放浪・漂泊・さすらい・・・旅への誘い

「放浪、漂泊、さすらい、HOBO」と文学・音楽のかかわりはとても深いようだ。シューベルト、リストなどのロマン派の音楽家たち、マーラーなど後期ロマンの音楽家、わが国では「西行」「芭蕉」「山頭火」等の俳人もその代表であろう。方々へとさすらうからHOBOという・・・・といって意味を覚えたこともあった。このHOBOはブルーグラス、カントリー音楽の中にも頻繁に登場する。

本来なら、最初に、「シューベルト」を取り上げなくてはならないと思うのだが、余りにも範囲が広く、シューベルトの「さすらい」の持つ意味が深すぎて、今のところ書ける状態にはにはいたっていない。

先のBLOGで「彼岸花」について書いたときに、」「山頭火」と「西行」の句から、放浪のたびへと向かっている自分がいた。それで今日は「デュパルク」の「旅への誘い」をほんとに久しぶりに聞いて見ることにした。

ボードレールの詩を普通に読めば、「皆でどこか楽しいところに旅に行きましょう。気に入ればそこで死ぬまで楽しく、暮らしましょう」・・・などと読めてしまえるのであるが、デュパルクの曲がつくとそこには「彼岸」、「厭世と天国への憧憬」のようなものを感じることが多い。自ら命を絶って黄泉の国へとは向かうことが出来ない・・・・そこには唯一つ、当てもない「流離」「漂白」が残される。・・・シューベルトにもたぶんに潜むこの暗いイメージがついて回るのである。
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わが子、わが妹よ、思ってもみよ、かの地へゆき、
ともに暮らすたのしさを!
心ゆくまで愛しあい、愛しあって死んでゆく
おまえによく似た、あの国で!
・・・・見よ、この入江に
眠りたる 船、
漂泊(サスラヒ)の旅の心を乗せたりな。
・・・・
曇りがちなあの空の濡れそぼった太陽は……

ボードレール「悪の華」(旅へのいざない)より(芳賀 徹他訳)

詩のような音楽そして音楽のような詩・・・詩と音楽の吟醸の交感をして、近代仏蘭西芸術の「エスプリ」といっても良いのであろう。

このLPは1970年代後半に「仏音楽のエスプリシ」リーズとして、「ミュシャ」の絵で統一されたジャケットの音盤が十数点発売された。小生は音楽もさることながらジャケットの美しさに魅かれて、7枚入手したものの中の1枚である。
他にラヴェルの「シェエラザード」「ギリシャ民謡集」「ヘブライの歌」、ドビュッシーの「放蕩息子より」、デュパルクは他に、「フィディレ」が収録される。
演奏はジョルジュ・プレートル率いるパリ音楽院管弦楽団
「・・・ロス・アンヘレス」がソプラノを歌っている。
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by noanoa1970 | 2005-09-30 08:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)