病院の怪
皆様方には、2度合計8ヶ月に及ぶ入院中大変お世話になりました。私が今ここにこうして元気でいられるのも、皆様、医師の先生方、看護師の皆様のおかげです。感謝の思いで今もいっぱいです。去年2016年3月の退院ですから、もうすぐ一年になり、現在は「くわな共立クリニック」で5年半のPDCAを経て血液透析を受けています。当初は、入院中に筋肉や皮下脂肪が減少したことで、体重が15kg減少し、基礎体重:DWが合ってないようで、水引量が多く透析中に血圧が80まで下がることがありましたが、1年が経過し、基礎体重も調整して頂き、結果血圧も安定し血圧変化のパターンが出来上がったようで安定した透析生活をもくれるようになりました。今週から、透析マシンがオンラインに変わりましたので、その効果が楽しみです。市立四日市病院は、初めて入院したときには、引き継ぎのコミュニケーションがうまくいかないようで、トラブルもありましたが、看護師長以下皆さんの努力と誠意、そして何よりも患者のためにという気概が効果を呼び、以前経験したようなとがほとんど無くなったのは、公立の病院では画期的なことだと思います。こうした患者の目で見える改善ができることは称賛に値するものなんです。私の営業社員教育や新人教育の経験からアドバイスするとすれば、OJTに頼りりすぎないということです。OJT(会社では同行が主です)は大切な基本ですが、問題点があります。それは新人や経験の浅い人たちが、OJTを指導する人を超えられないということなんです。そして看護師さんに不可欠な大切で重要な要素、観察力、ファクトファインディング力、さらに推察力推理力つまり、次の一手が発揮できる力を養い補うには、それなりの方法を取る必要があり、それにはテーマを決めてのブレーンストーミングが効果的です。少人数で集まって、ワイガヤを演るうちに、「気づき」が生まれ、OJTでの技術習得とともに、応用力に優れた人が育つはずです。QOLという言葉がありますが、入院患者は病棟のベッドにいる限り、QOLHなのです,つまりは QUALITY OF LIFE→QUALITY OF LIFE IN HOSPITALという新しい認識が必要なのですが、最初の入院の時から比較して観察すると、改善効果は非常に高いものが有ると思われ、これは立派なことです。日々忙しいので、大変ですが、できれば新人や慣れてない人には、週い時間程度のテーマ別ミーティングを実施するのが良いと思います。感謝と、お礼、そして陣中見舞いを兼ねて、心ばかりの差し入れをしようと思い立ち、以前から送っていただいてる、美味しい愛媛のミカン類のバラエティーを、皆さんに食べていただきたいと、取り寄せました。ちょっと珍しいみかんが入ってるはずです。休憩時間にでも食後のデザートでも、皆さんで分けて召し上がってください。子供さんのいる方は、変わった形と味のものも有るはずですから、おみやげにしていただいても喜ばれると思います。以下の文賞は、入院中に見た幻覚、夢、などの不思議体験を忘れないように書いてみたものです。不思議な話ではありますが、今となっては笑い話なので、ご笑読いただければ幸いです。桑名市在住 征矢野 治憲幻覚で見た病院の「怪」これは、私が肺炎になって、合計8ヶ月入院した2度めの3ヶ月間のこと。時として意識がぼんやりしたり、譫妄障害も有ったようで、其の時にこの世とは思えない夢を見ていて、其の内容は1年近く時を経ても、なお頭のなかに鮮明に有る。様々な非現実的経験の中、今もなお記憶にあることの1つが柴犬のミニチュアのことだ。病院内に寝泊まりしている旅芸人らしき一行の主宰の女性が、見世物にするためなのか、柴犬のミニチュアを7匹自分の手で作って飼っていた。ある日のこと、その柴犬が3匹病院を抜け出したというので、小生はベッドに寝たままで探索に出かけることにしたが、心配だから私も行くといって看護師の一人Nさんが同行してくれることになり、ベッドの周りに立っている4人の白装束の男が同行手助けしてくれることとなった。