カデンツァいろいろ、ベートーヴェンP協奏曲3番

最近のCDの中には、あるテーマに基づいたコンセプトアルバムが時々登場することがある。

同じ曲を違う演奏で聴く事が多くなってくると、ピアノやバイオリン協奏曲、ソナタといった曲のカデンツァが違っていることに気がつくが、演奏者固有なのか、作曲者自身なのか、それとも他の作曲家によるものか、有名なものは、およそ分かるつもりでいるが、初めての場合は見当がつかない限りだ。

小生のかつての異色カデンツァ体験は、ラローチャ/シャイーのベートーヴェン3番4番の協奏曲、どちらかはっきり覚えてないが、カデンツァで出てきた音は、其れまで聴いたことがない、作曲者自身ではなく、ラローチャ作にしては大胆すぎるような気がして、ドキッとする感じを覚えた記憶がある。
そして、あのカデンツァはいったいだれの作品なのかと長い間思っていたが、ようやくライネッケであると分かって、なんだかとても安心した覚えがある。

見知らぬカデンツァに遭遇したとき、その正体が分かるまで、なんだか不安になるのは、小生に限ってのことカも知れないが。

それで以前から、カデンツァが誰の作品かが分かるといいとは思っていたが、作者自身のカデンツァがあるものはともかく、そうでないものを入れるとなると、何しろ楽曲ごとに複数あるわけだから、すべてを聴くことは困難のきわみだし、おまけに作者自身のカデンツァを採用しなく、演奏者の自身のものを使っているものあるから、複雑極まりない。

せめて、よく聴く曲で明らかに違うカデンツァを使用したものについて、整理できればありがたい、そう思っていたのだが、まず手始めとしてちょうど良い物が見つかった。

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しかし聴こえてきたのは、最初のベートーヴェンのカデンツァ以外には、全く聞き覚えの無いものばかりで、こんなはずではないのにと、よく確認せずに注文したことを悔やんだが、でも小生にとっては未知のものが聴けることに満足しなければ始まらないと、諦めつつも複数回聴くことになった。

それにこのCD、実は特別価格で通常の約半額であったから、諦めの度合いも早かったのだ。

どうしてこのように、小生の経験からは、余り演奏されないであろうと思われるものばかりを集めたのか、とても不思議に思ったが、「リシェ」と言うピアニストは、現代ピアノ作品を得意にしていて、世に余り知られてない作品を掘り起すに貢献しそうな、1920年代のピアノ協奏曲集というコンセプトアルバムを2種類出していることがわかり、知られたカデンツァは避けて、近代音楽家の手になる未知ものを中心に集めたものと言うことなのだろうことが推測できた。

演奏はM.ボッシュ&ベルリン・ドイツ響をバックにした低音部が強調された録音で、ベートーヴェンのカデンァでの演奏は、これと言った特徴が無いもので、演奏を聞かせるというより、カデンツァの紹介と言う要素が強いアルバムのように思われた。

カデンツァは作者自身のものを含めた、以下の6人の作曲家の手になるもの。

ベートーヴェン版
イグナーツ・モシェレス&ブラームス版
シャルル・ヴァランタン・アルカン版
エルヴィン・シュルホフ版
ヴィクトル・ウルマン版
ミヒャエル・リシェ版

ブラームス版は意外に弾かれてないようで、モシャレスの絡みであろう箇所はは効果的とは思えなかった。

アルカンはその道で有名だが、何せ長すぎるカデンツァ、これだけで独立しているように作られた感があり、実際にカデンツァとしては採用はされないのだろう。小生はライネッケのカデンツァのほうが好みである。

シュルホフ版は、途中でベト5「運命」の終楽章のトロンボーンによる第1主題のメロディーが引用されているのが面白いが、それ以外ははっとするようなところがない。

モシャレスと同じチェコ出身のウルマン版は、現代音楽化らしいところを見せるが、ベートーヴェンというjこともあって、頽廃音楽とされたようなところは全く見られない。しかしこういうカデンツァが挿入されたら、と思うと、これを含めて5人の作者のカデンツァ作曲の意味合いがよく分からなくなる。

今回のピアニストであるリーシェの版は、ゴツゴツしていて使えそうな感じが最初にあり、モチーフがパガニーニのように編曲されていて、本編にもたくさん出てくるトリルをここでも多用しているから、くどく感じてしまう。

6つのカデンツァの後に続く2.3楽章を聴いて思うのは、3番自体の演奏はおまけなのか本位なのか、リーシェの演奏自体に特徴が乏しいせいもあいまって、よく分からなくなってくる。

