白鳥を食べる人とは何者か

ヒンデミットの「白鳥を焼く男」は、直訳では「白鳥を回す」ということであるらしい。
おっしゃるように「回す」ということは炙り焼のとき、串刺しにしたものを回転させるという意味と思ってよい。
英国ではすべての白鳥は女王陛下の管理下に置かれているといい、それは古来から貴族の食料用にされていた名残、すなわち白鳥を食べることが出来たのは、貴族階級に限られたという事だ。
英国では古には白鳥を食べていたということになる。

英国では貴族が白鳥を食べていたのだが、他の国や地域では狩りができる庶民やそれを入手して食することはあるのだろうと推測でき、食料が潤沢ではなかった時代、タンパク質源として鳥はなんでも食べられてしまうということで、中に白鳥が混じっても不思議ではない。

白鳥の肉が美味しいかどうかはわからないが、英国で貴族専用であったということは、食料確保のための保護政策と結びつく。また身分と食との相関関係を表すという事にもなる。

日本でも白鳥を献上品としたという事が文献に残るようだし、美しいがあの大きさだだから、1羽で複数のお腹を満たしたことだろう。
だから古代から中世、いや近世まで白鳥は食べられていたということになる可能性が高い。
禁止された理由とその年代を調べなくてはならないが、いつの世にも密漁というものがあり、更に時代は近年に近づくのかもしれない。

日本では白鳥伝説(ヤマトタケル)が庶民に広まった頃だと思うし、ドイツでは白鳥の騎士伝説が流布しだした頃だと考えられる。イングランドではアーサー王の伝説があっても人種が違うので、アイルランド、ウエールズ、スコットランドとは違って白鳥は相当長いこと食べられていたのかもしれない。

イギリス人をビーフィーター、beefeater牛を食べる人種と呼ぶこともあり、ジンの名前にもなっているが、ヴァイキングのノルマン人が支配したこともあるから、白鳥が食べられたのではないか。
キリスト教と白鳥には関係するものが認められないが、各国に白鳥を神格化する傾向があるのは、面白いことだ。そういった民族の神話が表立って復活するのと白鳥を食べる習慣がなくなっていったのは関係するのかもしれない。
ロマン主義時代の18世紀が怪しいと小生は思ってる。

ヒンデミットが引用した民謡の出自が果たして本当にドイツなのか、いつ頃成立したのかという疑問があるが、一応ドイツ民謡と言われている「白鳥の肉を焼く男」の男をどのように解釈したらよいかの答えは簡単ではないが、「職業漁師」「貴族の調理番」「異民族の・・・例えばロマ」「野蛮人」「怖そうな人」「勇敢な人」「狩猟民族」など、それらの人のことが歌われたように思うが、本歌が入手できないので、これが子供の歌なのか、そうでないのか、そして誰もが知っていて現代に伝わるものなのか、今のところは不明である。

アイルランド古謡が元だとすると、白鳥殺しから、「婚約者殺し」「女生殺し」という意味を持つことになる。

ヒンデミットの音楽語法のせいなのか、通常民謡の引用は、出自は曖昧でも近代現代まで残るものが多いのだが、「白鳥・・・・」の場合これだというものにはたどり着かない。
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by noanoa1970 | 2012-11-18 06:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(10)

Commented by Abend5522 at 2012-11-18 18:00
sawyer様、こんばんは。
『太平記』に、派手な振る舞いで有名な佐々木道誉が都落ちをする際、自邸に入る敵将のために豪華なしつらえをしておく場面があるのですが、その中に次のような箇所があります。

