フランクチャックスフィールドとルームチューニング効果

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優秀なDECCA録音を期待したのと、懐かしさもあって購入した音盤だが、その再生音はひどいものだった。
きらめく弦の音色も、ところどころ聴こえるホルンやコールアングレも、音が美しくなく艶がなかったので、軽快な音楽が全く楽しくない。

大概は優秀なDECCAの録音だが、ひどいリマスターCDを発売したものと思い、もうずいぶん長いこと聞くことはなかった。
YAMAHA NS1000用のルームチューニングも、幸いなことに、コストは全く欠けず、手間だけで、むかしよりも数段良くなったこのごろ。

視聴にと手持ちの主な音源をカナリ聴いたが、過去にはダメ音盤でも、改めて聴くと良いものが多いことが分かった。
やはりルームチューニングの威力はすごいものがある。

それで、もしやと思ったのがこの音盤。
過去には相当な悪評をつけたもので、音盤全てを聞くなどはあり得なかったほど音が汚くて最初の曲を聴いてすぐにストップした音盤であった。

さて、その視聴結果は・・・・
1972年録音だから最新鋭の録音ではないが、音楽がヴィヴィッドで聞いていてとても楽しい。
完璧ではないが、高域から低域までが素直に出てきているから、オーディオ的な音云々を気にしないで最後まで楽しんで聴くことができた。

バイオリンソロの美しいことといったら、過去には到底聴こえて来なかったもの。
弦楽器の合奏も、チャックスフィールドらしい透明感が漂ってくる。

金管楽器の張りと色気のあるソロ、過去に聴いた時とは雲泥の差だから驚いた。

思わずヴォリュームを上げたくなってしまい、気がつくと相当なヴォリューム位置になっていたが、音は全くうるさくない。
またヴォリュームをかなり絞っても音が明瞭なことも確認できた。

音を良くする手段として
ルームチューニング+セッティングが音響の効力の50%以上を占めるのではないだろうか。
音響装置自身はその前提の上に初めて成り立つ・・・モテる能力を発揮できるのだと思う。

ネット上で見るkなりのオーディオ&音楽ファンでも、音響装置には凝ったものを使用するがルームチューニングに触れる人が多くないのは不思議なことである。

気にしなくて良いほど良いルーム環境なのか。
どうしようもないと諦めているか、あるいは無関心なのか。
まさか音楽を聴く耳がこなれてないなどは、おそらく無いと思うのだが。

ケーブルなどのアクセサリー類を変えて音が変化することで満足してしまっているのだろうか。
微妙な音の変化がわかる耳の持ち主ならば、ルームチューニングによる変化の大きさを実感できるはずだと思うのだが。

部屋も重要な音響装置である、と言うよりも、部屋こそ音の決め手といっても決して過言ではないように思う。

聴こえてくる音の半分以上は部屋の反射音だというのに、よりよいチューニングをしないまま手付かずでは、せっかくの高級ハードが泣きをみるだろう。

遠い昔小生もそういった時期があったが、お金をかけたから良い音がするはず・・その思い込みで現実の音と乖離していってしまうのではないだろうか。

専門的なことはよく分からないが、クラシックは良いがジャズはダメとか、器楽は良いがヴォーカルがイマイチとか、ソースによって音の良し悪しが変わるのは、おそらく再生周波数のピーク・ディップがかなりある証拠と見て良いようだ。

定在波と呼ばれる反射音の悪い干渉もそのひとつ。

今回のチューニングは、場所によっては少し存在した定在波を徹底的に除去するのに成功したことに尽きる。

早で手を叩いてみると、その位置によっては鳴き龍のように響く所があった。
それを共振と勘違いしたこともあり心当たりのものを除去したが改善されなかったことがあった。
またリスニングポジションで良ければOKと言う理由にはいかないようだから、響きが強い壁の対向面に対策をしてみた。

試行錯誤の結果ほぼ満足が得られる状態になったようである。
その成果が、過去に聞いてダメな音盤が、よみがえったように美しく響くようになったこと、そして「何々向き装置」などという言葉とは無縁になったことである。

