扇子とハンカチ


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HABABIさんabendさンガ、プッチーニの「トスカ」について、興味ああることを話題にしておられたので、小生も再度手持ちのDVDで見ることにした。
その結果、詳細に見聞きすると、面白いことがわかたったので、少し角度の違うところから、書いてみたい。。

歴史的大事件、「マレンゴの戦い」で、ナポレオン軍が北イタリアを征服したこと。(これは、誤って伝えられたことが後になってわかる)

スカルビアが、絵描きカバラドッシを「ボルテール派」と決めつけたこと。
アンジェロッティは、秘密警察によって既に投獄されていたが、やっとの思いで脱出した「共和主義者」で前ローマ共和国領事。
スカルビアは警視総監だが秘密警察のTOPでもあり、おそらく任命権者は、傀儡のナポリ

ナポリ公国のTOPはカロリーナ女王で、カロリーナはハプスブルグ家のマリア・テレーザの妹、当然オーストリアのイタリア支配者として若くして女王となった。

マレンゴで、ナポレオンが敗けたという誤報の意味するところは、共和派が力を得、ナポリ公国がオーストリアの支配と王制から脱し、カロリーナもその配下であるスカルビアも、将来はないという、イタリア独立運動に繋がる。(仏革命の影響でのハプスブルグ家の崩壊)
そのことを案じた、スカルビアは、共和派をことごとく処刑しようとしたが、その一人はスカルビアが、ボルテール派と決めつけた絵かき、決めつけたのは、トスカの恋人、カバラドッシをトスカから引き離すためでもある。(アンジェロッティの親友ではあるが、本当に政治的に共和派とは、分からない)

ナポレオンの席巻で、スカルビアの、いずれ政治権力を削がれるかもしれないという恐怖は、トスカを我が物にしようとすることに執着専念し、トスカの恋人カバラドッシの命とトスカの引換を迫る。

以前からことを企むための伏線があり、教会にアンジェロッティの妹、アッタヴァンティ伯爵夫人が隠しおいた、アンジェロッティが女装して逃げるための衣装の扇子が忘れてあったことで、トスカの嫉妬心を煽るために、それを巧みに利用し、カバラドッシが浮気をしているとトスカを嫉妬に駆り立てて、自分のものにするために利用した。

さらに伏線があって、、カバラドッシが製作中のマグダラのマリアの肖像画のモデルが、アッタヴァンティ伯爵夫人であったこと。(トスカには、眼の色を替えろとまで言う嫉妬心が有る)
そして、スカルピアは、トスカの嫉妬心と女同士の敵対心、宗教心を巧みに利用する。
「ようするに、あなたは恥知らずなまねはなさらない マグダラのマリアの
絵を示して顔や衣装をまとって…許されざる愛を結ぶようなまねは!」
信仰と恋愛、聖女と娼婦あるいは、カトリックのタブー、結婚しない身ごもり、マグダラのマリアを象徴して言ったのは、トスカのカトリック教徒としての信仰に反するということを傘にきた発言であろう。
スカルビアは、ダメ押しのように、アンジェロッティが忘れていった「扇子」を証拠にして、カバラドッシが浮気をしているということを、嫉妬深いトスカに邪推させた。(嫉妬を糧に相手を陥れるために、イアーゴはハンカチを使った…では私は扇子を使うとしよう!)
これがヴェルディの「オテロ」のイヤーゴのハンカチの策略とよく似ていて、オテロはデスデモーナの浮気を信じて破滅していく。
プッチーニはシェイクスピアとヴェルディの「オテロ」を相当意識していたに違いない。

トスカの愛情と嫉妬が、カバラドッシが囚われることになるという皮肉。
更に友人のアンジェロッティの拘束、拷問、自殺にも繋がる。
そして、自分を身売りをしてまで、カバラドッシの助命嘆願の約束をすることになる。

