高田渡の七回忌・・・・・夜行列車のブルース

本日2012年16日は「高田渡」が亡くなってから七年目に当たる。
七回忌は去年なのだが、東関東大災害でおそらくは記念のイベントは行われなかったのではないだろうか。
それで個人的七回忌という事で、本日取上げることにした。

高田渡については、これまでにかなり書いてきたと思うが、未だに聴き続けている日本の吟遊詩人的存在であった。

本日は彼のアルバムの中、1908年5月に行われた「高田渡生誕会」で入手したCD「高田渡、旅の記録 上下巻」の中から「夜汽車のブルース」を取り上げてみたい。

上巻の最初に収録されている「夜汽車のブルース」そして最後の「夜行列車のブルース」、どちらも「夜行列車」を介して放浪や恋人への追想をテーマにしている曲だ。

いずれも70年代の歌と思われる。

そういえば最近、多くの夜行特急列車が廃止されてしまい、2010年で下記の列車の運行を残すのみとなったようだ。
さらに今年日本海、北国が廃止された。
新幹線や高速度悪露の拡張で今後は恐らくすべて廃止されることだろう。
●北斗星 …上野~札幌間
●カシオペア …上野~札幌間
●あけぼの …上野~青森間
●はまなす …青森~札幌間
●サンライズ瀬戸 …東京~高松間(多客臨のときは松山)
●サンライズ出雲 …東京~出雲市間(東京~岡山間は瀬戸と併合)
●トワイライトエクススプレス…大阪~札幌間
(2012廃止)●日本海 …大阪~青森間
(2012廃止)●きたぐに …大阪~新潟間(新津~新潟間は快速)

「夜行列車のブルース」は、1974年のHOBOSコンサートで、高田渡と林ヒロシによって歌われているから、作られたのはそれ以前だろうが、さかぼっても数年以内の70年代であろう。
「高田渡、旅の記録 上下巻」に収録されたのは、2000年のライブコンサ-トでのことだ。

高田は、「古い友人が作った曲を歌う」といい、曲目を紹介してからイントロに入ると、拍手がたくさんあったが、高田はそれを中断させるように、「いや知ってるわけがない」と断言するように言い放った。

小生がこの曲を聴いたのは、1974年のHOBOSコンサート第1巻であったが、それは復刻盤で、2009年に発売されたもの。

おそらく1974年から2000年まであまり歌われなかったからであろうと推測するが、聴いていた人がいたとしても極少数だから、高田はそう断言したのだろう。

この歌の作者は「林ヒロシ」となっているが、林ヒロシという人物は殆ど登場しない人で、高田渡のバックもよく勤めていた「林亭」のCD、「風は歌う」が発売された時、「林ヒロシ」の名前が見えたので、てっきり「林亭」のメンバーだと思っていたが、そうではなく、佐久間順平・大江田信の2人が「林亭」のメンバーであった。
どうやら林亭の名前は林ヒロシからもらったのか、勝手につけたのか、そんなことらしい。

さらにこの林ヒロシをウイキで調べると、彼の本名は「小林政広」といい、映画監督であるという。
青年期高田渡にあこがれてフォークソング唄いとなったが、今は足を洗って映画に専念しているという、
だから登場しないわけだ。

しかし彼の作品「夜汽車のブルース」は今も歌い継がれていて、高田渡亡きあとは林亭がによって歌われる。

ウイキで調べると、林ヒロシは現在映画監督をやっていて、本名の小林正弘を名乗っている。
小生は彼の映画は、1本も見ていないが、かなり有名な人らしい。

高田が2000年のライブで歌った意図も、「知ってるわけがないんだ」と言い切ったのも、その時にはフォークから足を洗って映画の世界にいたこと、そして音盤が発売されたが、すぐに廃盤になったことからであろう。
下の動画は小生も出席した2005年5月、武蔵野市民会館で催された「高田渡生誕60年」からのものだ。
「林亭」が歌っているが、本人の林ヒロシが出席していたかは記憶がない。


それで林ヒロシの歌う場面はないかと検索すると以下の動画が見つかった。
「最終列車」というタイトル。米国のトラディショナルからだ。「ホーボーズララバイ」としてよく歌われる曲でもある。


中川五郎とのデュオ。この歌は高田が「神田」としても、「失業手当」 作詞:高田渡 原詩:ラングストン・ヒューズ 作曲:高田渡、 としても歌っている曲だ。
おそらくはこの2人、高田の追悼を込めて歌ったものではないか。
林ヒロシは、高田に恩があるのか、高田の死後に引っ張り出されたようだ。
作曲が高田となっているがたぶんトラディショナルだと思う。



なんだかんだ言っても、高田が及ぼした影響はジャンルを超えるところまで来たようだ。
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by noanoa1970 | 2012-04-16 16:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)