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演歌とはなにかを探る途中

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読み始めた本がこれ。
「美空ひばりは演歌なのか」という攻撃的なキャッチが、著者がそうでないという根拠があり、それがいかなる観点から理論展開されるかが興味があった。

さらに「演歌」は日本の心の代名詞ではないという作者の考え方が、創られた「日本の心神話」という副題となるようにとなってあらわれているが、その根拠が紐解かれるのであろうと期待しつつ読み始めた。

演歌の歴史からはじまるが、たまたま小生は学生時代のサークルで、「日本音楽史」に関する文章読んでいるから、よくわからことだが、1960年代から演歌はより複雑要素が加味されて「演歌」」というジャンルが形成されたと説く。

このあたりは大瀧が80年に日本ンpポップスが大きく変化点を迎え。ようやぅ西洋音楽からのコンプレックスから脱却できるようなったと説く「分母分子論」のロジックとよく似ている。

西洋音楽との絡みであることはいうまでもないが、西洋音楽を模倣した時期に、演歌と言われる音楽が発展したのは事実であろう。

著者は演歌以前の明治期、「唱歌」の外国からの引用を、国策、つまり国家発揚のツールとしたことを指摘し、集団で歌われること、学校の音楽に時間に歌うことが集団形成のための国策であったという。
要するに上野音楽学校の設立も、政府は教養や芸術を浸透させるための学校でなく、国家の意思に沿った音楽教育の実践者養成という目的があったという。

音楽に決して造詣の決して深いとは思えない明治政府高官たちが、諸外国の国家意識向上のツールとして、音楽を使ったことは、歴史上音楽の持つ力をよく勉強していたのだろう。

明治期の演歌は反体制で、唱歌は国策つまり体制という事ができる。

しかしそれらの論理は、うたう側の感性を無視した論であって、小生は明治期の人間では無いが、唱歌を聴いたとき、特にイングランドの歌は、唱歌の大本の諸外国を想起したことは間違いないことと思っている。
つまり唱歌の多くの向こうにはイギリスが、スコットランドが、アイルランドが、そしてドイツアメリカが見え、日本語でなじみやすいが、やはり借り物の音楽であるという気が大きくしていた。
しかし、そのことと音楽自体の良さは別で、音楽を聴いて思うのは日本の情景であったことも間違いないことだった。
これは間接的な故郷回帰ではないか。
明治期の小学生中学師たちはどう思って聞いたのだろう。

今であれば、「鉄道唱歌」を聴いて大本がアイルランド古謡と知る人も少なくなくなってきたように思うが、「故郷の空」を聴くと、今現在の家族よりも幼児期の家や家族の姿を空想体験して思い浮かべることが多い。

小生は、著者と違い「演歌」は日本の心であると思うが、「日本の心」というのが肝心で、おそらく著者と小生の考え方は異なるのであろう。
そして)著者は「日本の心」というのが概念化されたものとしてあるようだ。
小生は「観念」であり、広義の立場をとるものだ。
日本的なるもの」が存在するものは「演歌」であるるという立場である。
具体的ではないので、説明は困難fであるが、もしうまく説明できるいうことになれば、そうしたいと思う。

以前浅川マキという歌い手について、「浅川マキの故郷回帰」という記事を書いたが、その時から小生は日本人のDNAとして、「回帰」というものがあるような気がしてならない。

回帰するものは家、家族、自然、故郷、いわゆるその人にとっての古き良き時代であり、言葉であり、習慣である。

少し前の世代の人だが、青年期まで日本的な歌を毛嫌いし、外国の歌ばかり聞いてきた人間が、年を取ると、演歌が嫌ではなくなってくるという話を聴いたことがある。
いっぽうでクラシック音楽を教養とかエリート意識を持って聞いてきた人の多くは、年とともに、クラシック音楽を聴かなくなり、もっぱら演歌を聴き、カラオケでは流行歌用を歌うようになる。
このことは2つ意味があり、1つはクラシック音楽の接し方が、受け身でしかなく、深堀するための知見と耳を持ってないことだろうが、その奥には大正教養主義の残影が存在、2つめはこのような事象がが日本人のDNAであるというものだ。

これらのことを発展させれば、演歌=日本的なるもの、日本的なるもの=演歌という図式はある範囲で成たつであろう。
それはメロディであり、予定調和的変化であり、旋法的であり、ヨナ抜き手法であり、コ節であり、フレージングである。
これらがたとえオーケストラをバックにしようと、ブルーグラス、カントリーをバックにしようとも、あるいはロック、モダンフォーク、ジャズ、ゴスペル、R&Bを使おうが、其れは音楽的アレンジの問題で、歌詞の内容をよくよく吟味した時に、歌詞の深層心理には「日本的なもの」が潜んでいることが多い。

