「柳」に纏わる仮説

以前から気になっていたことがある。
それは「柳」の木が、音楽上でかなり目に付くからである。
それで、もしかしたら「柳」は有る集団にとって、ものすごく意味を持ってきた樹木ではないかと想像したのだった。

以下の動画は、ヴェルディの「オテロ」で、デスデモーナが歌う「柳の歌」である。
不気味に何かを告げるような5音階調の序奏の後、母親が歌っていたといい、デスデモーナが劇中で歌うが、その時の音楽はグレートブリテンによく有る古謡のようなメロディーに変化している。
歌劇中歌をGB民謡風にするという芸の細かさ、このあたり、ヴェルディはすごい。

なぜそんなことに注目したのかというと、アイルランドからアメリカに移民してきた人たちの多くが定住した、アパラチア山脈の麓で、故郷の古い詩を歌って、故郷や昔を偲びつつ生活し、それが彼らの子孫に伝えられたものの中に「Bury Me Beneath The Willow」(私を柳の木の下に埋めて)という曲があることを知っていたからだ。
きっかけは、アメリカンフォークソングの元祖、「カーターファミリー」が録音した最初のアルバム、に録音されていたからであった。
1927年に録音された彼らのデビューアルバムの最初に、「Bury Me Beneath The Willow」を録音したことに、彼らの故郷に対する音楽魂があるような気がしてならない。
多くの人が歌っているが、ここはやはり、オリジナルカーターファミリーで。

詩の大意は、結婚式を上げるまでになっていた男が、別の相手に走ってしまい、愛も結婚も幻となってしまった女が、誰かに、柳の木の下に埋めてくれと頼んで、悲しみのあまり自殺してしまう。
あの柳尾の下に埋めてくれれば、きっと彼も、私が柳の下に眠っていることを知って思い出すことでしょう・・・・
偽りの結婚とそれによる死という内容(結婚式直前に殺される話はオールドバラッドに多い)と、4行誌であることから、出自がグレートブリテンのアイリッシュ、スコティシュのオールドバラッドであることの推測がつく。

カーターファミリーの先祖がアイルランドかスコットランドから持ってきて、歌い継がれたものとしても良いだろう。

一方ロシアの古謡にも「揺れる柳」という歌がある。(残念ながら詩の内容はつかめ無いが、陰鬱な気分のメロディーであった)

「オテロ」と同じシェイクスピアの「ハムレット」においては、オフェーリアが死ぬのが、河のそばの柳の木の下。

また、アン・ロネルがガーシュインに贈った有名な、「柳よ泣いておくれ」という曲があり、「しだれ柳よ
、私を哀れんで泣いておくれ、その枝を地に着くまで深く垂れて、私を覆っておくれ、闇がおりる時枝を垂れて 私のために泣いておくれ」
と、こちらは柳の木に、失恋した自分の哀れな姿を投影するものであり、柳の下に埋められている女性を想像させるものだ。

ルイスキャロルの詩「The Willow Tree」の中に、「あなたをこよなく愛した乙女、ここに眠る、この柳の木の下で」と、失恋と死に関係するようなものがあり、これも「柳」が死の象徴的に扱われている。

アイリッシュフォークソングにもイェーツが取材したと言う、「Down By The Sally Gardens」があり、「柳の庭を下ったところで愛する人と逢った・・・だが思いを遂げられなかった」という男側からの悲恋が歌われる。

イギリスの作曲家ジョージ・バターワースには、'the banks of green willow'(柳青める堤)という美しい曲があるが、作曲の経緯は不明である。

以上のことを集めて俯瞰してみると、「柳」はとくにGB地方で、悲恋や死とともに出現してくることの多い植物であることがわかってくる。

その姿からなのか、「しだれ柳」は、死体を埋まる場所として使われることが多い。
時代を超えてこれだけの「柳」が音楽や誌や演劇に登場することから見ると、かなり古くからの習俗あるいは何かの象徴およびトーテムだった可能性がなきにしもあらずだ。

