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知られざる演奏家のチャイコフスキー5番

最近でこそこの人の名前を知ってる方も少しは増えたようだが、1960年代初期に熱心な音楽愛好家であった人意外はその名前は知らないといってよいだろう。
小生も偶然クラシック全集にソの名前があったので知ったのだが、どうせ三流の指揮者だと勝手に思っていた。トスカニーニ、ワルター、フルヴェン、カラヤン、追ってライナー、セル、ベームの時代だったからそれ以外はみな三流なのだ。
その中には最も気に入っている指揮者コンヴィチュニーのベートーヴェンもあった。

さてチャイコフスキーの作品は、熱愛者とそうでない人に二分されるようだ。
学生時代の音楽サークルでは、毛嫌いする人間とそうでない人間がいた。
その理由は恐らく、どの曲を聴いても、聞く人に媚びを売るかのような甘い旋律と、見せかけの威勢良さなんだろうと思うことがある。

ベートーヴェンの5番と比べるのは無理があるが、同じ「動機」を使っているから、それは比較される運命にあるのだろう。

今日は、ふだんあまり聴かないが、超有名なチャイコフスキーの5番の交響曲を選択した。
誰の演奏でも良かったのだが、生まれて初めて全曲を聞くことになった演奏をチョイスしてみた。

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大昔LPで聴いていたものが、近年CD復刻されたものだが、この指揮者の名は殆ど知られてない。
録音データがその昔は全くなかったが、復刻されたものは、かなり多くの情報が記載された。
レオポルド・ルートヴィヒ指揮、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年ハンブルク・クルトゥアラウム
原盤はオイロディスクで、60年にしては多くないステレオ録音である。

5番の交響曲(チャイ5)には、名演と言われるものが多数存在し、歴代の指揮者でこの曲を振ってない人はいないぐらいで、かのフルトヴェングラーでさえ降っているし、ストコフスキー、ムラヴィンスキー、カラヤンにいたってはかなりの数の録音を残している。
従って全ての録音を収集するのは困難なぐらいである。
多分視聴者受けするのだろうことは、推測可能だし指揮者による、あるいは同じ指揮者でも違う表情を見せることができる曲だからなのか、マニアックな好事家の中に、チャイ5ばかり収集している人もWEBで見かける。

小生のようなひねくれ者は、いつでも入手できそうな、いわゆる名演と呼ばれるものは避けたくなるのがいつものこと。

チャイ5は、フランツ・コンヴィチュニーを主に、レオポルド・ルートビッヒで聴いてきた。
「運命の動機」で始まり、その動機はいたるところで姿形を換えて登場するから、ベートーヴェンの5番の演奏のように色付けなどは不必要、甘ったるい感傷などもってのほか・・・いや、そう言う演奏はゴメンだといったほうが正しいかもしれないから、二人の演奏は満足度が高い。

幸いチャイ5は、早い時期に数少なくして自分好みの演奏にあたったから、何十種類も在庫を持つ必要がなかった、そういう意味でラッキーであったし、そもそもそんなに好きな曲でもないから、これで満足していると言ったほうが良いのだろう。

偶然だろうが、小生好みのチャイ5の演奏、コンヴィチュニーとルートビッヒには類稀な共通点があることが解って驚いてしまった。
それは、生まれがほぼ同じであり、両者ともモラヴィア出身、歌劇場で叩き上げた指揮者であり、職人気質な芸風であること、活躍の割に残された音源が少ないことなどだ。
さらに何れも目立つような指揮ぶりではないが、曲全体の構成から隅々を見ていくといった手法が類似していること、演奏することに対する意志の強さが伝わってくること。
逆に言えば、派手さがなく大向こうを唸らせるような大見得などは無い。
アゴーギグはここぞに絞り込み、ゆっくりめのインテンポで指揮をすることが多い。

コンヴィチュニーは、出来不出来が有る指揮者だが、特にライブでの、出来が良い時の演奏は、他者を寄せ付けない気迫と集中力・・・音魂がある。
一方ルートビッヒは、ブラ1、チャイ6、ベト9でも、実に堅固で乱れのない着実な演奏を残した。

彼らへのオケの信頼度が伝わってくるようだが、コンヴィチュニーが私生活においても、団員と交流が多かったという以外の情報はない。

寝聴きしていたのだが、これでは失礼とばかり、起き上がって再度聞くことにした。
チャイコフスキーの音楽上の弱点、泣き節といつまでも続く未練、浅ましさと弱さ、それをおい隠すような強がりの咆哮に辟易している人は、コンヴィチュニーとルートビッヒ盤は良い回復剤になるに違いない。
特にルートビッヒ盤は、ステレオ録音リマスター処理でかなり良い音質だ。

この音盤には、トーマス・シャーマンと言うアメリカの若手指揮者の「イタリア奇想曲」がカップリングされている。
面白い試みは感じられるが、これといった評価のつけにくい演奏で、オケに多くを救われたような演奏である。
ただでさえそう見えることが多いチャイコフスキーを、特価の見切り商品のように安っぽくしてしまった。
同じオケでも、指揮者によって出る極端な違いが面白い。
ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団の腕前は素晴らしく、ルートビッヒとの集中度は最初から最後まで途切れない。

