コンヴィチュニー「チャイコフスキー5番」、ベルリンラジオ放送交響楽団

コンヴィチュニーのチャイコフスキーの交響曲は、4番がすでに復刻されその凄まじい迫真の演奏は、チャイコフスキーの甘味さを吹き飛ばすような素晴らしい演奏だった。
この5番は、それを上回るような演奏だ。
これでもかと、泣きわめき、すすり泣き、甘え、時には媚を売るチャイコフスキーの音楽だが、コンヴィチュニーは、彼の許容範囲を超えるのをひたすら我慢しつつ進めていく。
音楽が甘くなることを抑えながらもダイナミクスは十分。
ひたすらチャイコフスキーの弱点を補完するような演奏スタイルだから、いつまでも未練がましいこの音楽も聞き疲れはしない。
チャイコフスキーの欠陥は、「運命の動機」を弄んだこと。
筋書きが支持滅裂で、混乱の音楽だと言ってよい。
言葉は良くないが躁鬱病的な音楽だ。
それをコンヴィチュニーは、持ち前の演奏における構築という技術で補完した。

終楽章のコーダにコンヴィチュニーのこの曲に対する解釈がすべて現れているような気がしてならない。
今まで、さんざんいうことを聴いてきたが、もう2度とない、これで本当の最後だ・・・
そんな声が聴こえてきそうな、コンヴィチュニーのチャイコフスキーである。




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by noanoa1970 | 2012-12-26 06:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by Abend5522 at 2012-12-26 18:23
sawyer様、こんばんは。
切ない民謡風のメロディーを作らせたら、チャイコフスキーの右に出る者はいないでしょう。『冬の日の幻想』の第二楽章などがその好例です。しかし、それはヴェルディがプッチーニを評した如く、メロディーというものに引っ張られ過ぎていることでもあります。交響曲や協奏曲においては、それが大きなマイナスになっていると思います。
Commented by noanoa1970 at 2012-12-26 20:19
Abendさま、こんばんは。
やはりコンヴィチュニー、只者じゃないですね。