「十二間の遠侍には、鳥、兔、雉、白鳥、三竿に懸けならべ、三石入りばかりなる大筒に酒を湛たへ」

十二間もある遠待(宿直室)に、酒の肴として竿に刺した白鳥の肉を置いたということです。南北朝時代の我が国で、白鳥が食されていたことがわかりますね。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-18 20:19
Abendさま、こんばんは。貴重な情報ありがとうございました。
太平記に記述があるとは思いもしませんでした。婆沙羅大名だから少々派手で奇異なものという前提はありましょうが、白鳥が食されたのは事実ということになりますね。イギリスのように貴族だけの特権だったのか、庶民まで食したのかは知りたいところですが、どうやら白鳥の肉は美味しいと言う予感がします。雉子は食べたことがありますが美味しかったです。婆沙羅については、以前から興味がありましたので、勉強したいと思います。
Commented by Abend5522 at 2012-11-19 23:19
sawyer様、こんばんは。
婆沙羅は佛教語ですので、また意見交換ができればと思います。
白鳥は和語で「しらとり」ですが、『太平記』では「鳥」と別に記されているのが面白いですね。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-20 06:51
Abendさま、おはようございます。
「鳥」と「白鳥」「雉子」を区別して描かれていること、小生も気になってました。「鳥」というのが気小型の鳥の総称ななのか、それとも鶏鳥ということなのか。大勢の人に提供したということから推測すれば鶏の可能性が高いと思いますが。
混乱の世の中で婆沙羅人が、文化の中心ではない近江、美濃という場所から出たのか、信長や前田の「かぶきものに」通じるようにも思います。古田織部の織部焼に、それらの特徴を見ることもできそうです。彼らの美学の要素も知りたいところです。日本のルネサンスと捉えることが可能かもしれないと思ったりしています。
Commented by Abend5522 at 2012-11-21 23:33
sawyer様、こんばんは。
古語では、総称以外で使われる「鳥」は「鶏」のことですので、おっしゃるとおりです。この用法は今もありますね。私も使います。
「婆娑羅」はサンスクリット語「ヴァジュラ(金剛)」の音写で、「伐折羅」とも記されます。薬師如来を守護する十二神将の一体が伐折羅大将です。ヴァジュラと婆娑羅大名がどう結びつくのか、理解しにくいのですが、「かぶき者」は「傾き者」ですからイメージがつかみ易いですね。
室町幕府は婆娑羅禁止令を出していますが、南北朝から安土桃山期にかけての日本史は魅力的です。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-22 07:46
Abendさま、おはようございます。
婆娑羅禁止令が出たということは、そうしたことが蔓延していた、・・・流行度が強かったということですね。背景に何かあると思っているのですが、なかなか正体がつかめません。現在のようにマスメディアやコミュニケーションツールが未発達ですから、流行ファッションとは考えにくいので、革命的思考のようなものがあったのかもしれませんが、これも断定に至るものはありません。ただ面白いのは、西欧のルネッサンスとほぼ時代を同じくしているということです。
Commented by Abend5522 at 2012-11-22 18:31
sawyer様、こんばんは。
婆娑羅禁止令は、建武式目第一条「倹約行はるべき事」にあります。

「近日婆左羅と号して、専ら過差を好み、綾羅錦繍・精好銀剣・風流服飾、目を驚かさざるはなし。 頗る物狂と謂ふべきか。 富者はいよいよこれを誇り、貧者は及ばざるを恥づ。 俗の凋弊これより甚だしきはなし。 もつとも厳制あるべきか。」

「過差(分不相応な身なりや行い)」を好むのが婆娑羅ですから、為政者がこれを危険視したのは、身分秩序の崩壊に繋がるからだと思います。


Commented by noanoa1970 at 2012-11-23 11:36
Abendさま、おはようございます。
建武式目第一条「倹約行はるべき事」に婆娑羅禁止があること、ご教示ありがとうございます。婆娑羅がどのような階層まで流行したのか調べる必要がありますが、婆娑羅大名と下位人の婆娑羅とは分けて考える必要があるかもしれません。ご教示いただいたのは一種の倹約令で、婆娑羅は質実剛健という鎌倉の武士の姿とは似つかぬものであるがゆえのこと。と言うことは、そういう気風が段々薄れて来ていたと考えてもいいように思います。幕府の中央集権力が落ちてきたということにもなりましょうか。それと奇異なものへの興味と実践として婆娑羅ファッションがあったようにも思います。
Commented by Abend5522 at 2012-11-24 01:23
sawyer様、こんばんは。
「二条河原落書」には、「バサラ扇ノ五骨」も当時の京都で流行ったものとして挙げられています。普通のものより少ない骨で作った扇に、婆娑羅絵と呼ばれた派手な風俗絵が描かれたものです。
婆娑羅は、かぶき、風流、数寄などと同様、乱世に現れた美学ですね。過差もこれらに通ずるものですが、こちらは藤原氏全盛の平安朝において、一部の高級貴族に見られました。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-24 05:50
Abendさま、おはようございます。
「バサラ扇ノ五骨」の情報ありがとうございます。武士だけでなく庶民階級のにまで流行したと言えますね。
高師直のこと調べだしています。太平記の世界にしばらく浸かる予感ですが、複雑なのでまだ整理がつきません。「二条河原落書」意味がわからぬところがありますのでsの約があるサイト見つけました。婆娑羅の成立流行との関係性が少し見えますね。

http://www12.ocn.ne.jp/~dodgson/d-meiyaku.htm