大げさな表現になるが、50年代中後半から60年代初期の演奏家は、いずれも全身全霊をかけているというような録音が多いのはなぜだろうか。
多分そういう録音しか世に出さなかったという一種の良質なフィルター機能が働いていたのだろう。

近年の大物指揮者のどれもが、名ばかりの評価の割に、音楽の中に意思が見られないのはなぜだろう。
贅沢に甘んじているからなのか、演奏家もサラリーマン化してしまった・・・そんなことはないと思うが。
何でもかんでもCD化して発売するわけだから良作も駄作もあって当然といえば当然なのだろう。

演奏することの意味合いが変化してきたのだろうか。
実の力とは関係なく、マスコミなどの持ち上げ方で、マエストロやヴィルトゥオーソが誕生してしまい、評論する側の権威や力も弱体化したせいなのか。
聴取側に目利きが少なくなったからなのか。
クラシック音楽に求めるものが大きく変化したせいなのか。

「売れること」前提だから、しかたがないとは思うが、それならばそれで大衆芸能と同じになると良いが、決してそうはならないのがクラシック音楽。

3分程度の曲を聞くのに慣れてしまった耳には長すぎるし、器楽演奏が多く、歌曲があっても外国語だからなにを言ってるかわからないのも、それを助長するのだろう。

fbをやっているが、昔は聴取側は、ジャンル分けの中に存在していた、・・・俺はJAZZしか聴かない、とかロック命という具合だったのが、最近はジャンルを問わない聴取者が多くなったのか、音楽の垣根が壊れ、耳もそれに馴染んだのか、広く浅く音楽を摂取する人や、時代の先端を走っているように見える人物の影響で、彼らが日常聞いたというものや、文章にしたものを自分も聞こうとする追従体験者が増えたように思うことがある。

ほとんどがWEBで、その音楽のエキスを瞬間的に見聞きできるから、それで満足しているのかもしれない。
しかし同じ曲を聞けば、情報を与えてくれた人と同じ音楽体験が出来たと錯覚している人間が多いように思う。

音楽には聴き方というものがあるのは確かだが、それは誰かから教わって身につくものでなく、自分自身で身につけるものだから。毎日の自然の訓練を続けると耳が開けたような瞬間が数多く発見できる。

イケメンピアニストや美形女流ヴァイオリニストがやたら目立つこのごろであるが、目立ち方が質素な中にも素晴らしい演奏を聞かせる人もある。

コンサートでも音盤でも、こうなると当りくじのような様相を帯びる。
当り・・・の演奏録音はそうすやすと手には入らなくなった。

生であれば其れが無いかといえば同様に存在するのではないだろうか。
CDの評価などを見ることがあるが、どうしても大手CDショップの影響下にあることが多いようだ。
影響下といったのは選択肢のことで、直ぐに廃盤そして復刻をくり返し中には廃盤のままのものも多い。

そういう中でヴィンテージ復刻とされるシリーズは小生には非常にありがたいもの。
「塔」というニックネームの大手ショップは自社で復刻発売しているが、そういう中に優れた演奏録音は多い。

レオポルド・ルートビッヒもその中の1人で、チャイコは5.6番、そしてベト9も世界初出である。
売れるか売れないかは大きな課題であるのは承知であるが、これらの企画を今後も続けていただきたい。

by noanoa1970 | 2013-06-12 19:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by HABABI at 2013-06-13 18:16 x
sawyerさん、こんばんは

タワーレコードのヴィンテージ・コレクション等のオリジナル企画にはいいものが多く、演奏家の名前等を見ているだけでも楽しくなりますね。私は、何年か前にラインスドルフのブラームス交響曲、最近はヴァンデルノートのストラヴィンスキー「プラネチルラ」、そして今日はシェリング/ヘブラーのベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ全曲のCDを手にしました。
一方、演奏する方も聴く方も多様になって来て、「この曲を聴くなら、この演奏録音は外せない」等々のことも無くなって来て、どれもがそれなりに良く聴こえ、「推薦盤」は死語になりつつあるように思う今日この頃。
また、オーディオの趣味を持っているのは、当地方のこの辺りでは私だけの様でもあります。歩いていて、静かなものです。趣味に関する会話は、し辛くなっています。HABABI
Commented by Abend5522 at 2013-06-14 00:13
こんばんは。
歌劇場叩き上げの指揮者が少なくなり、コンクール指揮者が主流を占めたことによるのではないでしょうか。また、録音技術の進歩がもたらした録り直し、編集の自由さということも要因かと思います。あとは、リスナーの変化でしょうね。
Commented by noanoa1970 at 2013-06-14 17:11
HABABIさん
「塔」での次の狙いは、ヘブラー34枚組BOXです。なかなかよさそうです。小生はヘブラー、グリュミオー以下の「鱒」がたいそうお気に入りですが、とても素晴らしい演奏でした。きっとシューベルトもいいんじゃないかと、期待ができます
Commented by noanoa1970 at 2013-06-14 17:18
Abendさん
国内でも多分に言えることと思いますが、今度大野(和)が都響の首席指揮者になるといいます。期待できるか否か良くわかりませんが、オペラで修業した指揮者と聞いています。記者会見で「音楽を通じて震災復興に貢献したい」という事を言ったそうですが、?を大いに持ってしまいました。