レオポルド・ルートビッヒのブラ1

カラヤン最後のロンドン公演のライブ録音でブラ1を聴いたが、絶賛される割に小生は少し引いてしまうことが多い。
むしろ、カップリングされた「浄夜」こそ絶賛されるべきと思うことが常である。

食傷気味なカラヤンのブラ1から逃れるためにと思って、迷った上げく決めたのが本日のブログテーマの指揮者の演奏である。

レオポルド・ルートビッヒは、ここ数年でようやく世に知られることとなった。

古いクラシックファンは、アナログディスクで、オイロディスク盤や国内廉価盤でそこそこの演奏が出ていたのを記憶しているかも知れないが、CD時代になって、彼の演奏が復刻されることはほとんど無かった。

小生は80年代の中ごろに、大手ショップで海賊盤CDのオペラ抜粋を見たことがあったぐらいで、数年前までは聴こうと思っても、古いアナログディスクでしか聞くことが出来なかった指揮者である。

ところが数年前に、コロムビアから「オイロディスク・ヴィンテージコレクション」シリーズが発売となり、その中に懐かしい彼の録音が数点あった。

ハンブルク国立フィルハーモニー管との、「チャイコフスキー5番そして6番」の交響曲。
同じオケでメンデルスゾーンの「イタリア」
同じくブラームス1番
さらに初出のベートーヴェン第9/ベルリン交響楽団
交響曲ばかり合計4枚が含まれていて、そのほかにも懐かしの演奏が多く、マニア好みといってよい、近年に無い素晴らしい企画であった。

小生は1962年ごろ、チャイ5.6そしてイタリアのLPを良く聴いていて、彼の演奏録音が、初めて聴いたレコードだったから、相当な刷り込みと思い入れがあったと思う。

そのLPレコードは、今も手元にあるが、50年の経年変化でジャケットはボロボロになり、一体型ステレオ装置で聴いていたせいで、盤面は傷ついて、スクラッチノイズが相当ひどくなってしまっている。

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だから復刻CDが発売されるや否や、即刻入手して愛聴しているが、その中から本日はブラームス1番を聴くことにした。

ルートビッヒについて、情報に乏しかったその昔の解説は、「ドイツの中堅指揮者」という簡単なものだったが、最近の其れも昔とほとんど変わるることがなく、「手堅い指揮者」というよく分からない位置づけをするにとどまった。

さすがに「ドイツの」とは言わなくなったのは、フランツ・コンヴィチュニーと全く同じ、チェコのモラヴィア出身であることが判明したjからだろう。

コンヴィチュニーより7歳ほど若いが、1979年まで存命だったから、録音は少ないながらかなり状態がよいものが多い。

歌劇場の経験が長い、いわば叩き上げの指揮者だと思われるが、オケのコントロールに優れた能力を発揮ししていることは、これらの演奏録音を聴けばすぐに分かることだ。

北ドイツの歌劇場、ハンブルグ国立歌劇場の監督を務めたことから、歌劇場出身指揮者に多い、冒険は決してすることなく、歌い手を引き立てる役目に徹する職人指揮者が多いことから、「手堅い」「中堅」などという意味不明の形容をされたのだろう。

「中堅」というのはかなり失礼な形容で、ネームヴァリューの無さと彼の音楽を聴く機会が極めて少なかったことによる、勝手な決め付け以外の何者でもない。

難曲のベルク「ルル」をも取り上げているというから、ぜひともオペラ作品を聴きたいものである。

かつて小生は彼のベト9について書いたが、演奏スタイルは、ベト9のそれとほとんど変わルことが無いのは、これが彼のスタイルであるといってよいだろう。

ブラ1の演奏録音、録音データは記されてないが、音質から推測すれば、1960年代初めごろではないかと思う。もっと当たらしい可能性もあるが、50年代後期でも状態のよいものがあるから、断定は出来ないが、1962年のコンヴィチュニー盤と比べると相当録音状態がよい。

モノーラルが多く、ステレオでもあまり録音状態がよいとは言えないコンヴィチュニー盤、せめてこのルートビッヒ並みの録音であれば、演奏の素晴らしさがもっともっと認められることだろう。

ルートビッヒのブラ1であるが、奇をてらったところは一切見られなく、少しアップテンポでひたすら突き進んでい熱き血潮がたぎるものである。。

リピートもしないし、ティンパニーの追加も無い。

しかし決して凡庸な指揮者で無いことは、解釈とかアーティキュレーションなど自分を前面に押し出すことからは遠く地味ではあるが、だんだんテンポを上げてハーモニーを厚くしていくアゴーギグ手法が随所にあって、最初の音のインパクトをやや強めに出す手法とあいまって、派手さは無いが全く鈍調なところが無いばかりか、リズミカルでキレがよい音楽を作っている。

さらに「手堅い」という評価を根本から覆す、目的向かってひたすら何も考えずに突き進んでいく、熱いものが漲る演奏だから、聴いていていつのまにか無呼吸症状に陥ることがあるぐらいだ。

そのような演奏スタイルに少し似ているものとして、ドホナーニ/クリブランド管の演奏を思い浮かべることが出来るが、ドホナーニほどの客観性は少ない。

聴けば聴くほど不思議な演奏で、あえて言えば即物的演奏といえるのだが、ところどころに情感溢れる歌がある。
オケを十分なコントロール下において、かなり強引に引っ張るところも見られるが、ソロパートになると、かなり自由に演奏させ、そこには必ず歌心が存在するがしかし、歌が崩れることはなく、節度が保たれた中での遊び心といったところが見受けられる。

