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無惨なり、リヒテル

小生がリヒテルの凄さを体感することになったのは、ベートーヴェンとシューマンの「17」が録音されたレコードによる。
「17」とは、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調 作品31-2『テンペスト』
シューマン:幻想曲ハ長調 作品17である。
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今では傷が付いてしまって、聴くのには辛抱がいるが、それでもベートーヴェンは圧巻の演奏で、いまだこの演奏を超えるものにはめぐり合わない。

ちなみにリヒテルの「テンペスト」演奏は、悲愴、熱情、ハンマークラヴィアが5~8回の録音に対し、21回を数えるから、お気に入りの曲だっただろうと推測される。
また後期ソナタも20回近く録音されているから、気に入っていたと思われる。
反面、月光、田園など13~16番、21番ワルトシュタイン、24から26番は録音が残されてない。

テンペストは1961年の録音だからリヒテルは45歳、吉田秀和はリヒテルを評して、『ベートーヴェンの時代のピアノでこれほどのダイナミクスの大きな演奏が可能だったのかと疑問を抱かせる一方で、ベートーヴェンの創造的想像力の中では確かにこうした響きが鳴っていたに違いないと感じさせる説得力がある』と言っている。

リヒテルの演奏は、ダイナミズムあふれる演奏だが、ベートーヴェンはそう願っていたに違いない、つまりベートーヴェンがピリオドピアノの限界を超え、(モダンピアノの)、ダイナミズムを想像して音楽を作ったその事を、リヒテルが解釈し再現した、という、ベートーヴェンの成り代わりの表現であるかのように言っている。

しかし、リヒテルを賞賛するための吉田の表現の、(モダンピアノの)ダイナミックな音あるいはダイナミズム感を、ベートーヴェンが「創造的想像力」(耳が聞こえにくいからか)で頭の中で響かせていた、というのは、ベートーヴェンの音楽のダイナミズムを言いたいことの修辞法としては理解できぬでもないが、やや勇み足ではないだろうか。

それにしても、17番「テンペスト」の演奏は、吉田の表現するリヒテル像に最もマッチングするような気がする。

静と動、陰陽、強弱、悪魔と天使、このような言葉が象徴する相反する要素、それらが交互に出現するときもあれば、合体して出るときもあり、其の演奏表現には、指の動きの俊敏さと滑らかさが、とくに必要とされる曲、それが「テンペスト」だ。

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今朝はリヒテルが75歳のライブ演奏の、ベートーヴェン後期ソナタ30~32盤を聴いてみた。
実はこの音盤は、なぜか小生のイメージする後期ソナタとは、相容れない演奏で、数回を聴いただけで眠っていたものである。

聴かないまま、10年以上経つが、今聴けば昔とは違う何かを発見できるかも知れないと思い、聴いて見ることにしたのだった。

残念ながら、印象は昔とそんなに違うものはなく、高齢の影響であろうミスタッチや指が動かないといった、技術的なものではない、評価しづらい何かが、この演奏には存在しているらしきことは、その昔聴いた印象と違わないことであった。

もちろん壮年期のようなダイナミズムを求めるわけではないのだが、リヒテルが晩年期に後期ソナタを弾く意図や意味が演奏からは少しも感じられないのである。

ベートーヴェンの後期ソナタを弾くと言う行為は、ピアニストにとって、特別な意味を持つのではないかと、小生は思っていて、しかもリヒテルだから、「ただ弾いている」という印象が強い演奏をするとは思っても見ないことであった。

リヒテルともあれば、今まで培ってきたベートーヴェンへの思いが、何らかの形で演奏に反映されると思うのだが、ところどころつっかえながらサラリと流してしまったという印象の演奏である。

ライブという環境からしても、こんなリヒテルはどうしても考えられない。
達観とか悟りの境地があるかも知れないと聴きいるが、そんな兆候は微塵もないようだ。

この演奏から感動などという心が揺さぶられるものは一切ない。
1961年の「テンペスト」が与えてくれたものは一体どこに消えてしまったのか。

ピアノを弾くということに対する情熱が全く感じられないのは、一体どのような理由があったのか。
指が円滑でないことやミスタッチが問題ではなく、音霊が乗ってない音が問題なのだ。

