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松本勝男さん・・・1

このところDRAC―OBとの関係が少しづつ増えてきたようだ。しかし気がつくと、小生のBLOGでは今までDRACの創設者の重要な一人である「松本勝男」さんについて語ったことはほんの少ししかないにことに気がついたので、、調べたことを忘れないうちに掲載しておこうと思う。
松本さんはS26年同志社大学卒業というから、1951年・・・ちょうどわれわれの世代より20年昔の大先輩である。
松本勝男さん・・・1_d0063263_1801976.jpg2000年に開催したOB会では元気な姿を見せてくれたのだが2003年4月11日、75歳で永眠された。その同じ8課には、西洋音楽と日本の伝統音楽の融合した創作活動で名のある「石井真木」さんが66歳でなくなられている。

小生は一度松本さんのお宅にお邪魔したことがあり、その時に「モーツァルトとハイドン」の音楽性の違いについて逆質問されてあわてた覚え、民族主義ロックの「アイアン・バタフライ」の「ガダ・ダヴィダ」が気に入っている話、日本レコード大賞が誰かはすでに決まっているという裏話、そしてDRACの機関紙に「よる年波には勝てはせぬ」などの、少しシニカルな文章を寄稿していただいたこと。そのくらいしか知らないし、同志社EVEのゲストとしての松本さんしか知らない・・・接点はほんのわずかしかなかった。

そこで今ネット上にある「松本勝男」さんに関するものをここに書き出しておこうと、検索を掛けてみることにした。
本日はその中の一つをご紹介しておくことにする。
そこには「1997年二分休符」とあり、どうやら読売新聞のコラムのことらしい。
中に「松本勝男」さんへのオマージュのような文が載っていた。

「芦屋通信」「クラシックハウス」までは読み取れるが、リンクもキャッシュも関連ページもないためこの記事のホームへとたどることは出来なかった。
どこかのホームページのリンクが切れてしまった断片のページだと思われるものに、下記の文章があったので、コピーさせていただいた。
作者は不明であるが、かなりの「松本」さんのファンのようだ。
大学の後輩であると、自ら言っておられるので、一見DRACのOBのようにも見えるのだが、定かではない。

<以下コピー>

『松本勝男さんは、僕が最も敬愛する音楽評論家である。読売新聞に掲載される批評やエッセイの、その独特の文体は、レトリック(修辞句)に満ちてユニークであり、目を流して読む人を、煙に巻く。平易な言葉を用いてあるから、裏の裏を読み解こうとするたくましい想像力なくしては、真意がさっぱりわからない。音楽評のときは、その指揮者がいかに聴衆の拍手を浴びたかなどという、スポーツの実況中継みたいなことは書かないし、新進のデビュー・リサイタルに技巧面の傷をうろ覚えの楽譜から拾うようなこともしない。

何よりも、出演者の名前と曲目の羅列で、与えられたスペースの半分を埋めてしまうようなことは絶対しない。彼の批評は、読者を選ぶ。18世紀ドイツ浪漫主義みたいな文章になることもあり、妙に村上春樹的現代風の比喩が織り込まれた評になることもあった。文意がつながらなくて、それが意図的に、幾重にも張り巡らせた甘い罠のように思えたとき、あれはなあ、校閲のやつが、途中ばっさり、間引きしよったんや、と聞いて、ひっくりかえる。

大学の先輩でもあり、昔から懇意にしていただいていることもあって、同氏の綴る文章を読むとき、つい、情が深く、人懐っこい、あの風貌が、その行間に見えてしまう。そこには必ず、「私」という松本勝男氏がいて、枯淡の悟りを開いた視点で、世のさまざまな軽重を計りながら書く。犬と熱帯魚を相手に、なぜか涙もろくなった時期もあったものだ。

感動の薄いコンサートばかり多い今時、ついに読売の紙面から、彼の音楽評が消えた。そのかわりに、ご無沙汰していても折々の心情が伺い知れて興味深いのは、彼の手になる同じ読売の、コラム「二分休符」である。バッハの音楽に神の恩寵を見て涙を流した時期の後、関西の音楽不況を絶望的に感じて開き直り、武満徹に継いで黛敏郎を亡くした寂しさを、私の世代が消えて行く! と書いた。最近は、厭世観に取り付かれてしまったような文章だ。

松本勝男が誰であるか知らない読者には、時代を愁う彼の声や、天涯孤独のやるせなさが、わかりにくいかもしれない。このところ、松本勝男氏の文章は、不特定多数の読者向けというよりも、親しい誰かへの、とても私的な手紙と受け取ったほうがいい。しかも、裏の裏を読むようなひねくれものだけが、彼の真意を汲み取れるのかもしれない。文章に謎をかけて、笑っている松本勝男氏の顔が、そらい・まさお氏の手になる
カットの似顔絵に投影されている。』

以下に解説文らしきものが添えられてあった。
毎日新聞に書かれていた渡辺佐(わたなべ・たすく)氏の文章と、読売の松本勝男氏の文章は、僕にとって範とすべきものだった。彼はいま、大阪芸大の大学院で若い学生たちと楽しく語らっているはずだが、すっかりご無沙汰してしまった。お元気でお過ごしだろうか


本日は以上にしておくが続きは次回に。

by noanoa1970 | 2006-06-02 18:22 | DRAC | Comments(2)

Commented by maidomaido at 2006-07-30 04:54 x
はじめまして、大阪在住のmaidomaidoと申します。松本勝男氏が亡くなられたことを知りませんでした。
私事で恐縮ですが、私が高校生の頃(1970年頃)のことですが、当時は天王寺図書館が天王寺公園の中にありました。そこでレコードの貸し出しをしていて、日曜日にはレコードコンサートが開かれていました。音楽評論家の先生による解説付きというもので、当初は、吉村一夫氏が多かったのですが、大野敬郎氏、出谷啓氏、そして、松本勝男氏もよく来られていました。後に、そのレコード室が、森之宮の青少年会館に移ってからも、私は、ほとんど毎週、参加していました。顔を覚えていただいてからは、直接お話を伺う機会も増え、時々、お手伝いもさせていただきました。と云っても、レコード盤に針を下ろすだけなのですが、先生の解説を交えながらですので、「この曲のこの部分」という指定されたところにうまく針を下ろす必要があり、レコード盤の溝の濃淡で曲のどの部分かを見極めるのが上手くなりました(笑)。
松本勝男氏は、モーツァルトのフィガロの結婚が大好きだと仰っておられたのを思い出します。ロックでは、ピンクフロイドがお気に入りだとも・・・。
Commented by noanoa1970 at 2006-07-30 13:19
maidomaido さんコメントどうもです。松本さんは小生たちの学生サークルの創始者の一人で、何かとお世話になった方でした。また出谷氏は十字屋でアルバイトをしていた時から知っていて、ドイツ仏蘭西音楽以外で影響を受けた人です。レコードコンサートをツウj来てという話ですが、あの頃は小生たちも良くレコードコンサートを開催したものでした。
貴君のBLOG先ほど拝見しましたが、かなり凝っておられるようですね。オーディオ、カメラそして音楽・・・小生もこのごろになってオー0ディオ機器の入れ替えから脱出できるように・・・最近のは分からない・・・なりました。
松本さんがピンクフロイドが好きだったとは・・・「アイアンバタフライ」の文章はサークルの機関紙に投稿いただいたと記憶します。

また遊びに行きますのでよろしくお願いいたします。

sawyer