伊福部昭の「交響詩譚」

本来ならば、彼の初作品で、チェレプニン賞第1位に輝いた「日本狂詩曲」をと思ったのだが、土俗的で面白いには面白く、まるでゴジラの映画音楽のようなオスチナートで溢れているが、どうしてもゴジラの音楽とリズムが被ってしまう。
よって小生はこちら「交響詩譚」が好みである。

2つの楽章にわかれていて1楽章は「田植歌」のような感じのフレーズを引用ではなく自作?し、稲を植えるときの、動作をリズムと一緒に表現しているようなところを入れ込んでいる。
さきに「七人の侍」のラストシーンを彷彿させるといった音楽よりも強くあのシーンガ浮かんでくる。

2楽章ではよく耳にする民謡が引用されていると思うが、それが何かといえば「会津磐梯山は・・・・」であろう。北の方の民謡が引用されたと解説にあるが、はっきりしたことではなかろうか。
一緒に、他の民謡(ちゃっきり節のように聞こえる)も対旋律を奏でるので、引用元の言及を避けたのだろうか。
伊福部本人は、1楽章でリズムを、2楽章ではメロディーを重点にしたというが、リズム感は両方共に強い。
それがくり返されるのが伊福部の特徴の一つであろう。

「日本狂詩曲」は、国内ではひどい仕打ちにあったそうだが、外国で評価が定まると、それで初めて伊福部は楽壇に登場できたという。
北大という音楽非派閥の出自だからこういうことは日常茶飯事だったのだろう。
チェレプニン賞の審査員には、ルーセル、イベール、オネゲル、やけに仏音楽の有名人が多いように思うが、
計8名の審査でチェレプニン賞第1位になったのが1935年。
第2次対戦前のことで良かったと思う。
在野の音楽家だから成し得た業績と称賛され、かのレイボヴィッツもこの曲に対して論評したほどだそうだ。

アレだけこれでもかこれでもかというふうに、同じリリズムパーターンを繰り返しつつ、少しづつ変化していくさまは、ストラヴィンスキーとは違った方言で満ちていて、ものすごい印象度を与えるにふさわしかっただろう。

次回は「日本狂詩曲」UP予定。


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by noanoa1970 | 2013-01-15 16:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

Commented by Abend5522 at 2013-01-15 18:30
sawyer様、こんばんは。
第二譚詩でフルートが奏するメロディーは、後に『ゴジラ』で大戸島の神楽に流用されています。プロコフィエフのピアノ協奏曲と似た部分があるともいわれていますが、確認はしておりません。
戦時中の作品ですが、伊福部は林野庁の技術者であったために徴兵を免れたのでしょうか。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-15 21:42
Abendさま。
プロコに似ているというより、プロコが日本民謡を取り入れたので似ていると言われるのでしょう。3番のピアノ協奏曲の終楽章に越後獅子が引用されています。来日した時に耳にしたのでしょうか。支那事変が始まるのが1937年ですから、この曲ができた時伊福部さんは30歳ちょっとですね。普通なら徴兵でしょうが、彼は軍属扱いであった可能性がありますね。ウイキには戦時科学研究員として働いたとあります。小津安二郎も軍属として南方戦線の、バックヤードで働いたとされますが実際には外国映画ばかり見ていたそうです。
Commented by Abend5522 at 2013-01-15 21:58
sawyer様
プロコフィエフが来日した時に感銘を受けて取り入れたのですね。ありがとうございます。
軍属ならば、徴兵の対象にはなりませんね。伊福部の場合は内地で戦中を過ごしたとはいえ、空襲で命を失わなかったのは幸運といえましょうか。