スカルビオは、トスカが自分のものになれば、絞首刑を偽の銃殺刑に変更し、ふたりとも開放するという約束をするが、スカルビオは、「パルミエール伯爵の時と同じようにやれ」と何度も部下のスポレッタに言うが、「パルミエール伯爵の時と同じようにやれ」とは、なにを指すのかが、よくわからないが、その当時の人は知っていたのだろう。
これらの伏線は、舞台劇を観た人たちは周知のことで、したがってオペラがより理解でき、更に良くわかったのだろうことは、プッチーニもお見通しだったと思われる。

トスカは「トスカのキス」と言って、スカルビオを刺殺したが、その後、蝋燭と十字架をスカルビオのそばに置いた意味を理解し難いが、カトリック教徒ならばわかるのだろうか。

しかし、トスカはスカルビオを騙し、そしてスカルビオはトスカを騙すという、騙し騙されの世界があり、約束は果たされず銃殺は空砲ではなく、カバラドッシは本当の銃殺になってしまう。

このオペラが示すのは、神は救済してくれないという、カトリック教徒であることの欺瞞で全てが嘘で固まっている・・・騙し合いであり、今まで信じていたものの崩壊ではないか。

どう考えてもわからないのが、スポレッタが、カバラドッシ銃殺の後のトドメを制することで、これは「パルミエール伯爵のときと同じ」ということの伏線だと思うが、どういうことなのかよくわからない。(策略によって、偽の処刑に見せかけた本当の処刑だったということか)

カバラドッシの拷問によってアンジェロッティの居所を、聞き出そうとするときの、トスカの様子を、スカルビアは「舞台上のトスカでさえ 、これほど悲劇的だったことはない!」といったが、この舞台とは「ラ・トスカ」プッチーニが1889年にパリで見た、サラ・ベルナールがトスカを演じた舞台のことと推測できそうだから、演劇のトスカを観た人に、それ以上の悲惨さを理解させるという、リアリティの実現と見てよいだろう。

オペラの最初の音楽、スカルビアのモチーフのあとに出る音型は、ベートーヴェンの「運命の動機」「ミミドーレレシー」の音型のアナグラム「ミレドシ」で、このオペラは、救済されない人間たちの物語、つまり暗にカトリック、あるいはローマ教会を批判しているものと言えないだろうか。

アンシャンレジユームと市民革命が交差するイタリア、敬虔なカトリック教徒であっても、神の加護が受けられない・・・つまり宗教はなんの役にも立たないことが根底に隠されているとするのは言いすぎだろうか。
宗教心は見せかけそして騙しのテクニックに応用されるという、当時の社会現象の表現なのだろうか。
「神は死んだ」というニーチェの言葉が頭をよぎる。

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by noanoa1970 | 2012-10-27 12:59 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(28)

Commented by HABABI at 2012-10-27 19:24 x
sawyerさん、こんばんは

ヨーロッパは、キリスト教国同士が血で血を洗うような戦いを繰り返して、勝ったり負けたりして来て、(神の)ご利益(りやく)の無かったことを数多く経験して来た訳ですから、初演当時の人も、「トスカ」を観ても宗教面で特別なのものは感じなかったのではないかと思います。巡礼とかはありますが、人がご利益を期待する八百万の神のいる日本とは、状況が異なっているように思います。