(全身白装束で顔も見えない4人の男のこと)彼らは、昼間は何処かに出かけるようで、夜になると病院の空きベッドを探して潜り込む生活なのだが、あいにくベッドが万床で、それで私の入院部屋にやってきたという。観察すると、常人には考えられないような、驚くべき能力を持つことが分かり、彼らが持っていたペンシル型の機械を使って、スタートレックのレナード・マッコイのように内外の傷害を直ちに治すことが出来るらしく、私が疲れたというと、ペンシル型の機械のトリガーを引き、バチンという音とともに、体が軽くなった。更に、エアコン、TVなどのON OFFや調節もペンシル型の機械を、まるで自分の手のように動かしてなんでもできる高度な遠隔操作も可能とわかった。一人は既に病院の雑務を引き受けるバイトをしていて、一人はパソコンも出来ると言うし、しぶしぶついてきた後の二人は、体力に自身があるので、たとえば腹膜等精液を運搬したり、ベッド移動の介助も可能とわかった。それで彼らのプロフィールや特技を書いた書類を作るようにアドバイスし、それが出来たら病院の責任者に掛け合ってあげる約束をした。この病院の看護師さんは、皆さん大変なご苦労をされている。効率的、効果的な看護をするためには、看護師補助が必要だと常日頃から思っていたので、この際にと提案書を作成し提出先はR看護師長にした。話は前後する。逃げ出した3匹の柴犬はなんとか発見できたが、全身が泥で汚れていたので、犬がは入れる風呂を探すことになりインターネット検索情報で向かったのが、母校同志社大学の大学図書館、本よりはCDがたくさんコレクションされていた。しかし人間は対応するが犬はダメだといわれ、また当てもなく探すことになり、看護師Nさんの実家などを当たってみたが、結局到着したのが岐阜県の山奥にある温泉施設。どうやらペットも人間もクリーニングしてくれるようで、手続きを済ますと、柴犬たちはゲージに入って、クリーニングルームに向かった。その間、お腹がすいたので、施設に有る大きなレストランに向かうが、何故か広大なフロアーに傾斜がついていて、車椅子に乗り換えて苦労しながら食べたのは、ミネストロンスープだった。時間が来たので、柴犬を連れに行くが、どう数えても一匹足りなく、良く見ると、次の客の柴犬と仲良くなって、走り回っているではないか。仕方なく落ち着くまで待つことに。陽はすでに傾き、寒くなってきたのと、来るときはどうやってここまで到達したかは不明のまま、帰りの交通手段にはベッドが乗るための、大型のレンタカーが必要となったが、山奥にはそんなものはない。すると、全身白装束の男の一人が、私が探してくるから待っていてくださいと、付近の壁にメモ書きを残しどこかに行ってしまった。どれだけの時間が過ぎたのだろう、すると彼が乗った大型車が出現し、ベッドごと運んでもらったが、彼らに支払う日当代も、高速代もガソリン代、レンタカー代も持ち合わせてなかったので、桑名の家内に電話し、こういう理由でお金が必要だから、用意を頼むという電話をした。後日譚では、朝の5時半に本当に電話があって50万8千円用意してくれといったそうだ。家内はてっきり私の病状が急変でもしたのかと、本当に心配したらしい。帰路の道中のことは全く記憶がないが、高速道路を走り橋を渡って到着した記憶があるが、気がつくと病院の透析室にいた。今思い出したので、忘れないうちに書いておきたいのだが、病状が悪化して奇妙な行動を取ったらしく、個室にベッドを移された時があった。(看護師さんに大変迷惑をおかけして申し訳ないことでした)初回5ヶ月近く入院したときもそうだったが、私のところに、ナース志願の研修生がつくことになって、1ヶ月間、週2から3回お話をしたり聞いたりする実地訓練の相手に指名されていたので私がが教示する内容ををカリキュラムに落とし準備万端。初回、趣味など自己紹介を兼ねて社会研修の予定などを話をすることにした。彼女は母親が交通事故にあって入院した病院の看護の姿に感激し、自ら看護師を目指そうと思ったという、さらにもうすぐ母親の誕生日を迎えるとのことだったので、第2回は君が料理してふるまってあげなさいと、小生が考案した「雪見鍋」の作り方を解説した。簡単で凄く美味しいし、意外とヘルシーで安価なので作ってみると良いと思う。