DRAC興亡史番外編1967機関誌より
6月15日はDRAC-OB会が開催される。
その前に小生と同期で現在同志社大学文学部教授の石坂君が、キャンパス案内ツアーをやってくれるとのことだ。
忙しいだろう身にもかかわらず時間を割いていただけることに感謝しなければならない。
彼とは非常に親しい間ではなかったにしろ、下宿の行き来はたまにあったりした。
下宿では、ブラームスの室内楽を聞かされた記憶がある。
サークル内でも1回生当時から音楽そのものをかなり聴いていた人間であった。
今話すと一番面白い人間であると小生は思っているのだが、以前「君とはジックリ話したい」といっていたので、彼もまんざらではないようだ。
彼は2回生の時にロマン派音楽Gリーダーをやったが、1回生の時にすでにその素地があって、機関誌には論文とみてもよいぐらいの文章を投稿していた。
思慮深い男…それが小生の印象だ。
先日発見した機関誌DRAC16号…1967年発行、に特別寄稿文を投稿した文章があって読み返してみた。
小生も寄稿したのだが、社会学「ジルバーマン」の「音楽はいずこへ」を読んでエキスを抽出したに過ぎなかったのに対し、彼は、多くの文献を当たって長大な論文を書き上げ、其の頁数はB5班25頁にも及ぶものとなった。
当時その中身についての会話は知る限りほとんどなかったのは、内容が難しすぎたのか、不得意ジャンルであったからだろうか。
おそらく、グループの分け方は音楽史に基づいていたから、ほかのジャンルには興味をもてない、自分のハエを追い払うのに精いっぱいだったのだろう。
「二次派の新音楽・後期ロマン派への疑問と考察」と題し、主眼は彼がその当時最も好きだったと思われるブラームスとマーラーをキーファクターとし、いわゆる後期ロマン派とはなんであるのかという視点からの文章である。極端に言えばブラームスは復古主義とか形式主義者とか言われるようなものではない…そういうことをいいたかったのだとも読み取れる。
マーラーについての考察もなかなかのものだと思うが今回は割愛する。
いま読み返せば、ロマン主義あるいはロマン派、と二次派の音楽の規定がやや甘いところがあるにしても、大学1回生でこれだけの文章が書けるというのは、文才ともいえるが、やはり音楽そのものを聴き込んでいたことだろう。
聴きこまなければそれを言葉にはできないが、ながら聴きのように、聴いていてなくても言葉にはできる。
その違いは文章に表れるものだ。
テーマをもちながら音楽を聴くのと、聴いて楽しめばよいという者とは帰結が違ってくるものだ。
その中の一部をここに掲載し、こういう努力の積み重ねの結果、彼が今教授という立場にあるという事も認識していただけければと思う次第。
by noanoa1970 | 2013-06-10 20:26 | DRAC興亡史 | Comments(2)
マーラーについてもまたどう書いておられるのか、何となく予測できるものの、また読んでみたいという気持ちもあり、続編希望!です。
ただ、今は間宮芳生の資料を間に合わせたいということで必死…です。あと1時間ほどでできるでしょう(笑)。