プッチーニは心理描写が上手ですので、「トスカ」もそれを楽しむオペラになっていると思います。ヴェルディの「オテロ」と同様に。

プッチーニの複数のオペラには、特定の男性への一途な愛を示す女性が出てきます。多分、プッチーニ自身の願望の表れなのでしょうね。多くの男性の願望でもあるかも知れませんね。
我が家では? ノーコメント(笑)
Commented by Abend5522 at 2012-10-27 21:37
sawyer様、こんばんは。
まだ観たことがないのですが、ルノワールが監督したものの、第二次大戦が始まり、コッホとヴィスコンティに受け継がれた映画『トスカ』は、パルミエーリ伯爵の処刑シーンで始まり、また作中にはスカルピアが女王から共和主義者への弾圧が生ぬるいことを叱責される場面があるそうです。
プッチーニ、ヴェルディ、そしてワーグナーは、イタリア、ドイツの統一と、それから派生した激動期に生きた作曲家ですので、歌劇における宗教、政治の問題が影に日向に関わっていますね。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-27 21:54
Abendさま
「トスカ」には、数々の伏線がはられていますが、時代とともに、それらを理解する人が、少なくなっていったのでしょう。しかしそれでもオペラは、そんなことを知らなくても一種の娯楽として一般市民に受けいれたのでしょう。伏線を知らなくても楽しめますが、知っているのとは受け取る楽しみが違いますね。「パルミエーリ伯爵のようにな」とスポレッタに数回念押しするスカルビアの言葉で、これからなにが起こるかを推測させたり、マレンゴの誤報が間接的にしろ、このオペラに少なからず影響を与えることを知っていて見るのとは違ってきます。小生もビスコンティの映画を観たことがないのですが、おそらくトスカの背景をしらしめる目的が必要とされ、このドラマが単なる虐殺と悲恋の物語だけではないということを伝えたったのかもしれませんね。ひょっとしたらカトリック批判を忍ばせたかもしれません。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-27 21:59
HABABI さん、こんばんは。
トスカに宗教性があるかどうかということは、オペラ全面を通してはそう感じないかもしれません。しかし随所に、キリスト教のタブーを犯すシーンが見られます。またトスカはマリア信仰を持つ信心深さですが、人を殺してしまい、自殺までしてしまいます。キリスト教のタブーを描いた作品は探せば他にもあるかもしれませんが、台本の完成から演劇初演、そしてオペラ初演になる間に、背景が遠かってしまうようになり、悲劇性があるドラマチックなものが目立つようになったのではないでしょうか。ローマ教皇側、つまりカトリックの本尊=守旧派と、急進派=フランス革命及びナポレオンの対峙が背景にあり、その象徴が、マレンゴの戦いです。
この台本、オペラには様々な伏線がありますが、それが伏線だと理解できる人は、時代が少なくさせたのでしょう。従ってアリアと殺人・自殺・拷問・薬殺だけが目立ってしまう結果となったように思います。何れも、当時の社会情勢、旧体制と自由主義、階級と平等、宗教的欺瞞を反映しているように思われます。それらが全面に出てこないのは、エンタメによる大衆性を狙った台本作家とプッチーニの賢い作戦だったのかもしれません。
Commented by HABABI at 2012-10-28 07:42 x
sawyerさん、おはようございます

よく分らないのですが、sawyerさんは、例えば、殺人や自殺の場面があるのは、カトリックの力が弱くなった時代背景を映していると言っておられるのでしょうか?
そうだとすると、宗教に関しては当然近代という歴史の一つの大きな流れですけれども、この作品においては、どうなんでしょうね。カトリックの力が弱くなったので、信心深そうだったトスカが殺人や自殺する、ということなのでしょうか? それとも、トスカ自身がカトリックというものを代表・象徴していると言うことなのでしょうか?