この季節簡単で美味しく非常に重宝するレシピだから、皆さんにも参考になればとここに記載しておくことにする。用意するもの4人分土鍋、大根2本程度、豚バラ肉(安価なので良い肉を黒豚なら最高)1人150から200g、レモン5個、ポン酢などのタレ、タレ用大根おろし。大根は大きなものを用意し、ミキサーで大量の大根おろしを作る。土鍋に大根おろしを1センチほど敷き詰め、その上に豚バラを敷き、上に大根おろし、その上にレモンを薄く切った輪切り、それを繰り返しミルフィーユ状態に土鍋に八分目ほどになるまで重ねていく。鍋が完成したら食卓にもっていき、皆が集まってから、カセットコンロでゆっくり煮ていく。ゆっくり火を通さないと、真ん中が火通りが良くないことがある。大根おろしとレモンの輪切りの効果で、通常なら脂分が多くあまり食べられない豚バラ肉が@100g以上好きなら200gは食べてしまうほど。豚バラ肉は比較的安いが油が多く、使うのをためらう方も少なくないが、この方法だと余分な脂分が落ちてしまい、おいしい成分だけを味わうことができるし、簡単に準備ができて家族全員そろって美味しく囲む鍋はいいもだ。なお鍋の中の大根おろしには、余分なバラ肉の油が大量に出てるので、もったいないと言って食べないように。タレはポン酢でも味噌ダレでもなんでもお好みで、最近はタレのバリエーションも豊富。おろし大根のタレの場合は、別途大根おろしをその分取り置いておくこと。各種鍋の中では異種であるが、非常においしいので推薦する。名付けて「雪見鍋」家族からの株も上がると思います。余談はこのくらいにして、いよいよ核心に。個室に移ってから、奇妙な体験をしたので、其の話を。上で話した4人の全身白装束の男ではなく、今度はどうやら女性のようだ。毎晩8時過ぎ、看護師さんの最終点検が済んだあと、夜間の見回りの前、壁の中を縫うようにして現れたのが、顔だけ出してるが全身白装束の3人。すぐさま二人はベッドの下に潜り込んでいて、残る一人は壁際に潜んでいる。最初は怪しいと思い、出て行け!と大声で叫ぶと、瞬間的に消えてしまう、しかしすぐに現れる。それが毎晩続き、3人のプロフィールなどを聞き出そうとするが、何も答えない。喋ることが出来ないのは、4人の男連中と同じ、だから身振り手振りで意思疎通を図ることに。二十歳にもなってないだろう若い女性で、皆純情そうな女性、別に悪さをする様子もないので、現れるのを期待するようになっていった。夜8時半になると、壁の間からすっと現れ、どうやら何か手伝いをしてくれそうな雰囲気を感じたので、腰が痛いというと、中の一人が腰をもんでくれ、湿布薬があるというと、貼ってくれもした。夢と現実の間を往復する状態だったので半信半疑、朝起きで腰に手をやると、なんと湿布が張られてるではないか。これらは、終始無言で実施された。彼女たちは病院の人たち、看護師さんなどを気にしてる様子で、誰かが入ってくる予感がすると、壁の中やベッドの下にに入ってしまい、見つかる心配がないときには出てくるのだった。個室から4人部屋に移るまで彼女たちとの素晴らしい交流が続いたが、4人部屋になってからは、彼女たちの代わりに、あの全身白装束の4人の男が現れるようになった。書いてるうちに思い出すことがたくさんあって、途中追加しておく。リハビリ室の後方に、大きなスペースが有って、そこで旅芸人一座の2メートルを超えるような背の高い男が二人、何かの訓練をしている、壁がどんでん返し構造となっているようで、瞬間的に出たり入ったりしていた。病棟から迎えが来るまでここで待ってくださいと言われ、看護師でも医師の先生でもない、多分リハビリの先生か旅芸人一座の団長だと思える男が、2メートルの巨人にアドバイスしながら、大量に買ってきたパン、インスタントラーメン等を、むしゃむしゃと長時間食べ続けている、アシスタントらしき男は、私のベッドの下に潜り込んで寝ていたらしく、やがて目が覚めて仕事に戻ったようだった。ようやく迎えに来たIさんは、いつもと違うルート、知らない扉から一旦外に出で病棟まで。迎えに来たIさんに、ほらあそこに大男が二人柱のそばに立っていてっていて、何かしてるのが見えるでしょ、そう言ったが、私は何も見えないけど、と言われた。