邦人作曲家、音大生、音楽愛好家に対するアンケート実施結果1967年
いま読み返すと何ともまあといっても仕方ないアンケートの問いであったが、当時としてはこれが最善と判断した。
集計のことやそれから必要な分析のことをあまり考慮せず、しかも問いが抽象的なので、回答された音楽家や音大生、そしてクラシック喫茶に集まる人たちはさぞ困ったであろう。
しかし合計300ほどが回収でき、主対象の音楽家の中には熱心にお答えいただいた人もいた。
このアンケート収集結果と若干の分析、というか読み取れることは、小生とK君が深夜まで3日間かかって纏めたものだ。
1967年は小生がDRACに入部した年で、その時のリーダーはF先輩であった。
この人がいなかったら、このような…今考えると大胆不敵ではあるが、いまだかつて何処の誰もなし得なかったこと、そして生の声という貴重な情報を収集できたと自負するものである。
よってここに、その活動報告の一部としてDRAC機関誌16号に掲載したものを抜粋した。
機関誌DRACは16.17・19号がすなわち1967.1968.1970と発行されたが、1969年度は大学闘争の影響で発行されなかった。1972年以降は恐らく研究活動すら実施してないと思われる。
by noanoa1970 | 2013-05-18 18:26 | DRAC | Comments(4)
実に意欲的なことが為されていたのですね。
柳田民俗学用語の「常民」が使われている結語は、特に興味深く拝見しました。知識人の在り方が諸分野において問われていた、当時の状況が反映されていると思います。
日本における西洋音楽の受容は、安土桃山期~江戸時代初頭にもありましたが、それは近代における新たなる受容には繋がりませんでした。このことは惜しまれてなりませんが、近代以降の西洋音楽の受容と摂取を考える際にも、それまでの日本音楽史との関係をどう考察して行くかで、日本音楽の担い手たらんと欲した作曲家は苦しんだのだと思います。
音楽とは何かに正面から切り込んだ様な、大作ですね。UPして頂き、本当にありがとうございます。
私は、何もそれへの答えは持ちませんが、次のことが断片的に頭に浮かびます:
・今、急に耳が聴こえなくなって、音楽を聴けなくなると想像するだけで、大変恐ろしく思うこと。
・音楽を聴くことは、自分が有する音の記憶への刺激であるらしいこと。
・数年に一回あるかないかの頻度で夢の中で聴く音楽が、どうもオリジナルの音楽だったりすること。もちろん、私の音楽能力に見合った単純な調べの音楽です。
20才代の頃、心理学関係の本を読むのが好きで、その関係があるのか、私の場合は、音・響きの心理的影響、という基礎的な面で音楽を感覚的に捉える傾向が強いようです。民族的なもの等々は、あくまでも素材として価値があって、もしかすると、その様な素材を使ったことで、聴く人によっては、特別な心理作用が生じるかもしれません。HABABI
今考えれば、生の声をもう少し入れてもよかったのではないかと思います。ただアンケート結果を実名を伏せるにせよ許可をとる時間もありませんで、表面的になってしまったと思います。設問の具体性を推敲すれば、音楽研究の重要なデータとして生きるであろうことは、このようなものは今となっては実施不可能であるからだと少しだけ自負しております。状況を楽観的にとらえている作曲家は皆無に等しかった印象ですし、中にはイデオロギーが潜んでると誤解された人もいました。そういう音楽団体の動きが活発な時代でしたから余計そうだったのでしょう。「労」とか「民」とかいうものです。しかしそれらも無下に否定できないのは、法人作品演奏会を一般のコンサートなど足元にも及ばないほど開催したことです。