そして幸いだったのは使用した材料が、吸音材ではないからか、部屋がデッドにならなくて済んだことだ。
吸音材を使いすぎると部屋がデッドになりすぎて、音がヴィヴィッドでなくなってしまい、楽しめる音響とならないが、結果オーライで犠牲なく改善ができたことが最大の収穫であった。

リマスターや録音が良くない、そういう前にそして装置を交換する前に、ルームチューニングを見なおすほうが先決であることを思い知った。

しかしこの作業は相当な時間と根気が必要で、市販のチューニングツールを使っても、必ずしももうまくいくとは限らない。

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現在は外したがそれまで壁の50%に張り付けていた、繋ぎ合わせて簡易なカーペットにするモノ、これの効果も相当あったように思う。
DIY店で1枚約30センチ四方のものが1枚100円足らず、つなぎ合わせ自由だから使い勝手は良い。
裏はスポンジ状、表は起毛した繊維が貼られているもの。

リョウメンテープで壁に貼れば、剥がすのも楽だし、色も豊富なので、壁の色に有ったものを使うと良いかも知れない。(小生の場合は、色壁の色に合わない色だったので、みっともないから外し違うものを代わりにした)

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by noanoa1970 | 2011-12-19 22:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by Abend at 2011-12-20 00:21 x
sawyer様、こんばんは。
その簡易カーペット板、うちにも20枚ほどあります。今は使っておりませんが、面白い使い道を考えてみます。
音響機材に「~向き」というものは無く、あるのは自分向きかそうでないかだけだと思っております。「~向き」と言う場合、「~(ジャンルや楽器等)の音はこうあるべきだ」という個人の好みがまずあるのですが、それが機材に付加されて商品化されると、機材そのものに「~向き」という価値が内在しているかのような、一種の共同幻想が形成されます。DJに愛用されていることから、DJサウンド向けにされてしまったテクニクスのプレーヤーや、低音ガンガンだからクラシック向けではないとされてしまったボーズやラムザのスピーカーなどはその例でしょう。
月をさす指を見て、月(ルーム)に目が行くか、指(機材)にしか目が行かないかで、その人の関心が音なのか響なのかが看取できるでしょう。
Commented by noanoa1970 at 2011-12-20 07:52
Abendさまおはようございます。
エンジニアのことをチェンジニアというようになったのと同じで、音がダメなら機械を変えれば済むと思っている人が多いようです。其れでもダメなら次から次へ、とどまることを知らない泥沼に陥っていくのが常です。交換よりも使いコナシを工夫すれば良いのですが、メーカーも販売店も売らんがために、根本的なサービスを忘れています。血液型にも表れるように、型にはめることが好きな日本人ですから、さらにリテラシーが欠如しているのだと思いますが、評論家などの権威に弱いせいか、JBLはジャズ、タンノイはクラシックという大きな潮流が出来上がってしまい、未だにそう思われているようです。現在故障中のQUADは室内楽向きで、大編成曲は再生不可能と言われていましたが、ダイナミックSPのようなメリハリにある音で鳴らしていました。YAMAHAは非モニター的なおとに変身することに成功しましたから、何事も創意工夫貪欲さが大事ということでしょうね。自分好みの音や音響に
していくことは面白いものです。軍資金に事欠くようになったせいで、お金を掛けない方法を追求するようになりました。
Commented by Abend at 2011-12-21 00:49 x
sawyer様、こんばんは。
何に限らず、趣味には権威や世評の「鵜呑期」⇒疾風怒濤の「金注ぎ込み期」⇒創意と試みの「工夫期」の次第を取るのではないかと思っております。オーディオ・マニアは「金注ぎ込み期」段階で停滞している人が多いように思いますが、年季の入った「工夫期」の人は大したもので、ジャンク品から部品取りをして、自分好みのマシンを作り上げますね。
sawyer様の創意工夫は、軍資金に事欠くからではなく、「工夫期」に達した、年季の入った愛好家の証しだと思います。今あるものを、更に一層あらしめる智慧が最も大切なものです。
Commented by noanoa1970 at 2011-12-21 11:41
Abendさまおはようございます。
過分な言葉恐縮です。
そういう愛好家に近づきたいとおもっています。
耳が物理的に悪くなってくる頃に、音楽を聴く耳は肥えてくるという皮肉を感じ始めています。