個室から4人部屋に移動してからは、白装束の女性3人が表れることはなくなったが、しばらくすると、先に述べたように、顔かたちも人間だが、やはり全身を白い衣装で包見、顔も覆った大柄の男が4人ベッドの脇を囲むように現れた。彼らは全員が何らかの障害を持っているようで、しゃべることが出来ない、したがって成人にもかかわらず就職も出来ないまま、埼玉だったか栃木だったかの支援団体に加入しており、全国を放浪の旅をしてる最中のようだった。このことは彼らがペンシル型の機械を使ってカーテンに記したID証明文章で明らかにされたことだ。中の1人は、病院内で看護師がやらないような雑用仕事をやっていたようだったが、あとの人間は仕事もなく、それで仲間と一緒に病院のどこかで寝泊まりしているようだ。彼らは全員がペンシル型の機械を持っており、例えば遠隔操作でのTVの音声調節、点滴の終了時のアラート音を消すこと、ビス止めなどの細かい作業もそれでできてしまうし、その機械からバチンという音とともに発射されるもので頭脳明晰になり眠気も吹き飛んでしまうこと、簡単な病気であればその機械を使って治療してしまうぐらいの技術を持っていることは既にお話したとおり。ある日気が付くとカーテンと壁に手書きの文字で、行政に対しての要望や不満、この先への不安、を示す内容の文章が整然と書いてあって、読み終えると自然消滅してしまった。後の証拠にと、携帯で撮影しておいたが、回復した後で見ると文字らしきものは見えなかった 普段、携帯のカメラでの写真撮影などは全くせず、デジカメを使ってるし、携帯のカメラの使い方も知らないのに、なぜかその時は、撮影ができたのも不思議なこと。夢遊状態だったのだろうか、実際に携帯を手に取って撮影までした非尋常さにあきれるほどの体験だった。カーテンのみならず、ベッドに寝ている小生のために、天井をスクリーンにしたプロジェクト投影用の小さな端末を持っているようだった。彼らがなぜ小生の病室の出現したかをヒアリングすると、こういった社会問題について造詣が深いなどと、お世辞とも付かないようなことをカーテンに投影した。彼ら4人と3人の女性以外に病棟の空き部屋に、患者でないものが寝泊まりしてるらしいことが分かったのは、最初にも書いたとおり、ある日、柴犬の子供が数匹廊下を走っており、数羽の鳥が、ある病室に出入りしてるのを目撃したからだ。柴犬の子供は、ある夜小生のベッドに入ってきて、一緒に寝て朝になると抜け出してどこかに行ってしまうので、その時のぬくもりが愛犬シバと同じだったので、夢じゃなく現実だとだと思ってしまった。なついていたミニチュア柴犬だけに脱走したとの連絡で、探索に行ったことは最初に書いたとおり。どうもこの病院の病棟には、サーカスか旅芸人らしき複数のグループが寝泊まりするために利用してるらしいことが分かったのは、上の階の空き部屋で、老人とその娘らしきものが、演劇か、何かの催し物のやり方を巡って大きな声で言い争ってることでわかったこと。リハビリ室のウラで2メートルを超すようなコック服の男や、壁が出入り口になってる仕掛けを使って出入りの訓練をする様子が目に入ったことで、間違いないと確信したことだ。忍者のような旅芸人の一族と病室に現れた男たち、3人の白装束の女性のユニフォームには四日市看護大学という文字が入っていた記憶だ。一体、この病院の病棟はどうなってるのだ、誰か見知らぬ者たちに占領されてるのではないかとさえ思ったほど。私が見聞きしたことを、メモ書きにして、看護師長に渡そうと考えていた。後で分かったことは、長い時間の抗生剤の点滴投与の後遺症として、せん妄・幻覚状態が発症することがあり、奇妙で恐ろしい幻覚を見たり、実際にはいない人や存在しない物が見えたりすることがあるという。なかには偏執症や妄想(現実とは異なる認識で、通常は知覚や経験を誤って解釈してしまうことによって生じる)がみられる人もいる。主治医の堀医師によると、1月20日から29日あたりまで続いたと記録される。