安倍幸明、弦楽四重奏

池内友次郎が弦楽四重奏を作曲したのが1921年、戦争開始直後日本軍の活躍が目立つとき時であったが、安倍幸明の作品は1950年の曲である。
戦後5年、高度成長期直前のことだ。

この頃の文化状況は、1956年だったか「もはや戦後ではない」と言う言葉が象徴するように、日本が高度成長期に突入していこうとする始め、戦後失われてしまったかのような「日本的なるもの」を追求する国民主義的姿勢、それに対する言わば非民族主義的な考え方、グローバルな考え方が相対するかのようになってきた時代でもあった。

左翼的な考え方の持ち主は、民族主義国民楽派など戦争のに魚井が、しそうなものに対し、中味は全く吟味もしないで批判したのもこの時代。

主義思想で必ずしも結ばれたわけではないが、作曲家たちが「会」を結成し始めたのは、何か理由があるはずだが、ここではあえて触れないでおく。

しかし西欧の文化や技術を積極的に取り入れていく中、日本人のアイデンティティを何らかの形で探っていこうとする姿勢が多く見られたのは、50年以降60年代後半まで続くことになる。

どちらが先に脳裏にあったかは大した意味を持たないから省くが、
双方はそんなには違いはないようで、作品群にはそのことが密やかに隠れていることが、今あらためて聴いいてみるとわかるような気がする。

西欧音楽の基礎的知識を先達に学んだ戦後派の音楽の道は、模倣を完璧にこなすことが優先だった1昔前よりは、そうとう険しくなっていったと思われ、西欧の音楽の変化にともなって、先達では学べなかったことを補足するために留学するものが多かった。

ドイツ、フランス一辺倒で学んできたものの、其の枠組を出ないものだったのに対し、新しい留学組みは周辺の国家の音楽的特徴をも視野に入れたようで、今回の安倍幸明は其の最たるものであろうと考えれることが出来そうだ。

最も安倍幸明の場合は、クラウス・プリングスハイムという有能な人に教えてもらったことで、留学こそしなかったが、ワーグナー、R・シュトラウスあたりまでの和声法は身につけたと思われる。

そういった基礎を磨いて彼の場合は、西洋の古典的、新古典的和声に日本の伝統歌をポリフォニックに融合させることを考え実践し得意としたようだ。

曲想から考えると、ヨーロッパ中央というより周辺のスラブ諸国の音楽のような・・・チャイコ、ボロディン、ドヴォルザーク、スメタナなどの国民楽派の音楽を彷彿するような音楽が出来上がっていて、非情に馴染みやすく日本らしさも十分存在する音楽になっている。

同じようなアプローチの小山清茂さんは、
「珍奇を装い、先鋭を競う今の風潮にあって、ドッシリと腰の座ったハッタリのない音楽を書いた」
そして、彼のそう言う音楽性に変化はなく、生涯続いていったというようなことを書いている。

小山さんも同じような手法の作曲家だったから、自画自賛に置き換えられることもできようが、この作品7番の弦楽四重奏では、小山さんの言及、それはあたりだと思っている。

全20曲有る四重奏の中で安倍本人が最も気に入っているという7番。
こういうやさしく聞こえる曲、書けそうでなかなか書けないのではないだろうか。

先に指摘した様々な国民楽派的な音楽エキスは、多く導入されているが、とにかく聴いていてワクワクするような音楽である。
そして「あっ、やってるな」と微笑んでしまうところも多いが、それが鼻につかないように仕上がってるのは、日本的土壌が再育成されつつある証拠であろう。


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by noanoa1970 | 2013-01-20 17:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by Abend5522 at 2013-01-20 21:05
sawyer様、こんばんは。
確かに、思わず微笑んでしまうところが多い曲ですね。大変親しみ易く、聴いていて楽しくなります。弦四を多く作ったということは、和声への探究心が強かったのではと思います。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-21 11:47
Abendさま。
新技法百花繚乱の時代に、新しい手法を使いたくなるのをあえてそうしないで、伝統的形式の中で、自分の道を切り開き、なおかつ親しみやすい曲に仕上げたのは称賛に値しますね。ブラームスのようで小生は好きです。