技術的な衰えが有るにもかかわらず、音楽として素晴らしい演奏は、往年の一廉の演奏家には少なくない。
そこにはなにか訴えるものの自己表現が潜んでいて、おぼろげながらにしろ、其の何かを与え、何かをキャッチすることができるから、感動を呼ぶのであろう。

リヒテルの内省面がよく出ているという評価もあるが、内向きとしか感じられない演奏で、内省面を感じることはできなく、ダイナミズムの相対化として起きる現象であるように思う。

75歳の老人に期待する方がおかしいという意見もあるだろうが、小生にとって、リヒテルは50でも60でも70でも、リヒテルはリヒテルなのだ。

この演奏録音、CD化して発売して欲しくなかったと本当に思っている。
ライブだから失敗も気分が乗らない時もあるだろうに、しかしそのような演奏を世の中に広めてしまうことは、リヒテルにとっても、ベートーヴェンにとっても、聴衆にとっても幸せなことではない。

この演奏録音を気に入っている方には申し訳ないが、小生はこれらのことから、この演奏録音、評価に値しないと思っている、

それでは致し方ないから、他の演奏録音をあたってみると、ディスコグラフィーから以下のようなものを発見した。
60年70年と90年代、80年代を除き後期ソナタを録音していることが分かる。
注目はライプツイッヒでの1963年録音であろう。
恐らくはこの演奏は、91年のものとは大きく違うはずであるという期待のもとに入手したい音盤である。
MUSIC&ARTS CD-1025果たして現役なのか。

Sonata No. 30 in E, opus 109
(Leipzig, 28 November 1963)
Music & Arts CD-1025 (CD 1998)
(Ohrid, 30 July 1971)
Rococo 2115 (LP 1976)
Rococo/Nippon Columbia OZ-7541-RO (LP 1977)
DOREMI DHR-7718 (CD)
(Moscow, 22 Jan 1972)
Revelation RV 10096 (CD)
Brilliant Classics 92229/1 (CD)
Yedang [Korea] YCC 0033 (CD)
(Ludwigsburg, 17 Oct 1991)
Philips 438486 (CD)
Philips [ Japan ] PHCP 10521 (CD) or PHCP 5119 (CD)
Philips 456949 (CD 1999)
(Kiel, 27 Oct 1991) on Live Classics LCL 422 (CD)

Sonata No. 31 in A flat, opus 110
(Leipzig, 28 November 1963)
Music & Arts CD-1025 (CD 1998)
(Prague, 6 February 1965)
Praga PR 254 023 (CD) or CMX 356020.34 (CD) or CMX 356023 (CD) or CMX 354025 (CD) or CMX 354022.25 (CD) [ labelled 2 June ]
(Carnegie Hall, New York, 3 May 1965)
Intaglio 7111 (CD)
Music & Arts CD-946 (CD)
(Moscow, 10 Oct 1965)
Revelation RV 10096 (CD)
Brilliant Classics 92229/1 (CD)
Yedang [Korea] YCC 0033 (CD)
(Tokyo, 1 June 1974)
Rococo 2116 (LP)
Rococo/Nippon Columbia OZ-7544-RO (LP 1978)
DOREMI DHR-7718 (CD)
(Ludwigsburg, 17 Oct 1991)
Philips 438486 (CD) or 454166 (CD) or 454170 (CD) or 462752 (CD) [3rd mvmt. only]
Philips [ Japan ] PHCP 10521 (CD) or PHCP 5119 (CD) or UCCP 3263 (CD)
Philips / Mega Classics 456549 (CD)
Philips 456949 (CD 1999)
(Kiel, 27 Oct 1991) on Live Classics LCL 422 (CD)
(Munich, 16 May 1992) on Live Classics LCL 481 (CD)
(La Hulpe, 18 May 1992) on Victor [ Japan ] VICC-60078 (CD)