1月23日付近が最も幻覚症状が出たときらしく、カーテンや天井や壁に文字が書かれてるのを撮影したのは1月23日のことだった。抗生剤をゾシンからベンゾジン・クインダマイシンに変更後、1月29日に幻覚症状は改善したという堀先生のレポートがあった。抗生剤点滴と幻覚症状の因果関係は定かではないが、可能性は十分あると思われる。透析室の壁と柱には、職場が同じだった富士ゼロックスの先輩後輩両名が、それぞれ自分のプロフィールを書いたもの、そして私の紹介文がびっしりと書かれてあった。推測するに、なぜかこの病院に勤務してるらしいことがわかった。前回4年前の入院中には、高熱を発症中に既視体験をすることになった。一日前の諸事が今そこで再び行われているという、何もかも全く同じの超リアルなものだった。次に何が起こるかどのような作業があるのかは、全てすでに知っているのである。すん分たがわないのには、改めて驚いてはいるが、このことを冷静に考えれば、既視体験というものではなく、まさに昨日のことが夢の中に意識として反映されたものだと思われる。コピーしたようにすべてが同じだったことに改めて驚いている。ICUでの出来事ICUでは、ベッドに両足両手を固定され、鼻からは呼吸器、挿管、右の首には点滴のチュウブが挿入されている。ひたすら喉が渇き、何よりも一滴の水を欲したが、喋りも、筆談もかなわないまま何日か耐えたが、病状と欲しがってるものをよく知った、男の看護師が、歯磨きの際、「飲んじゃダメだよ」と言いながら、わざと水を多めに喉に通してくれたのは、今患者が何を欲してるのかをよくわかった人物なのだろう。反面、私が眠ってると思ってか、様子を見に来たであろう数人のICUの看護師の、同じ職場の仲間であろう人の良くない噂話をするのも聴こえてきた。いつの何時か記憶がないが、手足を縛られ拘束状態の時、動かそうとした左脚の感触がないと思い、触れる範囲でたしかめると全く感覚がないし冷たい。なにかよくない事が起こったに違いないと近くにあるナースコールを鳴らすと、しばらくして看護師が来た。手を開放してもらい、必死になって、脚が麻痺状態になったということを、ひらがなで手のひらに書いて説明しろというのでそうしたが、書いたものが読めないのか、看護師は取り合ってくれない、先生を呼んでくれと頼んだが、今は夜間で先生はいないからといって、依頼は却下されそうになった。看護師がそのまま戻ろうとするので、看護士の手首を力いっぱい掴んで離さずにいると、ようやく必死とわかったらしく、ERか当直の先生を呼んできた。(らしい)すぐに細い針のようなもので、感度チェックするも、全く感触がないことがわかったらしく、主治医と相談の上、レーザーで出血部分を焼き固めることになった。腸腰筋からの原因不明の出血で、神経を圧迫して麻痺状態となったとのことだった。長期間ベッド生活で、筋力が弱ってる上に更に麻痺では踏んだり蹴ったり、どうしようもない。ベッドに寝てるときに、右腰の付近が猛烈に痛くなり、体を動かして痛くなくなる体位にしていると、強制的に体位を入れ替え、また痛くなる繰り返しだったので、前兆は有ったのかもしれない。治療が終わった朝、腕を掴んだ看護師が来て「すみませんでした」と言って、泣きそうな顔と声で頭を下げに来た。洞察力、観察力がもう少しアレば、もっと早く処置ができたはずだ。ICUの看護という重要な任務を、日常的に忘れることも有るかもしれないが、そういうことが一番怖い。何が起こるかわからない世界にいる看護師だということは、いつも自覚して置かなければならないこと。患者の訴えを自分流に勝手に解釈して,絵空事だと決め込み、夜中だから、医師に迷惑がかかるなどという、重要度、優先度のトリアージが出来てない典型を見てしまった。反省を今後活かしてくれるといいが、こういうことはOJTでは習得不可能なのだ。面白い話も有った。白内障の手術をすることになったのは、名古屋の大学から派遣されてやってきた、面白い先生と出会ったからだ。先生の努力で、病院に、最新式の手術用機械が設置され、いままで2週間かかったものが1泊2日で可能となったことも有ってのこと。手術の当日、必要なものは準備して、いよいよ手術台に。