なんとなく似ている曲

世の中に似ている曲は数々あるし、中にはソックリさんもある。

さっきモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K.356をきいていて、3楽章になった途端、小生はある曲を思い出していた。

最初はモーツァルトが引用したのかとさえ思ったが、落ち着いて思い出すと、似ているようでそうでもない、しかしやはり似ている。
確かに個々には違うが、全体から醸し出されるものがとてもよく似ている。

改めて聴いて確かめたのが、ハイドンの103番の交響曲「太鼓連打」。
1楽章、前奏が終わった後に出る、多分第1主題だと思うのだが、弦楽合奏の開始からしばらく続く所。

さらに4楽章冒頭ではその事が上積みされ、同じ作曲家が書いた曲のようで、もうどうしようもない。

比較すると違いははっきりするのだが、思い出し聴きをすると、2つの楽曲が相当のダブり方をして、どっちがどっちであるか、混乱してしまう。

モーツァルトがアレグロ、ハイドンがアレグロコンブリオとアレゴロスピリト、アレグロテンポであることも手伝ってか、いやそれが要因ではなく、曲想というものがとても良く似ているのだ(と思う)。

片方を聞くと片方を思い出す、そういう時間は多分これからも続いていくものと思われるが、それならそれで結構なこだと、あまり気にせずに、ハイドンとモーツァルトの親和性のある証だと思うことにした。

誰かがこのことについて書いているかと思い、探すが、そのような記事は見つからなかったので、小生の耳だけのことなのかも知れないし、多分そうであろう。

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他を聴いてもも同じだとは思うが、こんな気持ちを強くする音盤は
ハイドン:ベルンハルト・パウムガルトナー/ザルツブルグ・モーツァルテューム管
モーツァルト:カサドシュ夫妻P)オーマンディ/フィラデルフィア管
一番好きな演奏である。
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by noanoa1970 | 2011-11-02 17:03 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(22)

Commented by cyubaki3 at 2011-11-02 21:13 x
病院の件は酷いですね。怒っていいと思います。いや、怒るべきです。

ところで奇遇(シンクロニシティ)といいますか、本日私も久々に「太鼓連打」を聴きました。アバド指揮ヨーロッパ室内管ですが、なかなかの好演です。アバドって地味な印象がありますが、けっこう歌心ありますよね。近年は小編成のオケで肩の力が抜けたいい仕事をしていると思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-02 21:23
cyubaki3さん、こんばんは
本日病院長宛にメールしました。
まだ返事はありませんが、当てにしないでの待ちの状態です。
新しい展開があるといいのだけれど。

アバドは最近プレミアムシアターで立て続けに放映したのを見ましたが、おっしゃるとおり、枯淡の粋に入ってきた感じを受けました。いっときすこし変な方向を向いたようでしたが、もう卒業したように思います。
ヨーロッパ室内管とのハイドン、ピリオドアプローチでは無いと思いますが、いかがでしたか。
Commented by cyubaki3 at 2011-11-02 21:46 x
>ヨーロッパ室内管とのハイドン、ピリオドアプローチでは無いと思いますが、いかがでしたか。

はい。昔ながらのオーソドックスなアプローチだと思います。最近はピリオドをさんざん聴いているのでかえって新鮮です。先日もブリテン指揮イギリス室内管でモーツァルトの「プラハ」を聴きましたが、こちらは思ったより録音が悪くて(音が割れる)そこだけは残念でした。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-02 23:13
cyubaki3さん
ここ最近のアバドを見聞きしましたところ、いっときのピリオドアプローチは消えていましたから、小生にとって、いい傾向にあると思ってました。
ブリテンといえば、カーゾンとのモーツァルトのピアノ協奏曲、気品が感じられてとても良いですね。20番は絶品といって過言ではないと思います。
Commented by cyubaki3 at 2011-11-02 23:29 x
>ブリテンといえば、カーゾンとのモーツァルトのピアノ協奏曲、気品が感じられてとても良いですね。20番は絶品といって過言ではないと思います。

あれは名盤ですね。私も昔よく聴きました。

>いっときすこし変な方向を向いたようでしたが、もう卒業したように思います。

それは90年代のカラヤンの後を引き継いでBPOを振っていた頃の事でしょうか?私はアバドはどちらかというと70年代~80年代のロンドン響やシカゴ響との録音の方が好きです。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-02 23:45
>それは90年代のカラヤンの後を引き継いでBPOを振っていた頃の事でしょうか?
具体的に言えば2000年に2回目のベートーヴェン全集をBOPと録音した時です。1980年のVPOとの録音の方が好みです。
Commented by cyubaki3 at 2011-11-03 00:17 x
>1980年のVPOとの録音の方が好みです。