一説には、柳は死と縁が深く、中国やトルコでは墓地に植えられるという。
柳の花言葉が存在していることなど、思いもしなかったのだが、英語圏ではしだれ柳を、weeping willowといいイギリスでは死者への嘆き、フランスでは憂鬱、悲哀、苦難といいう意味が花言葉にになっている。
これらは、屈強や不屈といった柳のもつ木の性格の真反対のようなことばかりだ。

花言葉の歴史には、古いものもあれば、新しいものも混在するようだから、それぞれの作品が作られたのが先か、花言葉が先かははっきりしない。

小生は料理もするので、柳葉庖丁を持っているが、これは明らかに柳の葉に似ているからであろう。
そして同じく料理の世界では、「柳の1枚板で造ったまな板」は、最高級品である。

東アジアでの「柳」を調べると、
唐の長安では旅立つ人に柳の枝を折って手渡し送る習慣があったというが、柳のように強く生きてくださいということと、柳の強い生命力になぞらえて、再会、復活の意味が隠されていると考えられる。

葉にサリチル酸を含むことから、解熱鎮痛薬としても用いられ後にアスピリンとなったとウイキペディアが教えてくれた。
ここらあたりに、柳がトーテムとして成り立った地域があったのではないかと想像させ、高熱で死ぬ間際の人にも人に柳のエキスが薬とされ用いられたが、それでも虚しく死んでいく人があったので、苦痛や、死、悲劇などと結びついていったのかもしれない。

古代の人は、柳の生命力に着目していた形跡があり、水に浸かっても生命力を保つ柳を、防水の木として河川の反乱を押さえるために活用したらしい。
近代川岸に柳の木を植えるのはそのためだったのだろう。

柳の木の下に埋めてもらえば、死んでもまた復活できると信じていたと仮定するには少々無理があるのは承知だが、これだけ柳の絡んだ作品に触れると、まんざら空想でもないような気がしてくる。

「柳」=「死」「苦難」「苦痛」「悲恋」≒「復活」「甦り」「再生」「再会」・・・柳が出てくる作品には、死と同時に数々の願望が隠れていると思って差し支えないのではないだろうか。
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by noanoa1970 | 2012-11-02 23:44 | 歴史 | Comments(2)

Commented by Abend5522 at 2012-11-03 21:55
sawyer様、こんばんは。
日本の伝承には、柳の古木が「柳婆」なる変化となり、人を誑かすとありますが、それが持っている楊枝には万病を癒す力があるそうです。
佛教では、楊柳観音が有名です。右手に楊枝を持ち、それで病苦を除くとされています。その像や絵は柔和な顔のものが殆どなのですが、奈良の大安寺にある天平佛は忿怒形で、これは気になるところです。なお、祇園祭の南観音山は楊柳観音を本尊としており、山には楊枝が装着されています。山鉾巡行後には、これが無病息災の縁起物として授与されます。
柳に万病治癒があるということは、換言すれば、禍々しきものを吸収して封ずるということで、そのためには、柳が禍々しきものを超える大凶器たる必要があるのだと考えます。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-03 22:53
Abendさま、こんばんは。
面白い話をご教示いただきありがとうございます。
調べましたら、仏教医学でも柳は薬効があるというようですし、柳の木で造った仏像も有るようです。ご教示頂いた楊柳観音は名実ともに痛み止めとして存在するようです。今思い出したのですが、シューベルトの「魔王」に、坊やが熱にうなされて、悪魔が見えるといったのを、父親が、あれは柳だよというところがあります。それは多分、柳が後に「悪魔」とされた異民族のトーテムであったことを物語るように思うのです。坊やに柳が悪魔の化身であることを語らせたのは、ゲーテの詩ですが、それは、ヘルダーが収集した古い民話集がヒントになったことによるものです。柳をトーテムとする民族が征服される過程で、そのトーテムを悪魔の化身=魔術使い=病気を治す力を持つ・・としていったことが民話の裏に隠されているのだと考えます。
>柳に万病治癒があるということは、換言すれば、禍々しきものを吸収して封ずるということで、そのためには、柳が禍々しきものを超える大凶器たる必要があるのだと考えます。
上のabendさまの言及は、注目スべき点であると思います。