いかに形は変わってていても、そいう要素を含むものは「日本的であり、象徴としての「演歌」である。
このように「日本的なるもの」を含む日本の歌曲を演歌と規定しなければ、今や演歌は存在しえなくなって、創られてきたジャンルのどこにでも吸い込まれることになる。

日本人は、血液型占いの例を挙げるもなく、既成概念の中に物事を押し入れる傾向が強いが、これはコミュニケーションを迅速に成立するためと、自分の不安な理解を核心に持っていくためであろう。

人間の性質などをたった4つの図式に当てはめる乱暴性は、音楽の「ジャンル」にも顕著に表れることになる。

「美空ひばりは演歌歌手だったのか?」という疑問を解くには、彼女の歌ったが曲の分析も必要だが、多くは歌詞の中に「日本的なるもの」が存在するか否かであろう。

「日本的なるもの」を狭義の概念にすれば、美空ひばりは演歌歌手でないといえるし、広義に解釈すれば、演歌歌手であるといえる。

つまり「演歌」というものの解釈規定を具体的なものにするか、それとも曖昧なものにしておくのか、ということとになりそうだ。

千昌夫 北国の春は演歌である。なぜかといえば故郷回帰が良く出ているからで、一見そうではない吉幾三の「おら東京に行くだ」は、コミックソングのようで東京都田舎の格差から村は嫌だというが、最後に、「東京でベコ飼うだ」という所に吉幾三の田舎回帰が歌われる。
東京行きの願望はあるが、現実はベコを育ての生活であり、それが一番似合っているという思いに回帰するところが表現される。
そのほかでは愛だ恋だという話が、女の悲しみとして歌われたり、世間から疎まれたり、村社会から出ようとしたりでたのはよいが現実がさらに厳しくなったり、孤独、阻害といったものが多いようだ。
親を恋しい=故郷が恋しいと歌うものもあるが、それらは全て「演歌」」といってよい。

ここに面白いデータがある、BMG JAPANが企画・制作、デジタルダイレクトが販売している通販専用CDボックス、『歌王 演歌名曲120選』というもので、レコード会社、日本コロムビア、ビクターエンタテインメント、テイチクエンタテインメンキングレコード、日本クラウン, ユニバーサルミュージック、BMG JAPANが曲を提供したものだ。

いろいろな思惑があるだろうが、「演歌」で括られたBOXに、舟木一夫の高校3年生、森進一襟裳岬、バス・ストップ平浩二、二人でお酒を梓みちよ、心凍らせて高山厳、といった狭義の演歌には決しておさまらない曲がはいっている。

バスストップでは別れるることになった女が、男を気遣ってバスを待つ間に化粧をするという場面がある。
音が誦敵には、リスト愛の夢→愛さずにはいられない→バスストップであろうし、曲想はポップスとR&Bだが、
これが奥ゆかしさを失ってない日本の女性であるがゆえに演歌としたのか、チリジリバラバラになるであろう最後の高校生活の思いでばかりで、将来への意欲も何も語ることはないが底辺に「男の友情」「同窓意識」がある。

襟裳岬は何もなjい中で土地の老人の親切が身にしみる歌で、老人に新たな目が向くことによる、古ききものえの憧憬と回帰が歌われる。
二人でお酒をは、別れた人が今も恋しいという、少し前のよき時代への回帰の話、未練という過去への回帰良き時代の思いでが歌われる。
古くから有名な「青い山脈」も演歌として入っている。
モダンなサイクリングによる遊行の中で流れる、若者賛歌の歌であるが、地に足がついてない若者の不安が「父も夢見た母も見た」「旅路の果てのその果ての」と、やがて両親をそして生まれ故郷(村社会)に回帰する歌でもある。

このCDはごく最近の発売で通販用であるから、発売元が曲を提供するのに、そんなに神経を使ってないこともあろうが、演歌というジャンルに舟木が入って来るのは、今までの演歌という概念が大きく変わったという事になるかもしれない。

コード進行が一定で、メロディーに予測ができ歌の内容も狭義のいわゆるド演歌が減ってきたのか。

ここでの結論めいたものでしかないが、今やジャンル分けなどはあまり意味のあることでなく、音盤ショップが販売に便利なようにあえて分けているのがそのままになっているということだろう。

経験するところ多しだが、探している音盤がジャンル不明のものの検索はすごくしずらいものがあrつし、エクトル・ザズーのligts in the darkがクラシックの宗教曲の棚にあって購入したが、もしこれがほかのk-ナーにあれば出会うことが無かったろうし、店の担当者もどの棚においていいのやら迷って、恐らくジャケットの宗教性と、「マリア」という言葉が数多い曲なので、クラシックの宗教曲だと思ってしまったのだろう。