確かジャケットがクリムトの絵でしたね。あれは良かったですね。2000年のBPOは聴いたことがありません。
Commented by Abend at 2011-11-03 01:16 x
sawyer様、こんばんは。
『太鼓連打』はが作曲された時にモーツァルトは亡くなっていましたから、ハイドンがモーツァルトの曲想に学ぶところが多々あったのでしょうね。パパ・ハイドンの呼び名のとおり、モーツァルトにとってハイドンは尊崇の対象だったわけですが、これは同時に父レオポルトへの屈折した思いが、ハイドンを理想的な父親として代替させたのかも知れません。ベートーヴェンから見たハイドンとは全く異なりますね。記憶違いかも知れませんが、ベートーヴェンはハイドンにチョコレート(当時は飲料だったようです)を御馳走になったとメモに記していたような。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 08:35
Abend さま、おはようございます。
いや失礼しました。てっきりモーツァルトがハイドンをと思ってましたが、・・・・
ハイドンとモーツァルト、互いに影響し合ったとは思いましたが、モツァルトが早逝だったこと、すっかり忘れていました。

チョコレートが食べ物でなく飲み物であったことは、ペルゴレージの「奥様になった女中」でも良くわかります。毎朝飲むチョコレートをまだ持ってこないといって、主人ウベルトが女中のセルピナを叱責する場面が最初に出てきます。

ハイドンがチョコレートをベートーヴェンにご馳走したとはすこし驚きのトリビアでした。
チョコレートトは今で言うココアのようなものかも知れませんね。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 09:24
cyubaki3 さんおはようございます。
あまりアバドの音盤は持っていないのですが、アバド/シカゴ響というと、セシル・リカドのデビュー盤ラフマニノフ2番とラプソディのカップリングのLPを持っています。意外と良かったのに驚いて今もときどき聴きますが、ジャケットも気に入っていて、ピアノを前に、リカドとアバドが並んで写っていますが、リカドのアンニュイな色気が伝わってきて、人物のジャケットでは最高の部類に入ります。
Commented by Abend at 2011-11-03 13:48 x
sawyer様、こんにちは。
60分以内のオペラの傑作は、悲劇ですとマスネの『ナヴァール人』、
喜劇ですとペルゴレージの『奥様女中』だと思っております。『奥様女中』は、LP時代からボニファッチョ、二ムスゲルン&コレギウム・アウレム盤に親しんでいます。18世紀の画家リオタールが描いた『チョコレートを運ぶ娘』がセルピーナのイメージとしてよく合います。この絵には、チョコレートが入ったカップに水が添えられていますが、味がかなり濃厚だったのでしょうね。甘かったのか苦かったのかはよくわかりませんが、当時は甘味の飲食物が贅沢なものでしたから、ウベルトのように富裕な者しか口に出来なかったのでしょう。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 15:43
Abend さま、こんにちは
レコード盤1枚に収まるオペラは、他にもパーセルの「妖精の女王」、「インドの女王」といったものがあります。「奥様女中」も「インドの女王」も言葉を聴いていたときは、意味が分からず、インド人の女とはおかしな話だと思ってましたし、奥様女中があのような意味だとは思いもしませんでした。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 15:45
追伸です
「奥様女中」にはチョット因縁がありまして、その経緯を下記のブログに書いたことがありました。市内のある合奏団が「奥様女中」を演奏会形式でやるといって、相談らしいものを持ってきたことに端を発しています。
非常に長いので恐縮ですが時間があればどうぞ。
http://sawyer.exblog.jp/5618436/
http://sawyer.exblog.jp/5588263/
http://sawyer.exblog.jp/5618348/
画面右中程にある「以前の記事」欄の2007年7月クリックで下記候補が出ると思います。長いですよ。「奥様女中」からの展開です。
空想音楽小説・・・幻のオーケストラその6
[ 2007-07-07 08:50 ]
空想音楽小説・・・幻のオーケストラその5
[ 2007-07-06 09:20 ]
空想音楽小説・・・幻のオーケストラその4
[ 2007-07-05 08:59 ]
空想音楽小説・・・幻のオーケストラその3
[ 2007-07-04 08:57 ]
空想音楽小説・・・幻のオーケストラその2
[ 2007-07-03 08:56 ]
空想音楽小説・・・幻のオーケストラその1
[ 2007-07-02 18:54 ]
空想音楽小説・・・ある音楽シーン
[ 2007-07-01 10:00 ]
Commented by Abend at 2011-11-03 17:03 x
sawyer様
「空想音楽小説」、読ませていただきました。歌劇のコンサート形式上演は現在も行われていますが、あれは歌劇ではありません。
リブレット片手に舞台を想像しながら聴くしかなかった時代ですら、録音には音像の移動や効果音のプレゼンス等が施され、聴者を助けてくれましたが、コンサート形式上演は可視的であるにもかかわらず、そこには「劇」が不在です。
Commented by Abend at 2011-11-03 17:27 x
続きをご容赦下さい。
オペラをセリア、ブッファで区分した場合、両者の関係は能と狂言のそれと同じです。我が国でも能の幕間に演じられた狂言が浄瑠璃、そして歌舞伎へと自立して行ったように、ブフォン論争という政治的側面もある音楽論争を契機に、ブッファは最終的にヴェリズモ・オペラへと自立・発展して行きました(オペレッタはブッファとは別系統であると、私は考えています)。
『奥様女中』というブッファは、風刺喜劇ですね。ブフォン論争は、ラモー派とルソー派の争いであるかのように見られていますが、初演から約20年も経ったフランス上演で、なぜブフォン論争が起こったのかは、音楽史だけの事柄ではないと思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 18:26
Abend さま、お疲れ様でした。長時間のお付き合いご容赦ください。
>『奥様女中』というブッファは、風刺喜劇ですね
はい、小生は・・・引用ですが、「舞台上を疾走し、最後に観客と自分ともに快活なアッカンベーをして舞台から笑いとともに去ってゆくフットルースな(機知に富んだ身軽な)存在が道化であり、道化役者の精神」。
そんな総括的表現としての道化が「奥様女中」に描かれていると思うのです。
執事のヴェスポーネが「道化」で、道化の描いた「お家の安泰」という秩序に向かって進んでいった結果の物語という解釈をしました。笑いの影に隠された、ある目的のための計画を、見事に実行した只者ならぬピエロが執事ヴェスポーネであると。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 18:43
続きです
市民の台頭、商業の繁栄などで、貴族社会の「お家の安泰」自体、存続が危ぶまれる時代に入ってきたという背景を考えるなら、もうかつての古き良き時代の秩序はなくなりつつ有るにも関わらず、「主人の結婚」=「お家安泰」の秩序図式しか頭にない限界をも持っているところに哀しみのイロニーがあります。
ハッピーエンドで、終わったように見えるが、将来のこを考えると・・・・どうなることやら、あんた達どう思うかね・・・という投げかけを観客にしているようです。
Commented by Abend at 2011-11-03 18:52 x
sawyer様
『奥様女中』のご解釈、同感です。ヴェスポーネこそ狂言回しですね。同様ののキャラクターが「お家の崩壊」に導くと、『指環』のローゲやレオンカヴァルロ『イ・パリアッチ』のトニオになりますね。
『奥様女中』パリ上演の1752年は、ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人が権勢を誇っていた時期です。平民出身の彼女が侯爵夫人という実の無い称号を与えられ、まさに「奥様になった平民」そのものですね。
Commented by Abend at 2011-11-03 19:21 x
続きをご容赦下さい。
ラモーは、前代に国王のお抱え音楽家として権勢を誇ったイタリア人リュリに対し、フランス人によるお抱え音楽家の地位奪取に燃えた音楽ナショナリストでありながら、その楽曲がリュリを更に洗練させたものというのも皮肉なことですね。ブフォン論争当時高齢だったラモーは、フランス革命=お家の崩壊を見ずに亡くなって幸せだったと思います。ルソーの方は、これまた人格的にかなり問題のある人物です。彼のオペラ『村の占い師』は以前LPを持っていましたが、殆ど印象に残っていません。彼が、物議を醸したシェロー&ブーレーズ『指環』を観たら、どう思うでしょうかね。あの演出は、『神々の黄昏』幕切れにはぞっとさせられます。舞台上の群集が観客の方を向き、「こんなことになってしまったのは、あんたらも関係してるんだよ」と無言で語りかけているように感じられました。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-03 22:02
Abend さま、こんばんは
>ヴェスポーネこそ狂言回しですね。
この人を無言で存在させたところに、戯曲家及び脚本家の強い意志が感じられます。無言であることが、いかにインパクトあることなのか、その時代の観衆は分かったのかも知れません。

