北斎・実朝・ドビュッシー

金槐集の中に「源実朝」の
「大海の 磯もとどろに よする波 われてくだけて さけて散るかも」 という歌がある。
この歌を表面的に捉えるとしたなら
北斎」の「神奈川沖波裏」との間に、ある種の親近感を感じることだろう。
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実朝の「われて・・くだけて・・ さけて・・散る」というところに、これ以上は想像できないくらいの「大波」、嵐の大波がいやおう無しに想起される。

北斎の版画は
実朝の見たのと同じ鎌倉沖海域だろうか、あるいは想像上の海であろうか、大波の姿を、これもまた見事に描いていて、和歌と版画が小生の中で織り成すコラボレーションは、ずいぶん長いこと小生を支配してきたのであゥた。
しかし分別がつく大人になってからよく考えてみると、其れは「若気の至り」のような自戒の念を抱くようになってきたのである。

実朝の歌は、単に海の大波を歌ったものでなく、これでもかとばかりの、ありったけの思い・・・抑えようとしても到底抑えきれないほどの激情を、心のありったけをもって表現した者であろう。この歌には、波に例えた「自身に迫り来る政治的運命」の心象風景を歌ったものであることに気いたのは何時だったか。

北斎の版画は「波」ではなく「波裏」と題されている。このことは何を物語るであろうか。
北斎の版画の大きな波の裏の部分を良く見て欲しい。
そこにあるものは・・・・「デフォルメ」された大きな波の波頭にツイ目が行ってしまうのであるが、波の裏の「濃紺」の部分には、「デフォルメ」された大波には無い「水」の動きがあるのだ。
其れはいく粒の水滴となって、波頭から滴り落ちてくるように、唯一この版画での「動き」を見せているのだ。普通なら一番動きのあるであろう「船」でさえ、ここではデフォルメされ、静止する大波の前にただ静止して見えるばかり。
そう、唯一動いているのは「水のしずく」なのである。静止する「三角形」で支えた構図に動きを与える「水のしずく」・・・これこそが北斎の「真骨頂」ではなかろうか。当たり前だが、三角形の「富士山」も不動を保ち安定感を与える。拡大しないと気づかないのだが、なんと「水」のしずく・・・飛沫は「富士山」が描かれているついそば・・・左の空間にまで及んでいる。、

北斎が「神奈川沖波裏」と命名した理由がそこにあった。

さてドビュッシーはこの版画をこよなく愛したという。自室にこの版画をかけて眺めていたとも言われ、そのような写真が存在しているという。
・・・だから交響詩「海」はこの北斎の版画からのインスピレーションだと直線的に結びつけるのには危険な面があると思う。

もしドビュッシーの「海」と北斎の「神奈川沖波裏」を結ぶ線を見つけるとすれば、北斎の「波裏」の海の水滴・・・しずくの動き」なのではないかと思っている。そしてドビュッシーは波裏の「群青色」にギリシャの神々の活躍したエーゲ海の「青」を見たのではないだろうか。

もう少し突っ込めば、前回のBLOGであげた2つの習作にあった、「西洋的な「遠近法」」がここで浄化・止揚され、類を見ない画法が初めて世界に紹介され、ドビュッシーは「詩」にも「絵画」にも今まで無かった斬新さを、北斎の版画から感じ取ったのではなかろうか。

異論が出るのを承知で言えば,北斎の版画「神奈川沖波裏」は、後に西洋で出現する「アール・デコ」のポスターのような、あるいは「シュールレアリズム」のような絵画の前触れだったのかもしれない。
発見からその超越に時間をかけてきた西洋の「遠近法」が、日本の・・・一般的には文化的後進国といわれた東洋の小さな島国の一絵描きによって、非常に短時間のうちに越えられてしまったことへの、驚きの顔が浮かぶようでとても面白い。
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by noanoa1970 | 2005-10-13 08:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)