矢代秋雄「ピアノ協奏曲」岩城、N響、中村紘子

いずれUPするつもりだった曲だが、ブログ盟友HABABIiさんが最近聞いている曲としてブログに書いていたので、急きょupすることにした。
というのはこの曲は中村紘子が数回録音しているし、NAXOSからも出ている人気の割と高い曲で、演奏の違いもわかるであろうということからである。

まずは仮定から初めて恐縮だが、この曲の冒頭から出るピアノの主題らしきフレーズは、ドヴォルザークのレクイエムの冒頭あるいはドヴォルザークが引用した、バッハのロ短調ミサ「Kyrie eleison」第3曲の引用ではないだろうか。
間宮芳生のvn協奏曲と同様今までかなり聞いてきて、上記の音型とピッタリ一致していることに気がつく事になった。
しかしこのことについて今だかって誰も記述したことがない。

一見非日本的な音楽に聞こえるかもしれないのは、冒頭の主題がバッハの引用だからであろう。
執拗なまでにこのフレーズは、逆になったりしながら姿を変化させるが、楽章を通じ最後までついてくるのである。

小生の仮説は、この曲を矢代の「レクイエム」であり、それは、非日本的な音楽の中に、隠せ切れない日本があリ「声」がある、しかし矢代は弦楽四重奏曲(1955年)交響曲(1958年)チェロ協奏曲(1960年)ピアノ・ソナタ(1961年)を経て、いわば中休み的な期間をおいて、ピアノ協奏曲(1967年)に彼の音楽を凝縮した。
その間には特別これといった作品は書いてない。
この6年間の空白はなにを物語るのかはわかるべくもないが、ピアノ協奏曲の狙い目的の1つは、それまでの自身の音楽への決別であり、「声」だとか「日本風」からの決別、言い換えれば過去の音楽、言葉を変えれば、日本的なる物の追求という考え方に対する「レクイエム」であろう。

ただ誤解があってはいけないので、あえて言うならば、このピアノ協奏曲にも民謡か童謡のおたまじゃくしを取り出して組み合わせたようなところが度々見られるのは、どんなにしたって、日本人の血脈は切ることが出来ないという証なのであろうことを思うものだ。
ピアノソナタは次回UP予定だが、変化の軌跡を聞くと面白いと思う。

ある音楽評論家は「アールヌーヴォー」とこの曲を関連付けた著述をしているが、小生は概念的誘導に寄る「こじつけ」で、音楽そのものがきちんと聴かれてない証拠と観てしまう。

音は直線的かつ切れ味があって鋭い、これは中村の演奏スタイルにもよると思うが、それにしても曲想と「アールヌーヴォー」は隔たりがありすぎだ。

あえて言うのなら「アールデコ」の方が親しいが、それでもそう言う例えができるような類似性は見ることは困難であり、あえてあえて言えば、昭和初期あたりの和風の家の中の応接室と言う感じで、其の空間だけが唯一西洋を感じるが、同時にそれになりきれない、和洋折衷の空間のようだとあえて言うのならそうなる。
東郷 青児の書いた女生のレプリカがかかっていた祖父の家の応接室が思い出される。

もし遠山が、アールヌーヴォーとジャポニズムの関連を念頭に置いていた発言であれば、彼はこの曲の中に「日本的なもの」を感じていたと観て良いとは思う。
しかし其のことに対する言及はなく、いきなりのアールヌーヴォーだったことは物足りなさを覚えてしまった。。

何れにしても曲の印象度は相当高く、これも冒頭のピアノのフレーズによるところがおおきい。


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by noanoa1970 | 2013-01-25 13:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

Commented by Abend5522 at 2013-01-25 23:13
sawyer様、こんばんは。
東郷青児といえば、昔は河原町三条の朝日会館の大壁画(今も入口に小さなレプリカがあります)、今も在るものでは、木屋町の「ソワレ」の看板、グラス、コースターの美人画です。
ドヴォルザークのレクイエム冒頭で確認しました。確かに同じ音型ですね。矢代のP協は何度か聴いているのに、気づきませんでした。
Commented by HABABI at 2013-01-26 12:03 x
sawyerさん、おはようございます
この曲は、NAXOSの他に、1968年録音の中村/岩城/N響によるLPも持っています。中村さんのピアノの音は、やはり華があって、聴き栄えがします。
確かに、ご指摘のドヴォルザーク/バッハの旋律に似た音型が、全体を大きく支配していて、独特の雰囲気を添えていると思います。それが、この曲を比較的親しみ易く、聴き易くしている様にも思います。
丁度今から30年前に、エリオット・カーターの「ピアノソナタ」(1945-1946作曲)やジョン・ケージの「プリペアード・ピアノのためのソナタと間奏曲」(1948年作曲)のLPをよく聴いていたことを思い出しました。これらの音の響きや動きは、聴いていて決して飽きることなく、心地よい緊張をもたらしてくれるので、好きですね。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2013-01-26 12:19
Abendさま。
東郷青児の絵は其の頃は名前さえも知りませんでしたが、色調といい、柔らかなタッチそして大きな目の髪の長い女性は、応接室の扉を開けると目に入り、異次元のような気がしました。ドヴォルザークがバッハを引用しレクイエムを書いたのと、矢代の曲の冒頭の音型が一緒なのは、やはり何かがあると思ってしまいます。偶然とは思えません。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-26 12:34
HABABIさん、おはようございます。
1968年盤であれば同じ物をお持ちだということですね。NAXOS盤は外国人オケと日本人のピアノ
だったような記憶がありますが、演奏の雰囲気はかなり違いますか。68年のアナログの音結構良いですね。ピアノもこれだけ鮮明な録音ですと、よく伝わってきます。バッハ、ドヴォルザーク、矢代のつながりは偶然ではないように思います。バッハ、矢代かもしれませんが。ドヴォレクは、1967年にアンチェルの59年録音がDGより新発売されたのを入手しました。
Commented by HABABI at 2013-01-26 18:56 x
sawyerさん、こんばんは
岡田博美(ピアノ)、湯浅卓雄指揮、アルスター管弦楽団(北アイルランド)の2001年録音は、あまりピアノをクローズアップすることなく、演奏者の個性を出さずに演奏している感じがします。分かり易さという点では、中村/岩城盤がいいように思います。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2013-01-26 19:25
HABABIさん。
この曲は多分外国人がやっても日本人がやっても極端に変化があるというものではないと思いますが、内在する日本の微かな表出は困難かもしれません。中村紘子さんの3種録音を聴き比べてみたいです。