先生は、オペ看に手術のやり方や、使用するレンズ等について説明しながら準備してる。手術で一番痛いという麻酔が射たれ、しばらくして手術開始、同時にBGMが流れ始めた。意識ははっきりしてる手術だから、何がBGMで流れているかはすぐに判明、モーツァルトのレクイエムから、「怒りの日」、」そしてベートーヴェンのピアノソナタ8番「悲愴」の2楽章だ。これらの曲は、暗い情緒の曲ばかり、レクイエムは「死者のためのミサ曲」、悲愴は「悲しく痛ましいこと」の意味を持つ。私は音楽、特にクラシック音楽は幼年期から現在に至る愛好する音楽、学生時代は研究対象だったから、手術が終了するまで黙って聴いていたが、終わってしばらくして、「先生このBGMは先生のチョイスですか、いい曲だけど手術室で流すのはどうかと思う」そう言った。すると先生、仰天した様子で、こういう音楽は誰にもわからない思ったとか、東北大地震の祈りだとか、早口に説明し始めた。まさかクラシック音楽の一部を聞いただけで、曲名も何もかも分かる人間が、目の前にいるとは想像もしてなかったのだろう。クラシック音楽ファンの中には、確かに上から目線の人間もいるのは確か。診察のときには、罰が悪そうに、看護士に実はこういうことが有って慌ててしまったという内容で語っていたのを思い出した。隠さないところが、この先生の良いところだったが、しばらくすると、大学に戻ってしまった。入院中に、麻痺した右足の膝がグシャット折れ曲がり桃と足の裏が接触してしまう痛い経験を3回した。車椅子にベッドから移るときに、車椅子にブtレーイをかけ忘れて乗り込む時、眼科のくらい部屋に通され、立ち上がれないので、何かつかむものをと探すと、ここに捕まってと言われ捕まると、機械ごと動いて仰向けになった時、さらにリハビリ室で、歩行訓練中のこと、突然膝がグラつき折れ曲がってしまったこと。以前は、アウトドアで使うストックでなんとか歩けるようになったが、最近ようやくストックもいらずとなった、しかし腸腰筋が完全回復してないのか、まだ長時間は歩くことが出来ないでいる。車の運転はできるので、かなり助かっている状態です。入院中の迷惑行為こんなことを入院中に経験したが、噂話によると瀕死の状態だったこと、夜中に放浪したらしいこと、勝手に向かい側の部屋に入って、カーテンを開けたこと、誰かに罵声を浴びせたなどなど、まるで覚えがないことだが、大変な事をしでかしていたと、夢の中の記憶では、トイレに行くのにスリッパが見つからず、片足だけで行き、帰るときに部屋がどこだったか忘れてウロウロしたこと、更に別の日に、酸素呼吸のマスクを外し点滴の機械をともなって、トイレに行こうとしたが、途中で呼吸困難になって、意識が薄れかけたところ、会社時代のの先輩が助けに来てくれたこと、コレは夢だったのだろう。。治療のために、病院からかなり遠い温泉施設に、患者10名ほどと付添の看護士が堀先生が運転する小型バスで向かい、荒涼とした高原の原野にある立派な施設で透析受けてる夢を見たことは鮮明な記憶だ。病棟の廊下まで、バスが入ってきたのには、夢といえど驚いたし、堀先生が実は車マニアだと夢ではなっていたことを思い出した。ワーゲンのパサートに載っていると話してくれた。夢か幻か、予感と現実か、おそらくこれらの倍ホイドの夢ごとを体験したのに、ハッキリ記憶に留まってるのは上に書いたこと。しかし何かのついでに、記憶が蘇ってくるが、すぐに消えてしまう。今現在は、週3回火木土の透析、9時半スタート14時半終了、朝kは送迎車が家の胃前まで、クリニックの食事が気に入ってないので、帰りは家内が迎えに来る。そのうち行き帰りも自分のくるまでにしようと考えているところ。空いた曜日は趣味の世界に浸っており、入手してまだ聴いてない、レコード屋CDを聴いたり、レコードをクリーニングしたり、そして今日の音楽はコレにしようと決めたものを聴いたり、評論みたいなものを書いたり、音楽以外には、古代史、行為古楽、そして古伊万里の染め付けを中心の陶磁器を使ったり、用途を変えて楽しんだりしています。
by noanoa1970 | 2017-03-17 06:52 | Comments(0)