シューベルトの謎と秘密-1

シューベルトといえば小生は、かねてから彼を言い表す言葉どおり、「歌曲の王」、「若くしてこの世を去った音楽の天才」「未完成交響曲」の作者、そして比類なき美しい「メロディメーカー」、また「交響曲9番グレート」でベートーヴェンを信奉した作曲家であるという認識を実感してきた。しかし数年前からそれだけではないシューベルトが見えるようになって来た。其れというのは、シューベルトの1番4番のミサ曲を最初に聞いてから、時を経て、全曲の6番まで聴き及んだことをきっかけにして、シューベルトに抱いていた小生の概念が大きく変化することになったからである。
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小生はそこに「シューベルト」の深層に潜む何か得体の知れない「ダークサイド」なるものを見たような気がした。
そのきっかけになったのは、以下の2つの言及に触れたことであった。
1-『彼の作曲したミサのクレドはすべて、
“Et unam・・・・・・・・ecclesiam”(一、聖、公、使徒継承の教会を信ず)の一説が欠落していルト言う事実。。その理由は不明だが、かつて一部の音楽学者達が主張したようにシューベルトの反教会的姿勢を意味するものではなく、単に彼が使用していたテキストが何かの理由でその部分が欠けていたからにすぎないのでしょう。』
あるいは
2-『シューベルトのミサにおいて、「聖なるカトリック教会 una sancta catholica」という言葉は一切出てこない』

以上の2点はいろいろな人が指摘するところであります。「クレド」は「信仰告白」でミサにおいては最も大切なものの一つ。シューベルトがその中のこの部分を省略したのは、「慣例説」「忘却説」「作曲上の理由」「使用テキスト不備説」そして「反教会説」などが上げられるが、その真偽は不明のままである。またシューベルトのミサは教会では演奏されることが無かったという説も有る。
特にミサ曲第5番では「唯一の教会を信ずる」という部分がカットされているのが特徴的で、この点から、「反教会説」が出てきたものだろうとも推測できる。
しかし実は、シューベルトのミサにはそれ以上の秘密が隠されていたのである。問題の「クレド」=教義の要約としての「信条」・・・では通常は「A」のようになるところを、シューベルトは「B」のように作っているのである。
「A」
1 Credo in unum Deum, 私は信じます、一である神を、
2 Patrem omnipotentem, 全能の父を、factorem coeli et terrae, 天と地の創り主を、
visibilium omnium すべての目に見えるものと
et invisibilium. 見えぬものの創り主を。
「B」
1 Credo in unum Deum, 私は信じます、一である神を、
2.○○○○○○○○=(Patrem omnipotentem, 全能の父を)・・・本来入れるべき重要箇所のこの部分を全てのミサで省略しているfactorem coeli et terrae, 天と地の創り主を、
visibilium omnium すべての目に見えるものと
et invisibilium. 見えぬものの創り主を。

Patrem omnipotentem, 全能の父を、の省略
   このことは一体何を物語るのであろう?
              続く
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by noanoa1970 | 2005-11-05 14:03 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)