ハインツ・ワルベルグのモーツァルト交響曲40番

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モーツァルトの40番の交響曲は、モーツァルトの交響曲中一二を争うほど好まれる曲で、短調の好きな日本人ごのみの曲でもある。

小林秀雄の心斎橋体験の影響を受けた人はもちろん、クラシックファンで40番が好きでない人は余り知らない。

小生が最もよく聞いたのはブルーノワルター/コロムビア響で、ワルターのルフトパウゼがわかった時の、してやったり感は今でも覚えていて、小生は後年、ワルターパウゼと呼ぶようになった。

上のコロムビア大全集のジャケット写真にあるように、ハインツ・ワルベルグ/バンベルク響の40番が、ベルンハルト・パウムガルトナー/モーツァルティウム管の41番のカップリングで入っている。

調べてみると、直前に発売された全く同じ中身の正規アルバムがあって、売れなかったためなのか、衣装替して廉価全集に組入れられたということだろう。

しかし小生は前述のように、40番はワルターを聴いていたから、この演奏には見向きもしなかったので、印象も記憶も全くなく、ワルベルグの指揮であることも忘れていた。

1965.6.年頃に、N響の客演指揮者で来日した時、どこかで聞いたような名前だと思ったが、それもそのはず、41番はパウムムガルトナーが刷り込みになった如く、レコードB面ばかり聞いていたが、ジャケット裏A面の演奏者には、ワルベルグの名前が記載されているのを見ていて、頭のどこかに入っていたからだろう。

TVのクラシック音楽番組で、ワルベルグを見たことはあるが、これといって印象に残ることもなかったし、そのぐらい真剣に聴いてなかったというこは、ハッキリした記憶はないが、ワルツだとか序曲だとかの地味な演奏品目のせいだったと思う。

要するに大物指揮者としては全く見てなかったということの裏返しで、シルベストリとはチョット違う見方をしていたようだ。

今回改めて全集をチェックすると、刷り込みのパウムガルトナーの41番のカップリングに、ワルベルグの名前があった。

今まで聴いた覚えがない、ワルベルグの、しかも気に入っているオケ、バンベルク響との40番、コロムビアから60年代初期に正規盤が発売になったが、それ以来再発もCD復刻もされてなさそうなので、この際聴いて見ることにした。

ワルベルグの予備知識は皆無で、他の演奏音盤も全く聴いたことが無いので、僅かな記憶はN響との演奏だが、それもわずかと言うより、ほとんど記憶にないといったほうが正しい表現になる。

正直あまり期待はしてない音盤であった。
モーツァルトはだれにも振れるが、しかし手を少しでも、一瞬でも抜こうものなら、たちまち大いなるしっぺ返しが来る音楽であるように小生は思っている。

しかもピアノ協奏曲が代表的特徴である即興カデンツァで見るような、演奏者の(気まま勝手の)自由度の幅は、交響曲の場合、そんなに広くないだろうから、良い塩梅のアーティキュレーションが求められるが、その匙加減が難しいことが多く、よって安全なザッハリッヒな演奏が多いのではないかと小生は思うところである。

モーツァルトを得意にする演奏家、指揮者は思うより多くはないようで、かつて一世を風靡した大マエストロのモーツァルト演奏、指揮も、今では鼻に付いてしまうことが、小生の場合少なからずあって、モーツァルトを克服しようとしない演奏、つまり自己を抑えた演奏に、いいものがあるように思う。

たまたま本日見聞きできた、カツァリスとマリナーの21番の協奏曲は、テンポが早いのが気になったのと、カツァリスのアインガング、カデンツァは好きに離れなかったが、それ以外は、モーツァルトの化身が降臨したかと思うぐらい、技術と音楽性がバランスした水準の高い演奏であった。

またエッシェンバッハとウイーンフィルの23番2楽章は、ロマンティシズム溢れんばかりの、モーツァルトからはかなり遠い演奏だったが、こういうのも悪くはないし、むしろ大好きな演奏で、ややもすると、指揮者とピアノのバランスが崩れるところだが、弾き振りの効果が良く出た素晴らしい演奏で2楽章の喪では物足りない思いであった。