史実ということに関しては、我々が、例えば、戦国時代の合戦や武将の名を聞けば、瞬時に大抵の背景を思い浮かべることが出来るように、フランスやイタリアにおいて芝居やオペラの観客には理解できるのではないかと思いますが(だから、台詞や歌詞にしているのでしょう)、実際に向こうで暮らしている人に聞かないと、はっきりとは言えません。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-28 12:44
HABABIさん、こんにちは。
トスカはマリア、キリストが、自分の窮地を何一つ救ってくれないことで、それまで信仰してきた神の教え≒タブーに背いても構わないと思うようになった。
スカルビオはかつてに比べ、カトリックの教義を持ちだして、従順なカトリック教徒のトスカの心を誘導した偽カトリック教徒。トスカは自分を見捨てた神を呪うようになり、スカルビオは宗教を、政治利用した悪漢。宗教に裏切られた(と思い込んだ)人間と、宗教を私欲のために利用しようとした人間、この2つが読み取れます。こういったタブーの概念が破られたのは、仏革命からナポレオン至る価値観の変化と、ローマ教皇カトリック教会の司祭がナポレオンに幽閉されたということが要因の1つでしょう。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-28 12:44
続きです
カトリックのTOPが下層階級の1軍人によって幽閉になったことは、ローマカトリックの権威失墜の象徴的な出来事です。また舞台になったのは、ナポリ王国ハプスブルグ系の、妹の断頭に怯えたマリー・カロリーナの共和主義者狩りの最中で、マレンゴの戦いで、イタリア半島がナポレオンの支配下に置かれるかも知れないと思う守旧派とカトリック教徒の不安が膨らんでいったことで、絶対的権威の教義が崩れだしたということではないでしょうか。原作は未読ですが、台本・オペラによると、政治性も宗教性もかなり薄められている感があります。オペラは、登場人物の個人的な問題でもありますが、その奥には政治と宗教の大きな動きが有ることがわかります。おそらくイタリア人であれば、このあたりの歴史認識は有ったでしょうから、理解し易かったと思われますが、日本人の多くは理解が難しく、単なる悲劇のオペラとして鑑賞するでしょう。それでも成り立つのがオペラという特殊性だと思います。
Commented by HABABI at 2012-10-28 18:51 x
sawyerさん、こんばんは

ご説明いただき、ありがとうございます。

先の方のコメントに関しては、その様に宗教面を強調すると、その後トスカもスカルピアも死に追いやられていますので、「ほら、神の教えに従わないと、こうなるよ」という、宗教宣伝のオペラになっているということになりませんか?

後者に関しては、我々日本人もLPやCDの付属の解説書等で筋書きの時代背景等を知る程度のことは出来、歌詞の意味を少しは理解することが出来ます。さらに史実を詳しく知ることで、歌詞の意味の理解が変わって、音楽の聴こえ方にも影響する様な場面があるのか、私には分りません。イタリア人には、イタリア人としての歴史の見え方というものもあるでしょうし。
歴史そのものへの関心は、19世紀後半に原作が書かれたこのオペラとは別なところでの話の様に思うので、それらを一緒に書かれますと、正直、分りづらいです。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-28 21:03
HABABIさん、こんばんは。
どうやらヴェリズモと呼ばれているこのオペラは、現代で言うTVの火曜サスペンスなどのドラマにおいて、主な出演者が全員死んでしまうという前代未聞の劇的台本を、プッチーニが目をつけて、これはいけると思って作ったような気がしてきました。脚本がの推敲が足りなく、話の流れにスムーズさは欠きますが、膜の中では信仰が割とわかるように、つまり見知らぬ観客受けするものに仕上がっているのだと思いますし、プッチーニも、知らざれる秘話的なオペラを他にも書いていることから、深読みすることは、かえって重要なもの・・・エンターテインメント性を見失うことになりいます。それにしてもプッチーニは「アリア」がきわだつ反面、木目が荒いように感じてしまいます。プッチーニはヴェリズモオペラ作家らしからぬところがあると小生は思うようになりました。そう思うと「パルミエーリ伯爵のようにやれ」の解釈は観客にこの先行きを推理させる絶好の道具であったのではないでしょうか。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-28 21:13
abendさんによると、ヴィスコンティの映画では、パルミエーリ伯爵の処刑から始まるということです。なぜ最初にコレを持ってきたかは、スカルビオのスポレッタに対しての命令の意味を、その場で理解させるためだと思ってよいでしょう。オペラではそういうところが曖昧なまま進み、トスカが貞操を引き換えたしたとしても、カバラドッシは殺されるという、通常有り得ないことが平気で起きます。こういう稀有な話を題材にするのが、プッチーニの趣味だったかもしれません。パルミエール伯爵とは何者で、なぜ死刑になったのか、その方法は銃殺だったのか絞首刑だったのか、情報がありませんので、ご存知でしたらご教示ください。
Commented by HABABI at 2012-10-28 22:08 x
sawyerさん、ご返事、ありがとうございます。

