間宮芳生「合唱のためのコンポジション」から「子供の領分」

「姉三六角蛸錦・・・・」が入ってるはずだと聴いてみたが、思い違いだったようで、「子供の領分」という副題が付いている間宮芳生さんの「合唱のためのコンポジション5番」には入ってなかった。

「子供の領分」は、各地の戦前戦後の童歌を、近代風の音楽に乗せて、少年少女合唱で歌わせている。
日本語の持つ音楽性ということに対する間宮の研究はかなり熱心だったようで、囃子言葉や声明に及ぶフィールド収集の結果、日本語の持つ音楽性を、単にメロディーラインに乗せるというよりも、抑揚とリズムを導き出したようだ。

知っているものも有れば知らないものも、歌詞が変更され伝えられたものもある。
小学校低学年の夏、京都の祖母のところに10日間いたことがあって、隣近所の子供と仲良くなると、ア類比「地蔵盆」だから一緒に集まりに来いと誘いがかかった。
「地蔵盆」という言葉は聞いたことがなかったから何をするのか不安だったが、行って見ると10数人の子供と、大学生ぐらいのお兄さんがいて、皆でゲームをしたり歌ったりするのだった。

そこで初めて聴いたのが「羅漢さんがそろたら回そじゃないか ヨイヤサのヨイヤサ ヨイヤサ・・・」で、手だけで何かを回すふりだけでしたが、本当は数珠を回すとabendさんから教わったことがありました。
同じ調子のものが収録されていますが、歌詞は違っています。
童歌はその節に合わせそれぞれの地方で歌詞が変化していくスピードがより激しいのも、面白い特徴だと思います。

言葉の足し算という、遊びも取り入れ言葉が増えていくのを同じ音の長さの中に閉じ込めるので、必然的に、早口言葉になります。
こういった様々な遊びの要素が童歌にあることに間宮さんは着眼したと思われます。

現在間宮さんが引用した童歌は恐らく大半が生きてはいなく、われわれ世代以上の年代の人の思い出となってしまっているのだろうが、その頃の思い出でと共に聴くというだけでも、今は価値があるようにももう次第。

次回UP予定の「鳥獣戯画」では、ジャズのイディオムを取り入れて、平安期の絵巻物とそこから連想されるものを融合させてみた。
そこからは庶民の暮らしぶりや僧侶の堕落の様子、それらを風刺しからかう視点、それらから伝統的歌謡や宗教音楽のリズム、高揚感を引用し生き生きとする曲に仕上げた手腕は見事だ。



以下は高石ともやとナターシャセブンによる京の童歌。

[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-14 16:13 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

Commented by Abend5522 at 2013-01-14 18:07
sawyer様、こんばんは。
歌詞やメロディーに違いはあるものの、知っている唄が幾つかありました。
今も昔も、子供の世界は残酷さに充ちています。「本当は怖いわらべ唄」ですね。娘のために作られたドビュッシーの『子供の領分』と全く異なる世界を、間宮は見事に表現しています。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-14 18:30
Abendさま。
そうですね。今なら完全に「イジメ」となるようなものもありますね。
「いっしんせんそう」というお囃子のような言葉は、維新戦争すなわち戊辰戦争だということがわかりました。初めて聴いた時には日清戦争だと思っていました。数え歌もその時代を反映するものですね。この組曲は6番までですが間宮は9番まで書きたかったようなことを言いつつ、それでも1つ1つ丁寧に仕上げたから、これでいいのだ、というようなことを言ってるので、かなり自信があったと思われます。
Commented by Abend5522 at 2013-01-14 19:02
sawyer様
戊辰の時代は「戦役」あるいは「役」が一般的でしたから、「戦争」という表現が広く使われるようになってから出来た唄ではないでしょうか。
間宮は、わらべ唄、数え唄に示された時代状況にも大きな関心があったと思います。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-14 21:56
Abendさま。
成瀬、溝口、小津といった映画監督は1950年台に、失われた日本的価値観の復興を影で支えてきたように思います。
音楽もほぼ同時に50年代後期からは日本再発見というものがテーマの1つにあったように思います。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-14 21:56
西欧のくにぐにが古くから自国の古い民謡や民話を収集して残したのに刺激されたのか、民謡に着目はしましたが、残念ながら、どの作曲でも自国に伝わる唄や曲を取り込むことをやってきました。それは収集家がいた事から可能になったのです。音楽大国には、必ず民踊民話収集家がいて財産として残して来ました。全国各地の民謡を全て網羅した人間は存在しなかったようです。作曲家ではできませんからやはり時の政府、日本文化に関心なる人たちが援助しなければいけなかったのですが、今も昔も相変わりませんね。国民に密接に関わっている文化をないがしろにして戦後レジュームの復興を叫んでますが、在野の民謡収集家に協力していただきありとあらゆる民謡もしくはそのたぐい、わらべうたもそうですし戯れ歌や春歌もそうですが、収集し残し置かないと大切な財産を失うことに・・もうかなり失われていつつあると思いますが。この前亡くなった小沢さんは物売りの声を収集したと聞いてますが、こういうものは非情に貴重です。
底がつきるような引用元では良い音楽は生まれません。
豊富な音楽資源があってこそ、それを越えていく新しさと美しさを伴ったものが生まれるでしょう。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-14 21:56
大政奉還に象徴的な戊辰の役を維新戦争と読んだのは明治期でしょうね。
Commented by Abend5522 at 2013-01-14 22:51
sawyer様
継承者がいなくなった民謡はかなりの数にのぼるのではないでしょうか。伝承の過程で様々に変容させられて行くのは仕方のないことですが、全国津々浦々を網羅した民謡の保存ということになりますと、日本文化を叫んでも碌に金も出さない政府には期待できませんね。私のブログにアップした三味線協奏曲は、ロームが作っているミュージックファンデーションの一枚ですが、民謡においても民間企業の文化事業でやって欲しいものです。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-14 23:16
Abendさま。
所謂日本人の民踊も捨て去る国ですから、少数民族といわれる人たちのものなど全く関与しないでしょうね。こういう体質は、経済が良くなっても同じでしょう。文化庁を文化省にして、官僚や国会議員から切離して日本文化を考えられる人を当てたいですね。
コーディネートできうる予算獲得すればそんなにも難しくはないと思います。予算獲得のプレゼンは必要ですが、西欧の歴史的取り組み姿勢などを盛り込めば、外国に弱いから何とか出来そうに思いますが、実際は難しいでしょう。民官に任せるために資金援助をするぐらいは何とかやれないんでしょうか。