2楽章はどちらもロマンチシズムがあることはあるが、ロマンチシズムの中身が全く違う、モーツァルト演奏スタイルで、いずれもが自分のモーツァルトをきちんと持っていて、妥協することなしに表現したこと、そして何よりもモーツァルトに寄り添う姿勢が、演奏に現れた結果であるからこその良演奏だと思う。

このような演奏を見聞きした後のことだから、より一層ワルベルグには、先にも述べたように、期待はしてなかった。

事実ワルベルグの演奏は、堅実なところはあるものの、40番のモーツァルト演奏で何を表現したいのか、最後までわからない、自己表現が見られない、つまらない演奏だったが、しかし、2回目の視聴で先に思ったことを打ち消すような何かが、じんわり湧いて出てきたように感じたのだった。

それは、なにもしない美というか、ウイスキーのCMじゃないが、何も足さないなにも引かないと言うか、とにかく自然体、石化けのような感じがして、つまらないという感想から、数歩前向きな評価となる気配がした。

実に何もせず、ただただ流れすすむ音楽に身を委ね、真実はモーツァルトの音符にあり、という寄り添いの感触を感じることができたようで、あれこれ考えるまもなく、音楽がが進行して行った。
そして、ひょっとすると、こういう演奏こそ、モーツァルトによく似合うのかもしれないと思うに至った。

ちなみに石化けとは、渓流の魚釣師が、付近の自然と同化することで、臆病な魚に安心感を与えると言うもの。

音楽から推測できる姿勢だが、きっとワルベルグは、指揮の姿も地味で、必要なところ以外オケに任せ、細かい指示や大業な身振り手振りはしない指揮者なんだろう。

はじめは勇んで美味しく食した、仏料理、イタリアン、中国料理、などの高級料理では、そのうち飽きてしまって、それを食して毎日過ごすことが困難になり、やがてお茶漬けやご飯と味噌汁が恋しくなる、そんな感じのする音楽であった。

小津安二郎ではないが、お茶漬けの味と言った比喩がよいかもしれない。

こういう演奏を知っていると、他の演奏をチョイスするときに、思い切ったものを選択することができる。
ダメでも飽きても、ここに帰れば良いのだから。

音源という音源がCD化される今日、そんな演奏の1つや2つを持っておくことが必要とされる時代なのであろう。

そんな印象のワルベルの40番であった。

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by noanoa1970 | 2011-10-23 22:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by Abend at 2011-10-23 23:45 x
sawyer様、こんばんは。
NHK-BSプレミアムで、小津安二郎の『秋刀魚の味』をやってますね。見るのは何年ぶりかですね。
ワルベルクは、アルゲリッチと組んでコンセルトヘボウを指揮したベートーヴェンのP協1番を持っていますが、長い間聴いていないので、再聴してみます。
40番の演奏では、スイトナー/SKD盤とアーノンクール/コンセルトヘボウ盤という、全く趣向の異なる演奏が好きです。近頃聴いたものでは、ブリュッヘン/18世紀Oが良かったですね。39番や41番に比べると聴く頻度が少ない曲ですが。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-24 09:01
Abend さまおはようございます。
秋刀魚の味、リマスター前のものをVTR録画で見ていましたが、デジタルリマスターされたものが、どのくらい効果的であるかも確認したく、昨夜見ましたが、睡魔が襲ってきて半分しか見ることができませんでしたので、本日また最初から見なおしたいと思います。東京物語以上に秋刀魚が好きな小生です。
モーツァルト後期の交響曲はパウムガルトナーか、ペーター・マーク、40番はアイネクライネで特徴のルフトパウゼを入れ込んだワルターを好んでいます。マーク以外はどれも少し癖がありますが、それがよい結果を生んでいるようです。マークがワルベルグに近いように思います。マーク、35番か36番で、ルフトパウゼが入っているのには驚ました。40番、かつてほど聴かなくなったのはなぜでしょう。マリナーのLPもあったとおもいますが全く聞きません。