異説「山の人生」6

異説「山の人生」「3」「4」で述べた2つの話はいかにも説得力ある話ではある。
しかし問題は、事実はひとつであるにもかかわらずその真相なるものが複数あり、しかも異なっていることに大いに不可思議さを感じてしまうのだ。この2つの話の「複合」だとしても、それが原因で一家心中はありえない(だろう)と思うからである。。

事件がおきた明治37年(日露戦争開戦の年)、季節は「柳田」では「秋」、「新四郎さ」説では「夏」のことであるし地域敵に見ても、郡上郡「寒水」「大和」地区であるらしいから(新四郎屋敷後)として今も碑が建つという)その地区・・・「寒水川」は小生がよく釣りに出かけたところでよく熟知しているのであるが、中山間地区の農村であるが、険しく奥深い山の中の里ではなく、確かに寒村ではあったであろうが、厳冬期ならまだしも、事件のあった季節では、飢饉で飢えるような気候の地域ではないと思われる。(小生が小屋を借りていた安曇軍奈川村のほうが厳しい地区だから比較できる・・・時代が違うことを考慮しても)
    
・この2つの事件の当事者によって語られたという、「後日談」は本当のことなのであろうか?

・本人が語ったことをその身元引受人が記憶し、それをまたその親戚のものが後に思い出し
筆記した。・・・・この年月の間に、だんだんと事実関係が薄れて、曖昧になっていった可能性はないか?

・果たして本人は事実を語ったのか?

・事件の犯行動機供述に弁護士による脚色は本当にあったのか?

・村人の、「事件に対する因果関係誤謬の原因」となるような「共同幻想」・・・・事件当事者本人もさることながら、「庄屋家族」に対する気使いや自分の村の汚点を世間から隠そうとする見えない意思が働かなかったか?


小生はこの2つの説の「動機」にとても不可解な点が見えるような気がするのである。
①=「柳田」説=「新四郎さ」の1つめ・・・「飢饉による飢餓から父を救うため自ら犠牲おなった子供の孝行話」

②=「新四郎さ」の2つめ・・・「奉公に出した娘がイジメにあって盗みの疑いを掛けられたことに抗議しての一家心中」

①も②にしても子供殺害および一家心中未遂事件の「動機」としては非常に説得力に欠けるといわざるを得ない。
そしていずれもが非常に「作為的」であるように感じてしまうのである。
その「作為」とは
この事件のあらましを・・・こういう事にしておこう。・・・ということであったのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2005-11-24 09:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)