「クラシック業界永仁の壺事件」

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ルーマニア生まれのピアニスト「ディヌ・リパッティ」は惜しくも33歳でこの世を去ってしまった天才ピアニストである。病を押しての「ブザンソンリサイタル」は「告別リサイタル」として世に知られており、ショパンのワルツは今でも聞く人の感動と涙を呼び起こす。

このレコードは1967年に京都の十字屋で入手したもの。それに先立つ66年に東芝エンジェルから初出されていたものである。「リパッティ」」のショパンの1番の協奏曲が発見されたという話は業界のニュースで少しだが話題になっていて、その頃十字屋で働いていた「出谷啓」氏の薦めも有って、ワルツ集と、このレコードを入手したのであった。

指揮者もオケも不明というところがいかにも古い、そして新発見されたであろうことを物語っていて、聞いてみると録音は古いながらも、そこには並大抵ではないと思われる「ショパン」が存在した。
しかも1949年5月録音と明確に記されているので、信憑性を確保しているように思わせる結果となっている。
レコードジャケットの解説は映画評論でも有名なO・T雄さんが、この演奏のよさを語っていたし、とても上品な演奏だったので、小生は「リパッティ」のピアノ協奏曲を疑うべきもなかった。

ところが1980年代の初めにイギリスの愛好家が、・・・この演奏は「チェルニー=ステファンスカ」のピアノ、「ヴァーツラフ・スメターチェク」指揮 「チェコフィル」 の演奏であるという指摘をし、このレコードの前に発売されていた「スプラフォン盤」と同一の録音であると言ったことで、業界は騒然となったという。(小生はこのことを知らなかった)

「リパッティ」の録音であるというものがEMIに持ち込まれ、当時EMIを牛耳っていたプロデューサーの「ウォルター・レッグ」が・・・ここは定かでなく伝承だが・・・念のためにリパッティ婦人にヒアリングしてもらった結果、間違いなく夫「ディヌ・リパッティ」の演奏であるというので、確信を持ってレコード化したという。
EMIとしては「リパッティ」の遺産の大きな「華」としたかったのであろう。

しかし聴き比べた結果、この演奏は「ステファンスカ」の演奏であることが判明し、EMIは賠償を強いられることになったということであった。「ステファンスカ」のオリジナル演奏は、「スプラフォン」ばかりでなくグラモフォンからも1957年に発売されている。

「クラシック音楽界の永仁の壺事件」と言ってもおかしくないほどの事件で、当時の評論家の中にはこの演奏を「ベタ誉め」したが、「ステファンスカ盤」を評価しなかった人や、この演奏のピアニズムは、明らかにリパッティらしい優雅で知的であるなどと書いておられる人、ピアノはよいがオケがいまいちという人など、いずれもこのピアノを賞賛したものがほとんど・・・というか全てであった。
小生も完全にリパッティの演奏と端から思って聞いていたから、音のメリハリが欲しい・・・・録音的に・・・だが、素晴らしいと感じていた一人であった。

この古い録音からハッキリとした演奏表現の違いに気づき、それを指摘できたた人が存在するのだろうかというと、小生は大いなる疑問を持たざるをえないのである。
今頃になって一部から当時の評論に対して「この違いが分からないのは可笑しい・・・」などの声もあるようだが、いかにプロでも所詮は人間の耳、・・・であるからまして今のようによい条件の、音で、特にピアノのタッチや音色が聞き取れるわけではなかったから、ある程度は仕方ないことであろう。

しかしである、このことは後に続くCDの時代になったのを良いことに、無理やり忘れ去られようとしている感がある。1980年代の初め頃の音楽情報誌に、このことに関しての「お詫び」の記事が掲載されていたことなどの記憶は小生にはない。・・・・というかつい最近までその事件のことすら知らなかったぐらいなのであった。

業界の関係者たちがそのまま黙って時効(そのようなものがあるのかどうか)が来るのをただ黙って待っているというのは、やはり失礼な態度であるというべきで、なんとも痛快だったのは、この指摘を素人である「熱心な音楽ファン」の手によってなされたということである。

多分このことを指摘した愛好家なる人は、ショパンの、あるいはリパッティのそしてステファンスカの録音を暗記できるくらい聞き込んでいたのではなかろうか。
さすればリパッティの演奏ではない・・・ことはなかなか分かりづらいにしても、ステファンスカと同一の演奏であるとの判断は何とかつきそうな気がする。

アマチュア愛好家の熱心さが、並み居るプロが気がつかないことを指摘したのは、彼が特に耳が良かったからではなく、好きな音楽を沢山の時間を費やして丁寧に聴いていたからという・・・必然の帰結なのである。

「あれ、この演奏どこかで同じようなものを聴いた記憶がある・・・という感性が起こり調べたら、やはりそうだった」ということなのだ。

そういう意味では、コンヴィチュニーのゲバントハウスそしてウイーン響のブルックナー4番が同一との指摘はかなり恣意的なところがある。聞き比べての結果というより、演奏時間やスペアナ分析が勝っての結論のような指摘だから、小生は一概に賛同できないところがある。今まで聞いた中では、小生の「感性」は別物といっているが、まだまだ聞き込みが足りないのかもしれない。

追記
この時代の東芝エンジェルのレコードは「赤く透明」のものがかなりあって、黒のビニールのものと混在していた。
うわさでは「赤いレコード」は音質が劣るとのことであり、経験では最初にこの赤いレコードに針を通すと、針に削りカスみたいなものが沢山付着した記憶がある。
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by noanoa1970 | 2006-06-21 18:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)