「魔王」雑感-5

さらに興味深いのは、
デンマークの作曲家ニルス・ゲーゼに『妖精の娘』というバレー・オペラがある
テキスト:「クリスチャン・モルベック」、「カール・アンデルセ」、「ゴットリープ・シスビュエ」作曲:1853年初演:1854年(音楽協会)
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内容は
{オルフ}が「妖精の娘」の魅力に惹かれ,夜な夜な妖精の森をさまよい妖精の娘と逢引をする。「妖精の娘」と婚約者との間で葛藤するオルフとそれを知った母親。物語は結婚式の朝に妖精の森から馬を走らせ戻ったオルフが息絶えることで終わる。
「妖精の王の娘」 という物語を、バレーに仕立てたものある。
ヘルダーの「魔王の娘」とほぼ内容は同じ、これも古いデンマークの民話、あるいはもっと古い北欧の神話から編集されたものであろう。

このような「妖精と人間」」の恋愛に代表される「交流」の話は古今東西「文芸」の注目するところであった。
人間に恋して望みをかなえられなかった「水の精」が復讐をする・・・「オンディーヌ」は音楽では特に有名である。

ニルスゲーゼについてはほとんど知られてないようであるから、『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考資料とさせていただき、資料として添付することにした。

以下ウィキペディアよりの引用である。
『ニルス・ゲーゼ(またはガーゼ、Niels Wilhelm Gade, 1817年11月22日コペンハーゲン - 1890年12月21日コペンハーゲン)はデンマークの作曲家・指揮者・音楽教師。北欧諸国の音楽界の近代化に貢献。

コペンハーゲンの王室オーケストラでヴァイオリン奏者として活動を開始し、自作の《交響曲第1番》を提出するが、コペンハーゲンでは演奏が拒否された。しかし、これをフェリックス・メンデルスゾーンに送付したところ、積極的に受け入れられ、ライプツィヒで初演してもらうことができた。そこでゲーゼも同地に転出、ライプツィヒ音楽院で教鞭をとるかたわら、ゲヴァントハウス管弦楽団の副指揮者をつとめた。メンデルスゾーンと親交を結んで、創作活動において重要な影響を受けたほか、ロベルト・シューマンとも親しくなった。

1847年に恩人メンデルスゾーンが没すると、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの主席指揮者の地位を引き継いだが、翌1848年にデンマークとプロイセンの紛争が勃発するとデンマークに戻った。その後はコペンハーゲン音楽協会の終身総裁に就任し、新たにオーケストラや合唱団を設立した。また、オルガン奏者としての活動も始め、ヨハン・ペーター・エミリウス・ハートマン Johan Peter Emilius Hartmann からコペンハーゲン音楽院院長職を引き継ぐ(1852年にハートマンの娘と結婚)。晩年は北欧の音楽界に権威ある教育者として名をなし、後にグリーグやニールセンらに影響した。

諸外国でも名声ある北欧の作曲家と言えば、ソナチネアルバムにも名を残したクーラウや、外国の進歩的な作曲家と親交を結んでいたハートマン親子もいたが、特にソナタ形式に関係する器楽ジャンル、交響曲とか室内楽を重視したという点において、ゲーゼが北欧音楽史上に果たした功績は歴然としている。

ゲーゼ作品のうち、8つの交響曲、ヴァイオリン協奏曲、室内楽、いくつかのピアノ曲、カンタータの大作《コモラ Comala》(1846年)や《妖精の娘 Elverskud》(1853年)、演奏会用序曲《オシアンの余韻》作品1などがある。作品の多くはメンデルスゾーンやシューマンの影響が濃厚だが、中にはデンマーク民謡に基づく作品もある。』

なお「魔王」雑感に貼り付けた「絵画」は「詩人グエルの世界」より、拝借させていただきました。下記URLです。とても「不思議な、感性を刺激」する絵です。是非ご覧ください。
http://guel.ld.infoseek.co.jp/
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by noanoa1970 | 2005-11-13 08:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)