修学院の家内の実家のタイサンボクの花が咲いた。
ブログを初めて間もないころ、DRAC(同志社大学レコード音研)の大先輩にあたる松本勝男さんがCCD(混声合唱団)在籍中に作曲した「泰山木の花」という曲の楽譜をサークルBOXで発見したという、ある方のブログを見つけ、松本さん、どのような曲を書いたのだろうと気になっていたことがあったが、其のことをすっかり忘れていたのを、昨日花を見つけて思い出した。
それで早速発見した方にメールを差し上げると、ご返事を即刻頂いた。
まずは作詞者の息子さんにあたられる方のブログに記載されているものを引用させていただいた。どうやら花や植物がお好きらしい。
コメントができないようなので、無断借用になりました。 引用
タイサンボク(泰山木)とは、という説明は、このさい省略させていただき、狙いの誌の一部が紹介されてるので、そこから。
「露のはれまのひといこい/月の天使の白たえか/天津おとめの羽衣か/れいこうあたりにふくいくと/泰山木の花咲きぬ 散りてはかなき人の世の/人のさだめを思いつつ/あいのたつきはつれづれに/れいこうあたりにふくいくと/泰山木の花よせぬ」。
古めかしい歌詞ですが、これは「番傘」の川柳作家でもあった、私の亡父による「泰山木の歌」。
松本勝男氏の曲がつき、同志社大学グリー・クラブによって歌われました。
父が71歳で没して43年、私も同じ年になりました。
以上が、小生がメールした方からの作詞者の情報です。
松本勝男さんの「泰山木の花」の発見をブログに書かれ方からの情報は以下の様なものでした。
偶然にも法学部政治学科の大先輩に当たる方でした。
・譜面は「松本勝男作曲」とだけあるので、松本氏は「旋律だけ」ではなく、「男声四部合唱曲」として作曲されたものと思われます。
・指揮して当時の同志社グリークラブに歌わせた指揮者は、1954年に3年だった澁谷昭彦氏(後に経済学部教授、現在もお元気で教会等で活動中)、その時1回だけで、その後演奏記録がありません。
・澁谷さん以降の指揮者さえ、これを同志社グリークラブのレパートリーと認識していたかどうか疑問です。というより曲の存在を「知らない」と思います。
・同志社グリークラブ部報S28年11月号にこの詩が掲載され、この詩がグリークラブにより歌われるのを死ぬまでに一度でよいから聴きたいと切望しておられる旨の記述があるそうです。
・八木氏は故人となられましたが、ご令息のブログがあり、この詩が掲載されています。
新情報がありました。
・松本氏は同志社グリークラブに在籍はしておられたものの、才人の常で、「在籍した」にとどまった模様。GleeMenとしての活動は記録にありませんでした。
・このほか唯一、1949.9.25栄光館「同志社グリークラブ創立45周年演奏会」に「松本勝男作曲・狐のわざ」という曲を歌ったことが記録されていますが、譜面は未見です。
情報提供していただいた方は、楽譜を公開するのを逡巡されておられたようですが、意を決して小生の要望を叶えていただきました。
小生の記事の誤謬もご指摘くださいました。
・貴信中いくつか誤認(失礼)があるので・・
①松本氏のころにCCDが出来たのは間違いありませんが、CCDには氏の伝承が全くありません。同志社グリークラブの常任指揮者だった森本芳雄先生が同志社創立記念日に同志社グリークラブと同志社女専クワイアで新島襄作詩大中寅二作曲「庭上の一寒梅」を歌うため集合させ、それがCCD発足の引き金になったと聞いています。
(前回のDRAC-OB会で配布された資料の中に、森本芳雄氏が指揮するCCDの演奏を録音したことが記されてますので、松本氏と森本氏は懇意だったと思われます。松本氏がグリー在籍中、女子と一緒い歌いたいと願い・・・諸先輩からの伝聞、相談した相手が森本さんだった可能性もあると思います)
②私は3年だけでなく4年もCCDを振っていました。当時は学生が振るのが同志社では常識でした。(了解いたしました)
☆ところで私のブログを引用されておられますが、当該年度分はプロバイダーのトラブルで全部消えており、私の所では見ることが出来ません。どこかに残訣が見つかれば、と思っています。