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山吹の逸話


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山吹の黄色は見事である。この山吹に因む和歌として、醍醐天皇の皇子・中務卿「兼明親王」が詠んだ【七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞはかなしき】(後拾遺集)という歌がある。
さらに有名な話としては「太田道灌」の逸話がある。

道灌が鷹狩で遠出し、雨に合って一軒の家に入り、「蓑を貸していただきたい」と申し出ると、その家の女性は、お盆に乗せた山吹の枝を黙って差し出したという。雨が小止みになったかで道灌はその家を去って家に帰り、この不思議な話をすると、それは・・・・・
といって知恵者から先の和歌を教えられたという。

「道灌」はこの歌の存在を教えられるまで知らなかったというが、鄙にも稀な機知に富んだ高貴な女性との遭遇の話だから、自分より知見があると女性を讃えることに力を貸し、この逸話を真実味があり、奥が深い話にする必要から、それはどうやら「道灌」自身の創作話のように小生には思われる。

それによると山吹は花が散っても「実」をつけることがない・・・すなわち「実のない」=「蓑ない」という掛詞を背景に、さらに元歌の「山吹の歌」を共通の認識として利用して、、貧乏なあばら家で、「お貸しできる蓑もない」ということを暗に示したものだという。

この話を初めて聞いたとき小生は、なんと機知に富んだ、感性豊かな情景だろう、今は落ちぶれてはいるが、世が世であればと思わせるばかりに、この女性の美しさと高貴さが伝わってきたものだ。

小生の庭には「白山吹」があり、世の茶人はお茶花としてよく使うという。
黄色の山吹の艶やかさはなく、そちらかといえばやはり「ワビ、サビ」の花なのであろう。
質素だがとても愛らしい花であり、開花している時期は非常に短い。

しかし、この山吹は黄色の山吹と異なり、ちゃんと実をつけるのである。花が散ってしばらくすると地面に小さな黒い実が沢山落ちていて、その中のいくつかが芽を出して大きくなったものが数本ある。

和歌の引用の話と違うではないかとばかりに、調べてみると「シロヤマブキ」は、いわゆる山吹ではなく別種であルことが分かった。さらに黄色の山吹も一重と八重があり、実をつけないのは「八重の山吹」で「一重」のものは実をつけるということも分かった。

ということは「道灌」の逸話の山吹は「八重」であり、元歌の「七重八重花は咲けども・・・」とピタリと符合することになり、この逸話の植物学的根拠も明らか、単なる創作ではないように思われるのである。

さらに気になって元歌を紐解くと
下記のごとく歌を詠んだ背景らしき文章があるではないか。

小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける
・・・とある。

小倉山付近)の家に住んでいた頃、雨の降った日、来客が帰りに蓑を借して欲しい言われたので、山吹の枝を折って持っていってもらったことがある。その方は不思議そうに帰って行き、それから何日か後にここに来た時に、あのときの「山吹」の意味が納得できなかった、と言ったので、その返事としてこの歌を届けた。
・・・という意味である。

七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき

何だ!!「道灌」の逸話はこの元歌の逸話をほんの少しだけ編曲したものに過ぎないことが分かってしまった。俗に言う「本歌取りの「歌」でなく「逸話」であることがハッキリと分かってしまい少しガッカリさせられてしまった。

どうやら「道灌」の逸話は、本人によるものなのか、他人なのかは分からないが、全て作り話の可能性があような気がしてならない。

by noanoa1970 | 2006-04-24 14:01 | 季節の栞 | Comments(0)