2つのバッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲」

この余りにも有名なバッハのバイオリン協奏曲については、ちょっとしたエピソードがある。
今から5年ほど前だったか、ある掲示板に、この曲で第1バイオリンと第2バイオリンを弾いているのは親子のうちのどちらがそうなのか?という質問があった。

その演奏は小生も気に入っていたオイストラッフ親子の共演「ユージン・グーセンス」指揮による「ロイヤルフィル」の古い録音でのことであった。
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このことはある程度小生も興味があり、ちょうど同じオイストラッフ親子の「F・コンヴィチュニー」と「ライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の演奏も聞いていたことから、幾度となく聞き比べした上で、グーセンス盤では「1番を、父ダヴィッド・オイストラフ」、「2番を息子のイーゴリ・オイストラッフ」であろうと言うレスを投稿した。資料を探してみたのだが、どこにもそれらしきものがないまま、自分の耳を頼りにした上でのことであった。

ダヴィッドは音程はかなり確かだが、時々シャープ気味に入るクセらしきものがある・・・・などと感性に理屈をつけても見た。

しかしこれには大きな誤算というか勘違いというか・・があって、後にに大きな問題に発展することになったのである。

というのは、

小生恥ずかしながら、イントロで第2バイオリン以下の低弦のバックが演奏され、そして出るのが、「2番のソロ」であり、第1バイオリンのバックで、次に出るのが「1番のソロ」であると思い込んでいたのである。
それは音楽関係の雑誌か何かで聞きかじった「最初は第2バイオリン・・・」というのを「2番のバイオリンのソロ」と完全に勘違いして思い込んでいたためであった。

つまり小生が
右=1番=父ダヴィッド・オイストラッフ
左=2番=息子イーゴリ・オイストラッフ
と思い込んでいたのは、
実は
右=2番=父ダヴィッド・オイストラッフ
左=1番=息子イーゴリ・オイストラッフ

以上のように演奏者は合っていたのだが、第1と第2を逆に思っていた・・・番号を間違えていた・・逆だったのである。これでは全く意見がかみ合うはずがなく、早速「反論」が寄せられた。
しかしお互いに1番と2番は周知のところとして(小生が逆に思っていた)議論しいたから、それは二人の演奏論や楽器の話、弾きかたの特徴までに発展した。

「1番を弾く息子の腕はまだ成熟度がない」という(正しい)意見に対して、小生は、1番を父オイストラッフと思っているから、そんなことはない、音のふくよかさや間のとり方は父ダヴィッド・オイストラッフのように思える、とまた反論。・・(・同じ人についての論評をしていたことになる)d0063263_142879.jpgおまけに小生はもう一つの録音を例に出して、「コンヴィチュニー盤ではグーセンス盤とは逆の役割」などと書いた。
・・・・正しい第1第2の位置づけの確認無しにである・・・・

今考えれば、お互いに正しいと目されることを延々いい有ったことになるのだが、小生の番号勘違いに気づかず、またその時はお互い確証がもてなかったのか、両者痛みわけとなった。反論者も、まさか小生が1番と2番を逆に思っているとはツイ思いもよらなかったことだろう。

あるときまたこの話が再燃した。その時初めて「ステレオ」盤のメリットを生かして左から聞こえるのが2番のイーゴリ・オイストラッフで、右が1番の父ダヴィッド・オイストラッフという確認をしたところ、以前と変わりなく「NO]という。
楽譜で確認したので確かなことだが、1番が最初に出るソロ、つまりこの場合左の息子「イーゴリ・オイストラッフ」で、2番が次にでる、父「ダヴィッド・オイストラッフ」であるというのだ。
(ここで初めて1番と2番の定義が明確になるのであった)

仰天するとともに小生の勘違いを大いに恥たが、しかし、1番と2番を逆にしてはいたが、オイストラッフ親子の演奏が1番か2番かは違ったが、どちらの演奏がそうなのか、ということについてはは違っていなかったことにホッとするとともに、「最初に出るのが1番次が2番」といういわば常識的なことを、逆に思い込んでいたことへの恥を知ることになってしまった。

ややこしいので整理すると
オイストラッフ親子のバイオリンによる「バッハの2つのバイオリンのための協奏曲BWV1043」には「ユージン・グーセンス盤」と「F・コンヴィチュニー盤」の2種類がある。

グーセンス盤では

第1を息子「イーゴリ」、2番を父「ダヴィッド」が演奏。・・・左~聞こえるのが息子で右が父。

コンヴィチュニー盤では逆で
第1を父「ダヴィッド」、2番を息子「イーゴリ」が担当(モノラルなので左右の区別なし)

録音風景を見たわけではないので100%正しいかは定かではないが、多分間違いないものと思う。残された数々の「ダヴィッド」の録音、数少ない「イーゴリ」のメンデルスゾーンやウエニヤフスキーの録音を聞いてそれがより確かなものとなったと、小生の感性がそういっている。

さて今回の問題の元凶は、「議論における重要な前提である「定義」を誤って解釈したこと。」であるが、多分日常生活においても、そのようなことは知らない間に熾きていそうな感じがする。常に気をつけておきたいことだ。

ちなみに親子饗宴のこの曲には「コーガン」親子の録音があり、最近では「諏訪内晶子」のCDのように一人二役・・・つまりアフレコで多重録音した物もある~話は寄りややこしくなってくる。
「コーガン」の場合もデータがないようだから推理してみると面白いかもしれない。
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by noanoa1970 | 2006-06-16 14:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)