに件のファンファーレはモノラルの方が整っており、ライヴの方は少々落ち着きがないアンサンブルの乱れがあるのが惜しまれます。

それから
>ビブラートを掛けないで歌うところの中性的な声

 その辺がアンゲルブレシュトではさらにアルカイックな風情を付け加えて表現されております。

件のエリゴーヌの歌の清楚さはともかくお勧めです。