矢代秋雄「交響曲」

「日本人初の交響曲らしい交響曲」、そういった人がいたが、小生の耳にはそうは思えない。
1つのテーマを様々な形で変化させていってまた戻ってくるという循環形式的な音楽で、祭りのお囃子の太鼓をモチーフにして、それをデュティーユあたり(真っ先に浮かんだ)の和声の使い方と、近代末期の新古典主義的音楽語法によって完成したような気がする。
ソナタ形式とは考えにくく、「交響曲らしい交響曲」の意味がよくわからないが、それはともかく、日本のリズムを使って入るが、それ以外は日本的なものは感じにくい音楽で、矢代秋雄の場合は日本的という民族主義的なものからは遠い存在であったのかもしれない。
しかしチェロ協奏曲のように、日本情緒が時折顔を出すこともあって、自分の作風がまだ固まらないうちに早世してしまったようだ。
評価スべきは、リズム変化が非情に面白く、よく練られた曲であると思う。
プロコと同等以上のものに思えることがある。

(youtubeに誤って岩城宏之指揮N響としたが、渡邉暁雄指揮日フィルのまちがいでした)

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by noanoa1970 | 2013-01-12 12:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

Commented by Abend5522 at 2013-01-12 14:11
sawyer様、こんにちは。
20世紀になると、交響曲は管弦楽のためのソナタという基本様式を離れ、いわば名のみになって行きます。この作品は、循環様式とポイント点としての打楽器の使い方が特徴ですね。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-12 18:22
Abendさま、こんばんは。
そうですね。お祭太鼓や拍子木?がついて回りますね。よほど印象付たかんたのでしょうか。少年時に聴いたお真鶴林だとすると、曲の印象も変わってくるのですが、情報はありませんでした。
Commented by Abend5522 at 2013-01-12 19:22
sawyer様、こんばんは。
拍子木が妙に印象的です。町内の組長をやっていた時に、拍子木を打ちながら火の用心を呼びかけて歩いたことがありますが、非常に良く響きますね。
民謡や土俗のリズム、あるいは邦楽器を使って作られた諸作品には、邦人作品を世界に伍させて行こうとする勢いがあったと思います。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-12 20:13
Abendさま。
解説の何処を探してもそのようなことは書かれてていませんが、小生もそうですが、お祭り、町内会の集まり、火の用心の区域内の見まわり、恐らくそういった少年期体験が生かされていると考えられますね。諸外国を意識していたことは、作曲家のみならずレコード会社もその他関わる人たちの共通認識だったと思います。英文表示の解説もその一環だったでしょう。外山さんのラプソディーは、本人は日本的なものを意識してないような事を言ってましたが本音は違うと思ってます。音楽を聞けば決してあり得ませんね。分かりやすだも手伝って海外では抜群の人気で、N響海外公園では必ず演奏されたようです。現在はやってるようには聞きませんが。
Commented by Abend5522 at 2013-01-12 23:38
sawyer様
日本の、多分に異民族的な土俗の要素を取り入れたという点では伊福部昭が第一人者でしょうが、傾向が全く異なる芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎が伊福部の弟子であったことは興味深いですね。その一方で、『ノヴェンバー・ステップス』で一大メルクマールを成した武満徹がいたわけですが。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-13 13:10
Abendさま。
伊福部さんは、クーセヴィキーの関係者の依頼で「日本狂詩曲」を作曲し、それをパリのチェレプニン賞にも出したのですが、審査員の中にラヴェルがいたことは運が良かったといえるでしょう。日本での伊福部は在野の出身ということで、音楽閥からは毛嫌い、排斥されかかりましたが、海外で賞を獲得しようやく音壇に登れたわけですね。弟子たちも音は異なるものの民族固有のリズムというものは影響を受けていていて、ワールドワイドな活用したように小生は思うのですが。音楽大学でまなびましたが、音楽閥からは反れた人たちで、3人の会を形成しましたね。
これは大いなる推測で誤解を恐れずに言うのなら、伊福部さんは北方少数民族の出自ではないかと思うことがあります。
音大を出て海外で学んだ人たちもそこそこですが、やはり在野の人のほうが形式にとらわれない自由な発想ができたのでしょう。武満さんもその一人です。しかし彼も、先輩の音楽を吸収した形跡が多分にありますが。模倣し追い越すのが運命ですね。
Commented by Abend5522 at 2013-01-13 18:21
sawyer様、こんばんは。
音楽学校や美術学校を大学にしやのは、戦後の学制改革の誤りだと常々思っています。また、日本には音楽院というものが存在しないのも問題です。芸術は才能とその伸長が全てですから、年齢や学歴は問題にならないはずです。
Commented by noanoa1970 at 2013-01-13 22:42
Abendさま、こんばんは。
そろそろ、というか遅いですが反アカデミズムを本当に考えないとダメですね。徒弟制度でつながるのが師弟関係。一昔前は楽器を買うのも先生経由でしか買うことが出来ないということもありました。音楽やってても、その道の人たちと同じピンハネあるいは業者からマージンもらうのは、そこらじゅうでした。医局制度と同じような構造を持っていたようです。今はそれほどでもないでしょうが。新人が出ると、必ず誰々に師事という書き方を、プロフィールにします。音楽院に関して、小生はピアノヤバイオリンを少年期まで習ったのに高校受験でやめてしまい、その延長にある人たちがもったいないと思っています。オーケストラに入る目的を持った人材を育てていくには、音楽院で学ぶ方法しかないでしょう。モーツァルティウムでもパリ音楽院でも基礎ができるとオケに入って訓練を受けるようですから。ソロデビュー出来る人は1000人に一人もいないでしょうが、オケならばキャパは広がりますから、第1オケ第2オケという具合に、裾野を広げ力を付けたいですね。