プッチーニのオペラの中では、トスカは、少しは史実を背景にしているので、筋がまともな方だとは思います。確かに、TVサスペンスという表現は、当たっているように思います。比較的短時間で話を進行させているので、忙しい感じが強く、ご指摘のとおり、スムーズさに欠けていて、アリアだけが強く印象に残る結果となっています。
もっと長くしてsawyerさんが再三ご指摘されていた歴史的・宗教的背景を含めて、重唱、合唱や間奏曲等を入れれば、堂々たるオペラになっていたかもしれません。しかし、サルドゥの原作が基では、望むべくもないことだったのでしょうね。
いろいろ調べてくださり、本当にありがとうございました。(私も、「パルミエール伯爵」で検索して調べましたが、ついに分かりませんでした。)HABABI
Commented by Abend5522 at 2012-10-28 23:36
sawyer様、HABABI様、こんばんは。
パルミエーリ伯爵については、サルドゥーの原作を読めば解るのかも知れませんが、対訳の入手が難しそうですね。
ヴェリズモ・オペラは、まさしくサスペンス劇場です。マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』とレオンカヴァルロの『道化師』がつとに有名ですが、これについてはブログに書くつもりです。
深水 黎一郎に『トスカの接吻』というミステリー小説があります。『トスカ』の上演中に起こる殺人事件を描いた作品です。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-29 10:07
Abendさま、HABABIさま。
マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』とレオンカヴァルロの『道化師』、ヴェリズモが文学でもオペラでも、比較的短命に終わったことがどうしてなんだろうとぴう疑問が少しあります。そのあたりを含めてぜひご教示ください。小生、イタリアオペラはどうしても性に合わないので、見識がありません。大きな理由は「ベルカント」ですが、大昔アイーダの日本公演をTVで見ましたが、本物の象が登場したような記憶があります。オペラは演出次第だという認識も強いです。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-29 10:16
HABABIさん。
オペラ全般がそうであるか否かは特定できませんが、「トスカ」はあまりにも、切り貼り的・断片的なので、プッチーニがオペラ化した意図は何だったのだろうと思ってしまいます。やはり当時の観客はこの切り貼り、断片を自分で繋げることができる人が多かったのかもしれませんね。娯楽の最たる演劇やオペラ、コンサートを鑑賞できた人は、知識階級と称される人も、成金もいたことでしょう。両サイドに面白さをアピールするためには、それなりの工夫が必要で、その結果が「トスカ」に現れたのではないかと想像します。
Commented by HABABI at 2012-10-29 23:14 x
sawyerさん、こんばんは。体調は、いかがですか?

サルドゥとプッチーニは、それぞれ流行作家、流行作曲家ですので、どうすればウケルのか、よく知っていたのでしょうね。それと、多分、トスカのような女性は、プッチーニの好きなタイプの女性だったのでしょう。
プッチーニは、ヴェルディに比べると、上手に心理描写できる対象の範囲が狭かった様に思います。ヴェルディのオペラには陰惨は筋のものがあり、例えば、イル・トロヴァトーレのような、子供を殺すような凄まじい筋のものがありますが、この様な内容では、プッチーニには作曲が難しかったのではないかと思います。
Commented by Abend5522 at 2012-10-30 01:42
sawyer様、こんばんは。
>大昔アイーダの日本公演をTVで見ましたが、本物の象が登場>したような記憶があります。
これとは違うと思いますが、関西歌劇団が1957年に甲子園球場と大阪球場で武智鉄二演出の『アイーダ』をやっています。本物の象や馬、羊にラクダまで登場させ、大変だったことが野口幸助の『そなた・こなた・へんろちょう』に書かれています。