意識するしないにかかわらず現実の音楽は、ジャンルなど全関係のない世界で生きている。
なんでも規定したい人間と、そうでない作品のギャップは埋まることがない。

まだこの本は読みかけで核心には至ってないが、著者が最初にぶちかました「美空ひばりは演歌歌手か?」に関する展開がどのように進みどのように結論づけられるのか、興味津々である。

続きはまたいずれ

by noanoa1970 | 2012-03-24 13:48 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by Abend5522 at 2012-03-24 22:46
sawyer様、こんばんは。
次に読む本はそれに決めました。楽しみです。
歌謡曲(流行歌)と区別される「演歌」という概念が、いつ、いかなる状況において誕生したかですね。
『北国の春』は、千昌夫自身が岩手県出身ですから、故郷回帰の心は濃厚ですね。曲に描かれた地と歌手の故郷が結びついている例としては、北島三郎の『函館の女』、石川さゆりの『火の国へ』、都はるみの『千年の古都』などもそうですが、故郷回帰の強さでは各々異なります。
私が、「これは歌謡曲なのか演歌なのか」と最も強く感じたのは、小林旭の『熱き心に』でした。阿久悠の歌詞は日本的なるものへの回帰を描いたように思いますが、小林旭のファンである大瀧詠一が作り、ジャズ畑の前田憲男が要のストリングス・パートを作った曲はニューミュージックに分類されていますが、大瀧詠一独自の世界です。このあたりのことも、考えてみる必要がありそうです。
Commented by noanoa1970 at 2012-04-01 10:14
「熱き心に」は、ペンタトニックと転調の使い方の妙味が音楽的に見られますね。どこかで聴いた懐かし曲のように聞こえるのは、ペンタトニックをうまく使ったこと、そしてそれが東洋的あるいは北方ゲルマンの民謡やケルトの古謡のような感じを持たせることに繋がります。ただそれですべて通すと、あまりにも変化が無いので、歌詞のごとく「旅」「放浪」などのイメージとマッティングさせるために「転調」をかなり大胆に用いましたが、残念なことに転調後復調するまでが少々スムーズさを欠いた「あー春には」からしばらく・・・・と小生は思います。「ドーレミーソーラー」のフレーズがキーファクターですが、ファクター同志をくっつけるという80年代に流行して、いまだに続く技法が見え隠れします。さらばシベリア鉄道は、ロシア民謡あるいはスプートニクスのDreaming Guitarあたりからエキスを抽出した感じがします。小林旭の「自動車ショー歌」は「音楽ノベルティ」になるんでしょうね。所で「ノベルティ音楽」という概念はオーソライズされたものですか?それとも誰かの造語でしょうか?
Commented by sugarmountain at 2012-04-01 11:36 x
コメ投稿の後、読み返すと(意味がおかしくなる)明らかな間違いが有りましたので訂正させていただきます。旭さんの言葉の中の「その時に、大瀧さんも狙いが分かった。」は「大瀧さんの」の間違いです。「それは大瀧詠一が小林旭の大ファンでありアキラ力を知り尽くしていた」の「アキラ力」は「アキラ」です。
ノヴェルティという言葉はロックン・ロールやR&Bなんかを語るときには良く使われる言葉です。日本ではコミック・ソングとかコメディ・ソングという意味合いで解釈されますが、ティンパンアレイで作られた概念ではポピュラー・ミュージックはバラードとダンス・ミュージックそしてノヴェルティという3つに大きく分類されるようです。必ずしもコミカルな歌詞・曲調でなくともノヴェルティになるようなのですが、この辺バラードと一緒で日本人にはわかりづらいですね。「自動車ショー歌」「恋の山手線」「アキラのズンドコ節」といった曲はノヴェルティだと思います。
「シベ鉄」のスプートニクスは当たらずとも遠からずで、トーネイドスをプロデュースした英国のフィル・スペクター=ジョー・ミークのサウンド、主にジョニー・レイトンの「霧の中のジョニー」へのリスペクトのようです。
Commented by Abend5522 at 2012-04-01 16:59
sugarmountain様
はじめまして。
詳細にわたるご教示、感謝いたします。『熱き心に』の魅力は2つあると思います。1つは、前田憲男が担当したストリングスです。曲が進むに連れて変奏して行くあのパートがなければ、この曲の魅力は半減したでしょう。歌謡曲は、編曲者の力量がその魅力を決定すると、私は常々思っております。
2つ目は、あの息の長いメロディーを、小林旭がノンヴィヴラートで歌い上げている点です。カラオケで歌ってみれば実感できますが、ブレスまでノンヴィヴラートで引っ張って行くのはかなり難しい曲です。