シューベルトの謎と秘密-3

シューベルトの作品には「死の動機」または、「さすらい人のリズム」といわれるものが頻繁に登場する。
「長・短・短」・・・ターン・タン・タン・・・分かりやすいところでは、ソーラン節の掛け声、「ヤー・レ・ン・・・ソー・ラ・ン・・・ソー・ラ・ン」を思い起こすとよいかもしれない。
ベートーヴェンの「運命の動機」として有名な「タ・タ・タ・ターン」=「短・短・短・長」も、もしかしてそうかもしれないが、シューベルトの「さすらい人リズム」は出所が分かっていて、それはギリシャの詩人たちが用いた韻律の中の一つ、「ダクテュロス調」で(―∪∪)と表記されるという。

これは推測に過ぎないのだが、ギリシャの詩人たちの韻律が「グレゴリオ聖歌」の中の一部として使用され、其れを後世の音楽家たちが使った可能性もあるのではないかということが出来るかもしれない。
簡略化して言えば、すなわちギリシャ→ローマ→キリスト教という流れだ。

『長大なホメロスの叙事詩を構成しているのは、ダクテュロス調hexametros(六脚韻)詩であるといわれる。』
文献によれば
― ∪ ∪ | ― ∪ ∪ | ― ∪ ∪ | ― ∪ ∪ | ― ∪ ∪| ― *∪  ― ∪ ∪ |― ― | ― ∪ ∪ | ― ∪ ∪| ― ∪ ∪| ― *∪
あの男の話をしてくれ、詩の女神よ、術策に富み、トロイアの聖い城市を
攻め陥してから、ずいぶん諸方を彷徨って来た男のことを。

*終節の末尾の音節は、拍子の都合によって長くも短くもすることが許されている。ここでは終節に短音が来ているが、いずれも2拍分長く発音される。
(『オデュッセイア』第1巻1-2行目 呉茂一訳)
ということであるらしい。

jこのリズムがなぜ「さすらい人リズム」なのかについてはハッキリしないが、小生は、シューベルトの「さすらい人幻想曲」の第1楽章冒頭の 「タン・タ・タ・・・タン・タ・タ・・・」の部分がこの「ダクテュロス調」の韻律のリズムと同じであることと、このピアノ曲の「さすらい人」から、そしてシューベルトがこのリズムを、なぜか多くの作品に使っていることから、誰かがつけたネーミングであるのだと考える。膨大な「グレゴリオ聖歌」を調べるのは困難であるため、事実関係は推測に過ぎないが、小生はやはりギリシャ→ローマ→グレゴリオ聖歌(キリスト教)の流れに、その発祥のルーツを見たい。

ざっと思い当たるだけをあげても「さすらい人幻想曲」を始めとして、
「死と乙女2楽章」「未完成交響曲」第2主題入りの部分」「交響曲9番グレイトの1楽章冒頭金管のファンファーレ」「魔王」に使われている。
他の作曲家で今思い当たるところでは
ベートーヴェン「弦楽4重奏16番2楽章」、「交響曲7番2楽章」、シューマン「流浪の民」の転調部、「交響的練習曲」の冒頭、特に「ベト7の2楽章」は全篇が「さすらい人リズム」で出来ている。あとシューベルトでは「交響曲5番」の冒頭序奏のすぐ後の美しいメロディもそうであるし「ロザムンデ」の有名な美しいメロディも然りで、探せばまだ沢山出てくるだろう。

ベートーヴェンを強く信奉していたシューベルトであり、同じ9番の交響曲「グレート」では、ベートーヴェンの第9から多くのことを真似てはいるのだが、この「長・短・短」の語法の積極使用と、情念的使用、そしてなによりもリリシズムあふれる美しい曲調がベートーヴェンとは全く異なる。
ベートーヴェンにはこの語法は先に上げた物を除くと、小生が思いつく限りではほとんど使用されていない。(と思う)

またシューベルトは実は「「ギリシャ神話」の愛好家でもあったのであろうか?、(ゲーテなどを通じてかもしれない)作品中の「ギリシャ神話」からの題材の数は、ドビュッシーを凌駕するくらい多いのである。
このことから恐らくシューベルトは歌曲の作曲において(当時の詩人たちを通じてか?)必然的に、この「ダクテュロス調」の「長・短・短」を知ることになり、其れを彼の特許のように作品に意識して散りばめたのであろう。そしてそのことが彼の音楽の大きな特徴の一つにもなったのであると考えられる。

そして恐らく「後期ロマン派」までは続いたと思われる「長強短弱」という音楽上の概念も、このギリシャの韻律からの歴史を引きずって来たものだと思われるのである。
このことと「さうらい人リズム」=「死の動機」の多様がシューベルトの音楽の、一つの大きな特徴であるのではないかと小生は思っている。

この辺りを鮮明に表現したピアニストとして、小生は
「エリー・ナイ」の「さすらい人幻想曲」を上げておきたい。
d0063263_13263956.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2005-11-07 09:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)