Commented by noanoa1970 at 2012-10-30 13:08
Abendさま
記憶が不確かなので、調べましたら1959年NHK第2回イタリアオペラ公演と1961年第3回を混同していたようです。アイーダは1961年でした。デルモナコの印象が強かったので、アイーダに主演したと思っていたのですが、それは第2回の「オテロ」です。この頃からNHKは、オペラ上演とTV化に熱心だったようです。デルモナコの名前を覚えているほど、当時は騒がれていました。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-30 13:15
HABABIさん。
熱がまだ下がらなく身体がだるくて仕方ないので、寝ながら音楽を聴いています。プッチーニの宗教観をかいま見るために、彼の宗教曲を検索したら、レクイエム(Requiem)(1905)〔ヴェルディの思い出のために〕と、グローリアを見つけました。レクイエムがどのように仕上がっているか確認しようと思っています。オペラ以外のプッチーニの腕前がわかるといいのですが。
Commented by HABABI at 2012-10-30 22:47 x
sawyerさん、小生が体調回復を遅らせている原因の一つのようで、申し訳ありません。私も、実は体調万全ではなく、この4ヶ月間、腰から足への痛みがとれず、加えてこの2週間ほど風邪気味で、いよいよ足腰が痛くなっています。それでも、私は一所懸命遊んでいて、このところ、PCでの画像処理・画像ファイル作りにチャレンジしています。
さて、プッチーニは、ネット検索して情報を見ると、宗教/信仰面に関しては、あまり真面目でなく評判が良くないようです。オペラの中で重要な背景としていながら、人知れず茶化すようなことがあったようです。「修道女アンジェリカ」について調べていたら、そんな記事が出て来ました。ちなみに、アンジェリカも自殺します。
プッチーニは、宗教音楽家の家系の中の異端児で、それも歴史の流れなのでしょうね。
Commented by Abend5522 at 2012-10-31 00:27
sawyer様、こんばんは。
プッチーニの歌劇で一番大掛かりな舞台は『トゥーランドット』ですが、内容的にはスペクタクルとは言えませんね。リューの自己犠牲という新しい面はありますが、全体を貫くモチーフはリリカルな「愛」です。プッチーニには、ヴェルディやワーグナーのようなスペクタル物は不向きであったと思います。圧倒されるのではなく、しみじみとした情感をもたらすのがプッチーニと特徴で、『トスカ』や『ラ・ボエーム』が日本で昔から人気が高いことがわかります。歌舞伎狂言の世話物の世界に近似性があるように思います。
Commented by Abend5522 at 2012-10-31 01:11
sawyer様、申し訳ございません。
HABABI様が体調を崩され、プッチーニのレクイエムを挙げておられると勘違いし、私のブログでHABABI様にレスをしてしまいました。失礼なことを致し、お詫びいたします。なお、プッチーニのレクイエムにつきましてはそのレスをご一読いただき、ご意見をいただければ幸いです。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-31 08:50
HABABIさん、おはようございます。
お気遣いいただき、ありがとうございます。
この間、4昼夜にわたって例のヴィヴァルディ全集を聴いていました。
バッハも少し聴きましたが、二人の音楽性は全く違うのを再認識しました。元気なときはバッハもいいですが、熱があってだるい時にはヴィヴァルディが似合うようです。小生も6月から腰が痛くてそれが脚まで影響して、歩くのも儘ならないほどでリハビリ・・・主に電気とストレッチを2ヶ月ほぼ毎日受けていました。医者によると3ヶ月毎にぶり返すそうで、以前よりはマシですが、やはり痛みがあります。腰の影響は、「ムズムズ脚症候群」と関係があるのか、なかなか寝付けなくて困ったことがあります。痛み止め「カロナール」を処方してもらって飲んでいますが、割りと効果があるようです。abendさんからプッチーニのレクイエムをご教示頂いて、面白そうなことを発見し、もしやと思って調べたら、フォーレと同じ年に亡くなったことがわかりました。「楽園にて」が共通項の予感です。「マリア信仰」は以前から興味が有る議題です。これについても示唆いただきたいと願っております。お互い早く回復すると良いですね。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-31 09:05
Abendさま、おはようございます。
ブログコメントの性質上、複数になると、よくそういう勘違いが起こってしまいます。どうぞ気にしないでください。
プッチーニのレクイエムについてのご教示ありがとうございました。「トスカ」から「マリア信仰」というところまでたどり着いたようですね。小生は「トスカ」中のマグダラのマリア像をカバラドッシがある女人に似せて書く場面がありますが、劇中でのその女人アッタヴァンティ侯爵夫人に当たる女人は、伯爵夫人になる前は、高級娼婦であったという話があり、マグダラのマリアの出自にもその様な話があるのと類似するように思った次第です。マリア信仰とマグダラのマリアの関連なども興味深いことです。イエス信仰者よりマリア信仰者のほうが多いと言われますが、イエスの母ダからという以外に何か有るのではないかと推測しています。以前仮説を書いたことがありますが、再度まとめてみたいと思っています。
Commented by HABABI at 2012-10-31 21:51 x
sawyerさん、こんばんは