Sonata No. 32 in c, opus 111
(Leipzig, 28 November 1963)
Music & Arts CD-1025 (CD 1998)
(Tokyo, 1 June 1974)
Rococo 2116 (LP)
Rococo/Nippon Columbia OZ-7544-RO (LP 1978)
DOREMI DHR-7718 (CD)
(Moscow, 12 Jan 1975)
Discocorp IGI 309 (LP)
Music & Arts 775 (CD) or CD-910 (CD)
King Records / Seven Seas KICC 2272 (CD)
Revelation RV 10096 (CD)
Brilliant Classics 92229/1 (CD)
Yedang [Korea] YCC 0033 (CD)
(Ludwigsburg, 17 Oct 1991)
Philips 438486 (CD) or 454166 or 454171 (CD) or PCD 102 (CD)
Philips [ Japan ] PHCP 10521 (CD) or PHCP 5119 (CD) or UCCP 3264 (CD)
Philips 456949 (CD 1999)
(Rellingen, 25 October 1991) on Live Classics LCL 491 (CD)

by noanoa1970 | 2011-11-13 14:12 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(11)

Commented by Abend at 2011-11-13 21:28 x
sawyer様、こんばんは。
1963年のライプツィヒ・ゲヴァントハウスでのライヴ盤は、米PARNASSUS盤がHMVで買えますね。ヤフオクでも新品が出品されています。
EMI盤のシューベルト/「さすらい人」幻想曲&ソナタ第13番も1963年の録音ですね。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-14 07:41
Abendさま
墓参りに出かけますので、コメントの返信は後ほどさせて頂きます。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-14 21:11
Abendさまこんばんは
HMV情報有難うございおます。
「さすらい人」はドヴォルザークP協奏曲とカップリングの1976年録音を持っていますが、気に入らないため、63年盤を入手しようと思います。1980年ボロディンSQとのP五重奏「鱒」とのカップリングがありましたので、そちらをと思います。
「鱒」は聴き比べ曲の1つです。しかしこの組み合わせのドヴォルザークP五重奏(ライブ)は、音楽が弛緩していて、あまりよくなかったです。リヒテルは出来不出来が相当激しかったように思います。
Commented by Abend at 2011-11-14 22:21 x
sawyer様、こんばんは。
今年は父の25回忌ゆえ、2月に法事を営みました。学生時代の友人で、下宿では邪魔になるといって墓地でヴァイオリンを弾く寺の息子がおりました。
リヒテル&クライバー/バイエルン国立Oのドヴォルザーク/P協は私も持っております。ブラームスを意識し過ぎた冗長な作品ですが、イニシアティブはクライバーが握っていて、リヒテルは生彩を欠いていますね。
シューベルトの『鱒』は、リートの方は口ずさめますが、P五重奏の方は私のネックです。パネンカ、ポシェタ&スメタナSQのLPを持っていましたが、CDは持っていません。1976年には、CbをN響の江口朝彦が弾いたパネンカ&スメタナSQの来日公演で聴き、サインまで貰っているのに、お粗末なことです。
Commented by cyubaki3 at 2011-11-15 01:14 x
リヒテルは我流(独学)でかなり癖のある奏法だったので、年老いて技術が衰えてからはかなり苦しかった、などという話を読んだことがあります。本当の所は分かりませんが。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-15 09:20
Abendさま
25回忌とは・・・・夭折されたのですね。
>墓地でヴァイオリンを弾く寺の息子
なんだかヴェルレーヌの詩に出てきそうなバイオリン弾きですね。姿を見ずに音だけ聞いた墓参りの人は、さぞ驚いたことでしょう。
ドヴォルザークの感想はおっしゃるとおりです。それに小生にはどこか張り合っている様子が見られ、相容れない物同士の演奏に聞こえることがありました。小生にはスメターチェクプラハ交響楽団の1966ライブ演奏がしっくり来ます。
P五重奏の「鱒」今朝も聴きましたが、お気に入りの1つは、イングリット・ヘブラー(p)アルテュール・グリュミオー(vn)ゲオルグ・ヤンツェル(va)エヴァ・ツァコ(vc)ジャック・カツォラン(cb)の演奏です。現在廃盤のようですが、そのうち復刻されることでしょう。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-15 09:26
cyubaki3さん
リヒテルは我流(独学)だったのですか。
ウイキペディアによれば、「22歳でモスクワ音楽院に入学し、ゲンリフ・ネイガウスに師事した。彼はその時点ですでに完成されたピアニストだった」とありますから、音楽院に入る前に誰かから手ほどきを受けたか、独学か、癖のある奏法というのはなんとなくわかりますね。恐らくはややオーバー気味のダイナミクスの表現ではないでしょうか。晩年の後期ソナタでは、それがなくなっているように思います。
Commented by Abend at 2011-11-15 17:47 x
sayer様、こちらは時雨模様です。
リヒテルに関しては、中川右介『二十世紀の10大ピアニスト』(幻冬舎新書)に、1961年に刊行されたデリソン『リヒテル 魅惑の鍵盤』の内容が紹介されています。それによりますと、デリソンはリヒテルの両親について触れず、父は音楽の初歩を教えただけで、リヒテルは8歳でピアノに触れてからはチェルニーも弾かずにショパンのノクターン第1番が最初に弾けるようになった作品だったとか。また、オデッサのドイツ人学校に通っていた頃から彼はオペラ、特にワーグナーが好きで、後にオデッサ歌劇場の伴奏ピアニストを務め、そのまま行っていたらオペラ指揮者を目指したということです。
デリソンはリヒテルの両親については全く触れておらず、中川氏は、当時のスターリン独裁体制下おいて、ドイツ人であり、オデッサのドイツ領事館でピアノを教えてもいた父テオフィルも粛清の対象にされ、デリソンがリヒテルの両親について触れないのも、当時のソ連の政治事情によるものと書いています。
リヒテルは独学ということが、当時のソ連の政治事情による神話ではないかという疑念を持ってしまいますね。