123楽章をを続けて演奏しなかった意味も分からないので、せっかくの企画も自己満足を脱してないように思われてならない。

希少価値的なカデンツァよりも、まずは現在弾かれる主なものを出来るだけ多く収録したものが望まれるように思う。

何か他の意図があるかもしれないが、小生には理解できなかった。

演奏が抜群ならば、まだ救われたとは思うが、少々残念なCDだ。

以下のCDも発売されている情報をつかんだ。
こちらは小生の期待通りの内容であると推定されるから大いに期待したい。
20番は特に整理しておきたかった曲である。
期待して入手してみようと思うが、演奏は多分・・・・。

参考データは以下のとおり。
ヘンスラーからの発売

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ピアノ協奏曲第20番 二短調 K.466
ミヒャエル・リシェ(ピアノ)
ホワード・グリフィス指揮 WDR(西ドイツ放送)交響楽団
2008年6月18~20日 ケルン・フィルハーモニー
第1楽章:10:47+
 カデンツァ・コーダ:リシェ:2:48
 カデンツァ・コーダ:ブゾーニ:2:45
 カデンツァ・コーダ:ブラームス:4:10
 カデンツァ・コーダ:ヒュンメル:3:21
 カデンツァ・コーダ:ベートーヴェン:3:32
第2楽章:8:54
第3楽章:5:40+
 カデンツァ・コーダ:リシェ:2:23
 カデンツァ・コーダ:ブゾーニ:2:45
 カデンツァ・コーダ:ベートーヴェン:2:40
 カデンツァ・コーダ:クララ・シューマン:2:32
 カデンツァ・コーダ:F.X.モーツァルト:3:18


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by noanoa1970 | 2011-10-15 00:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by こぶちゃん at 2011-10-14 11:59 x
ピアノ協奏曲のカデンツァへのこだわりは、昔からですね。件のベートーヴェンはこれですね。
http://www.bidders.co.jp/dap/sv/nor1?id=97337807&p=y%23body
スペルを確認しましたが、リーシェと伸ばさずリシェが正しいようです。
しかし、3番でここまで異なるカデンツァを集め引き分けるピアニストも面白いですし、ARTE NOVAならではの企画なのかも?と思わせます。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-14 15:47
こぶちゃん さんこんにちは
小生ポカしましてCDの写真を挿入するのをすっかり忘れておりました。こぶちゃんさんがなぜにCDのURLをコメントしたか不思議でしたが、その理由が分かりました。(笑)
スペルからは「「リシェ」でしょうね。ご指摘のとおりだと思います。
小生としては古典的なカデンツァをヒライトしてほしかったのですが、これはこれで珍品としての存在価値はあるでしょう。
20番のモーツァルトでは古典的ナものが多く採用されていますし、カデンツァと本編の順序も変更されているようで、反省にに基づいたような気もします。ベトP3の演奏は余り芳しくありませんでした。
Commented by Abend at 2011-10-15 13:18 x
sawyer様、こんにちは。
オペラでアリアの終結部を歌手が即興で歌った慣習が、器楽にも応用されて協奏曲のカデンツァになったのですね。時代とともに即興性が失われ、作曲者自身や歴代の演奏者が作るものとなり、現代ではそれをそのまま、もしくは少しアレンジして演奏するのが普通ですから、演奏者が誰のカデンツァをどう使うかが鍵になっています。ヴィルトゥオーゾ時代の終焉とともに、カデンツァの即興性も終ってしまったのですが、何か寂しくもありますね。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-15 14:20
Abendさま
たとえば、モーツァルトのP協奏曲で、モーツァルト自身のカデンツァガあるもので、其れを踏襲している演奏ならば、おおよそ目処がつくのですが、演奏者自身のものや、他の作曲家のものは、曲想がかなり変わることが多いカデンツァなので、特定できないことが多いです。
せっかく素晴らしいカデンツァだと思っても、其れが誰のものであるか分からないままでは、100%聴いた気がしないので、なんとかならないかと思ってましたが、ベト3がありしたので早速入手しましたが、普段めったに聴く事が無いものばかりで、目的にかないませんでした。
まだ入手していませんが、モーツァルトの20番は期待が持てそうです。演奏者の中には、作曲者のカデンツァを使わないで、自作のものを使う人もちらほらいますから、この世界、実にややこしいことになっています。誰のカデンツァをつかったかと言う表記は、ライナーノーツに表記されることは非常にまれですから、これも改善していただきたいですね。