腰の痛みは、年配者共通の悩みごとですね。お互い、うまく付き合って行くしかないですね。
さて、マリア信仰については、聖書には書かれておらず、カトリックの中で伝えられて来たものですので、プロテスタントの小生は、何か説明できるほどの特別なものは持ち合わせておりません。「カトリック中央協議会」のウェブサイトで探すと、sawyerさんの参考になる情報が見つかるかもしれません。マリアは、神の位置づけではないようです。
私自身は、マリアは、我われのために、苦しい状況の中でイエスを生んでくれた大恩人であると本当に感謝しますし、私は、マリア信仰に対して、違和感を覚えません。
マリア信仰が、政治的意図での布教にどう寄与したかとか、社会状況との関係はという話は、信仰とは別の視点であって、私には知見等は、ありません。
Commented by Abend5522 at 2012-10-31 23:17
sawyer様、こんばんは。
私は、このところ右手親指の付け根が痛く、仕事でペンが持ちにくくて困っております。腱鞘炎のような感じです。
マリア信仰には、私も大いに関心がありますので、また意見を書かせていただきたいと思います。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-01 09:11
HABABI さん、おはようございます。
プロテスタントであられるHABABIさんが、マリア信仰に違和感がないとおっしゃるように、キリスト教社会では、キリスト教間の信条的争いを緩和するために自然発生的に出現したものだたのかもしれませんね。
Commented by noanoa1970 at 2012-11-01 09:27
Abendさま。
ペンが持てないぐらいに痛むのはかなり辛いことですね。
しびれる感じはありませんか?
小生も去年、右手の3本の指にしびれが来て箸を持ってる感覚がなくなったことがありました。その時には同じように右手の付け根も痛かったです。整形外科的にはこれといった異常がなく、我慢していたらその内にしびれが取れてきたようで、今は良くなりましたが、それまでに3ヶ月かかりました。バンテリンなどインドメタシン入の薬を塗っていましたが、即効性はなかったように思います。なるべく使わないで済むようにするしか無いですが、お仕事上難しいですから、右手を使うことをなるべく避けるようにするしか無いでしょう。お大事にしてください。
Commented by Abend5522 at 2012-11-01 17:49
sawyer様、ありがとうございます。
整形外科へはまだ行っていないのですが、仕事上ペンを使わないことが出来ないので、出来るだけ力を入れずに持つようにしています。キーボードを打つのは支障がないのですが。