モーツァルトの後期交響曲・・39番のお気に入り

日本人は3とか5とか7という奇数番号が好きなようだ。
3大神社、5人衆、7本槍などなど、しかし両面宿儺、四天王、六歌仙等もあるから一概には言えないようだ。
モーツァルトの交響曲を五つ選ぶとすると、小生の場合、25、29、35、36、39。
7つの場合に40と41が入るということになる。
しかし38も入れたいので、8という数になるから、この話はやめて、そろそろ本題に入ることにしよう。

今回はブログの盟友、abendさまのご提案で、モーツァルト後期の3つの交響曲である。

さて、39番は序奏つきの最後の交響曲で、モーツァルトに序奏があるほうがよいのか、40,41のように無いほうがよいのか、議論の分かれるところであろう。

小生のニュアンスとしては、序奏があると他の楽曲、例えば数々の序曲と混同してしまうし、無いほうがストレートな物言いでいいのではないかと思うが、これから始まる、というように、心構えする時間を与えてくれるのも悪くはない。
本格的に実施したことはないが、序奏の違いを聞くことも面白いかもしれない。

序奏は概して中身より大げさなことがあるが、39番もそんな例で、この曲の特徴でもある「不協和音」をあれだけ駆使した不気味な序奏にもかかわらず、展開は優しく聴く側をみごとに裏切るかのように進んでいく。

この曲、モールァルトの変わりやすい心、気性の反映だとすると、わかるような気がする。
通常ソナタ形式を、2つの相反するものの対立、そして融合などと説くものもあるが、モーツァルトの場合は、自分の内面にある矛盾した心の移り変わりが出ているのではないかと思うことがある。

さらにモーツァルトにきわめて特徴的に思うにのだが、それはフレーズの使いまわしで、例えはよくないかもしれないが日本の演歌がほぼ同じ進行で、先が読める音楽となっているように、次のフレーズの予測がしやすいのも、モーツァルトであろう。

しかし演歌と決定的的に違うのは、必ずどこかに毛色の異なるフレーズと、主に2楽章やトリオ部分でで聞こえるような、大胆で想像も出来ないような美しいメロディーを使うことのように思う。

演歌と比較するのもおかしいのだが、演歌にはそれが無いし、あっても稀有なことで、平たく言えば誰でも簡単に直ぐに、カラオケで歌えてしまうという具合の特徴が演歌にはある。

モーツァルトを聴いて飽きることがないのは、変わり目の面白さと意外性が、スタンダードフレーズの中から飛び出してくることだろう。

それだけに、演奏の可否を論じるのは至難の技だ。
昨今のピリドアプローチを全く否定する気はないが、聴いた限りにおいてはモーツァルトの持つ複雑な気質の表現には向かないのではないか。
また新版の楽譜が追い討ちをかけているように小生には思えてならない。

このことは非ピリオド演奏を昔から聴きなれているということもあるだろうが、ピリオド演奏のモーツァルトが、何を表現したいのかよくわからないことが先ず大きな点。

その時代に合わせたもので演奏するのなら、聞く環境も考慮しなければ片方だけでの自己満足にしか過ぎないというのが、小生の批判の論拠である。大きなホールで昔は演奏してないと思う。
ピリオドで大ホールでは、当然強く弾かねば合わないだろうし、それこそ座席の位置が問題となる可能性が強いと推測でき、それはオケの配置以前の問題であるのではないか。

さらに大概の演奏が速く速く、何をあせるのか、必要ないほどテンポアップしていること。
際立つのは、ティンパニのマレットを変えて鋭角的に響かせること。
そのために演奏がピシッとしているという錯覚に陥ることがある。

そして弦楽器の音色だが、ノンビブラートはバランスがピシット合ってないと、ハーモニクスが出来きらず乾いた・・・空虚な音になりやすく、小編成であるがゆえに、まともにオケの技量が出てしまう。

小手先のピリオドは、この辺りでヨシにしていただきたいと願うものである。

そんな観点から気に入っている演奏を挙げるとすれば。

・小編成だがバランスがよい。
・テンポもワザト速めてない。
・ビブラートは薄めではーモニクスも出ている。
・バランスがよいので音がスケスケでなく、しかも透明感が有って見通しがよい。
・楽器編成が手に取るようにわかる。
・不協和音の表現がお見事
・それに付随して、何も考えずにひたすら音楽していたが、時々これでいいのかと一瞬考え込むような・・・パウゼを終楽章になって入れ込んだところ、これはワルターの演奏でも特徴的だが、この指揮者は最終楽章だけに挿入した。
これが物凄く生きている。(小生は「戸惑いの表現、マークパウゼ」と呼ぶことにしている)

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そうです、その演奏は、ペーター・マークとパドーヴァ・ヴェネト管弦楽団。
ベートーヴェンでも透明感ある演奏を聞かせてくれたが、モーツァルトでは特にバランスのよさが際立っているので、少数編成のトーンで無いように聞こえる。

これを聴かずにピリオド演奏を礼賛するのは少し早計であろう。

ワルター、スイットナー、カラヤン、ムラヴィン他、よい演奏はあるが、小生の選択は「マーク」。
インマゼール、アーノンクールなどピリオド系は、苦手である。(もしピリオド系お挙げになったらごめんなさい)


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by noanoa1970 | 2012-06-23 16:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by こぶちゃん at 2012-06-23 17:51 x
> 稲志うせいの選択h

何と書こうとされたのか?(笑)
マークは良い指揮者ですね。僧侶修行前は米ターナバウト・レーベルにいくつか佳演を残していた記憶がありますがARTSに遺した録音はイタリアの弱小オケの欠点を上手く補いつつ素晴らしい演奏を引き出していました。
かつて小学館のサウンドPALという雑誌で録音技師でオーディオ評論家の若林さんのインタヴューで素敵なコメントをされていたのを思い出します。
彼ってフルトヴェングラーの薫陶を受けた一人ですが、ぽくない演奏ですよね(笑)
Commented by noanoa1970 at 2012-06-24 00:28
こぶちゃんさん
また失敗してしまいました。2回見直しした上でですからどうしようもないですね。
ご指摘の箇所は「小生の選択は」です。あれでは解釈の使用がありませんよね。失礼しました。ご指摘いただき有難うございます。おかげさまで訂正することが出来ました。
フルヴェンの影響はカゲも形もありませんね。39番はむしろワルターに似たところがあります。来日し、日フィルを振ったので根強いファンがいるようです。メンデルスゾーン、「真夏の夜の夢」は特に高評価です。ARTSからメンデルスゾーンの交響曲全曲出ていますが、なかなかよい出来だと思います。
Commented by Abend5522 at 2012-06-25 22:09
sawyer様、こんばんは。
マーク盤のパウゼには驚きました。体がカクッとなりました。マークが中国の禅に精進したのであれば、音楽表現での「無」を体得しているはずですので、あの「笑えない」パウゼにはマークが得た「無」があったのかも知れませんね。
Commented by noanoa1970 at 2012-06-26 17:51
Abendさま、こんばんは
やはり驚かれましたか。でも何回も聞くうちによくなっていくと思います。ワルターとは少し違う強烈さがありますね。パウゼは、警策で肩を叩かれたような感じもします。己のよいところを一生懸命出して演奏してきたのが、少々ブレ気味になったのを強制するため、あるいは他のことを考えずに音楽する境地に誘う導入和音なのかもしれません。