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風知草

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真夏日でも、ほんの少し風を感じて葉をそよがせる「風知草」。
音で風のそよぎを知らしめる風鈴とは違い、葉のそよぎで風を知らせる。
音のない風鈴。

5年間、一度も植え替えをしなかったので、土は固まってしまい、もう枯れてしまったと思っていたら、新芽が出始めた。
もう少し楽になるよう大きな鉢に植え替え、土も新しい栄養タップリりのものを注ぎ足した。

株分けするとよいのだが・・・・

根っこは四方八方蜘蛛の巣のように、張り巡らされているが、狭い鉢の中で窮屈であることが良くわかった。
うまくいけば初夏には新しい葉でいっぱいになり、真夏でも風を感じてそよと揺れて涼を味あわせてくれることだろう。

「風知草」誰が付けたか知らないが、良いネーミングだ。

by noanoa1970 | 2012-04-10 09:42 | 日常のこと | Comments(6)

Commented by Abend5522 at 2012-04-10 22:47
sawyer様、こんばんは。
植物には疎いのですが、「ふうちそう」と読むのですね。和語で「かぜしりぐさ」と読む方が風情があると思います。「風を知る」では「知風」になりますから、「風が知る」あるいは「風の知る」ですね。私は、後者だと思います。前者ですと外在する「何を」、後者ですと風が自らによって語る「何か」を表します。この「何か」が季節でしょう。風によって季節を知らせる草というところでしょうか。暑中の風も夏の属性ですね。
風知草、秋の季語になっているのではと思われます。
Commented by noanoa1970 at 2012-04-11 00:05
Abend様
深いですね。
知風草とするのが正解のようですね。
見識のない人がつけたのか、ゴロが良くないからヒックり返したのかよくわかりませんが、ご説明で今まで気が付きもしなかったことを教えていただき、納得させられました。
『誰も風を見た人はないのに、風は街を走る・・・風を見たのは木の葉だけ。今日はまるで日曜日。』という西岡恭蔵の歌がありますが、「風を見たのは木の葉だけ」という歌詞は「風が教えたのは木の葉だけ」に直すほうが良いのかもしれませんね。
Commented by Abend5522 at 2012-04-11 23:29
sawyer様、こんばんは。
西岡恭蔵の歌を聴いたことがなかったのですが、『今日はまるで日曜日』という曲の一節なのですね。おっしゃるように、「風が教えたのは木の葉だけ」の方がいいと思います。「風を見たのは木の葉だけ」では、聴く者がそれぞれのイメージを持つことができなくなりますね。「風が教えたのは木の葉だけ」ですと、「何を教えたのか」の多様なイメージを持つことができます。和歌や俳句も含め、日本語の詩は、表記されざるものに核心があると思います。
Commented by noanoa1970 at 2012-04-12 14:33
Abend様
お調べいただいて恐縮です。西岡が歌ったものが好きですが、作曲は「風船」にいた「中川イサト」です。
詩と歌詞の関係において、音楽を付けることによって、歌詞の一部が、センテンスの順序を含め変更されることが良くあり、そのせいで意味がわかりにくいこともありますね。日本のフォークソングといわれるものには、ときどきそういったことがあるように思います。この場合は特に深読みが必要になってきますね。また歌詞として作ったものと詩として作ったものに曲をつける場合の違いがあるのでしょう。言葉の表現に隠れた情感を察することが可能な感性を持ちたいものです。
Commented by Abend5522 at 2012-04-12 21:43
sawyer様、こんばんは。
ザ・ブロードサイド・フォーの『星に祈りを』の歌詞冒頭は、「夜空の星に 祈りを捧ぐ」ですが、「捧ぐ」を口語の「捧げる」にしてしまうと台無しになります。文語動詞「捧ぐ」で結ばれるからこそ、歌詞の初句が活きると思うのです。行進曲『軍艦』冒頭の「守るも攻むるも」も同様で、「攻める」(これで歌われている場合が多いのですが)では間延びがします。私は、日本語の歌詞は文語調か口語調かで、内容が同じであっても聴く側のイメージは随分異なると思います。時々耳にする最新ヒット曲にも、歌詞に文語が使われていることがあり、日本語の歌というものについては、こういう面からも考えてみる必要がありますね。
Commented by noanoa1970 at 2012-04-12 23:34
Abend様
>日本語の歌詞は文語調か口語調かで、内容が同じであっても聴く側のイメージは随分異なると思います。
小生もその通りだと思います。
>時々耳にする最新ヒット曲にも、歌詞に文語が使われていることがあり・・・
演歌を取り巻く歌謡曲にはその傾向が強いようですね。
若い世代の口語の歌詞の曲は、時代が変われば、古くなっていきやすいように思います。大衆歌謡日本語のポピュラーミュージックで、50年間以上歌い続けられるものがいったいあるのだろうかと思うことがあります。少し先輩世代の「ナツメロ」の中に、いい歌が多いのは気のせいでしょうか。
哀愁ある、伊藤久雄の「あざみの歌」「山のけむり」など今聞いても良い歌だと思います。少年期ラジオ「のど自慢」や「ラジオリクエスト」でよく聞こえてきました。