Commented by noanoa1970 at 2011-11-15 21:16
Abendさま
>チェルニーも弾かずにショパンのノクターン第1番が最初に弾けるようになった作品だったとか
チェルニーもハノンも引かないで、いきなりショパンはどう考えても創作話でしょう。
天才神話を作り出す必要があったのは、戦時中や興国の時期には、どこの国もは同じことのようです。
ピアニストから指揮者への転向者は割りと多いですが、リヒテルがタクトを振ったという話は有るのでしょうか。もう一度ウイキペディアを読むと、1952年モスクワ青年交響楽団を指揮してロストロポーヴィチと共演し、プロコフィエフの交響的協奏曲を初演したとウイキペディアにあった。生涯でたった1回の指揮経験であったという。晩年の無惨なピアノを聴くと指揮者に転向していたほうが良かったのではないかと思ったりもします。
Commented by Abend at 2011-11-15 22:44 x
sawyer様
ちょっと調べてみたのですが、リヒテルの父テオフィルは1941年の独ソ開戦直後に、ドイツのスパイ容疑で銃殺刑に処せられたそうで、当時父が音楽教師をやっていたオデッサのドイツ領事館に出入りしていたリヒテル自身も、処刑は免れたもののスパイの疑いをかけられたということです。戦後、ソ連によって仕立て上げられた独学の天才リヒテル像にとって、こういうことは都合が悪かったのでしょうね。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-15 23:38
Abendさま
ドイツ人とウクライナ人の父母の混血ということになるリヒテル自身、ドイツ側からもソ連側からもスパイの疑いで見られた可能性があります。異民族の混血という身の上は両方の独裁国からそいういう目で見られがちだたことでしょう。オデッサというところもいわくつきですね。