シェローの「指輪」、(と記憶しますが他のだったかも知れません)最後はアルベリヒの勝利のうす笑いで幕を閉じたと記憶します。その意味合いは、結局滅びを迎えた神々の系統は、アルベリヒの親族、異父兄弟の妹、ジークフリートの子供をやどしたグートルーネの子供(小人族と神族両方の血が入った)が継ぐという推測が可能です。神々の支配の時代が終わり、アルベリヒの念願の小人族の世界支配がくるということでしょう。そして多分同じ争いごとを繰り返すのでしょう。どんな種族も、金と欲が象徴する資本の論理にはあがらえず、そういう世界が滅びたかと思うと輪廻転生するというメセージが込められているように思いました。
ただし、ほぼ同時にレヴァインとバレンボイムを見ましたので、混同しているかも知れません。 
Commented by Abend at 2011-11-03 23:47 x
sawyer様
『奥様女中』は原作が戯曲ですので、演劇では終始無言の登場人物がいても変ではないのですが、このキャラクターがオペラ台本にも引き継がれ、ペルゴレージもこれに歌わせることなく作曲したのは英断というほかありません。おっしゃるように、当時の観衆にはそれでわかったのだと思います。
グラウトの『オペラ史』を久しぶりに読み返そうかと思いましたが、書棚の取り出しにくいところにあるので、休日にしようと思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-04 08:39
Abend さま、おはようございます。
コメント有難う御座います。
グラウトの『オペラ史』、お読みになられましたら、是非新しい発見などご教示ください。
その題材を選択した理由も関係があるものと思いますが、オペラにおける聴衆とその理解度など興味が有ります。