まるでオペラのアリアのような気分であるが、あくまでも経験から身についたものだから、当人は意識して無いだろう。

このオケの実力は相当なレベルにあって、たたみ込むような場面でも決して乱れることは無い。
クラウス・ショウコウだと思うがフルートも凄腕だし、コンマスのソロは見事というほか無い。
ホルンも全員がゆとりが感じられるぐらいで、重さはなく浪々として明るい。

終楽章、コラールで第1と第2の途中引継ぎも全く分からないほど、均一な奏法と音質の朗々とした響きのホルンであった。

弦パートの鋭い切れ込みと、アインザッツこそあわないところもあったが、中ではピタット合った合奏力そして分厚いハーモニーが、演奏に緊張感を保持させる源のようだ。

このことはブラ1に限らず、ほかの曲の演奏でも顕著に見られ、歌うハーモニーの素晴らしさに、ラテン的なテイストたっぷりの「イタリア」を、ぞくぞくしながら聴いた経験は、彼の演を奏聴くまで無かったことである。

チャイコフスキーでもそうであったが、いったい「手堅い」演奏をする指揮者であるというレッテルは、どこから来るのだろうか、情報量が少ないうえに肝心の音楽も少なかったから、音楽をろくに聴かずに極わずかな情報を優先し、そこからの推論によるところが、彼の評価となってしまったことだろうことは、推測するに難しくは無いが、せめて当時聞くことの可能なものだけでも聞いたら、決して「手堅い」「中堅の」などの形容詞が横行するはずが無い。

そして現在も、かつてつけられてしまった濡れ絹的形容が、まだ跋扈するような感があるのには困惑気味だ。
解説担当や評論家の中には、購買者である視聴者の音楽的知見を小ばかにしたようなところがあって、ろくに聴いてもいないか、あるいはチョイ聴きしただけで、印象を述べているとしか考えられない文章を書くものも見受けられるが、いかにプロフェッショナルといえども、たとえ文章は下手でも、何回も聴いた上での表現の力には決して太刀打ちできるものではない。

ドイツの歌劇場で腕を磨き、音楽監督にまでなったからカペルマイスターであるとし、演奏録音の数が少ないから「手堅い演奏」をする「中堅指揮者」であるというレッテルを、もう取り去らなくてはならない時期ではないだろうか。

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by noanoa1970 | 2011-10-06 21:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(7)

Commented by HABABI at 2011-10-06 23:33 x
こんばんは

カラヤンのブラームスの交響曲第1番の録音は、1960年前後のものしか持っていませんが、その(中途)半端感が面白いと思います。重厚でもなく、ロマンティックでもなく、・・・でも、結構好きで、その独特のバランスを楽しんでいます。
Commented by cyubaki3 at 2011-10-06 23:51 x
ルートビッヒの発掘&再評価は喜ばしいことです。

ところで本日クレンペラー&フィルハーモニア管でブルックナーの第8を聴いたのですが、非常に良かったです。ここ1~2年で聴いたたこの曲のCD(ベーム&VPO、クナ&BPO、シノーポリ&ドレスデン国立管、ドホナーニ&クリーヴランド管)と比べてもベストかもしれません。カップリング曲のジークフリート牧歌もなかなかでした。録音も時代の割にはいいと思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-07 08:10
HABABI さんおはようございます。
カラヤンのブラームスは余り縁の無い小生ですが、50年代後期のVPOとのDECCA録音3番は甘味なところが気に入っていて、数日前にも聞いたところでした。カップリングのドヴォ8も洗練された演奏で、土俗的なところが見られないのもいいと思います。
今録音は音質は余りよくありませんが、悲壮感のようなものが漂うカラヤンらしくない演奏のように聞きました。最後まで緊張が持続する特異稀な演奏ではないでしょうか。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-07 08:22
cyubaki3 さまおひさしぶりです。
クレンペラーのブル8、小生は未聴ですので、ぜひとも聴いてみたいと思っています。小生はコンヴィチュニー盤を主に聞いていますが、終楽章のドイツの重戦車軍団が起動しだすようなところの俺に見合うテンポ設定のものが好きですから、どの様に表現されたか興味が沸いています。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-07 09:11
cyubaki3 さまおひさしぶりです。お元気でしたか。
ブル8は嫌いではないのですが、クレンペラーはNハーモニアとの「大地の歌」以外に際立った好みの録音を知りません。
付加彫りすべき指揮者であることは重々承知ですから、この際ご教示いただいた音盤を入手して聞いてみたいと思います。
ブルックナー、マーラーともに定評のある稀有な指揮者ですから。
Commented by Abend at 2011-10-07 20:58 x
sawyer様、こんばんは。
ルートヴィヒは第九と悲愴しか聴いたことがありませんが、この指揮者が歌劇場のオーケストラピットにいれば、歌手もオケも強い支えを得て演奏ができるのではないかという印象を持ちました。「豊かな歌心、爆発する推進力」などと評されていますが、下積み修行から総監督まで昇り詰めた歌劇場生え抜きの指揮者ならば、優れたオケの統率力を土台に、歌わせるツボと推進力を体得しているのは当然のことだと思います。
レヴァインが日本でも知られるようになった頃、彼がコンクール指揮者ではなく、セルの助手を務め、フィラデルフィアOを振って指揮者としてデビューした後は歌劇場を軸として活躍していることが珍しがられたものです。メトの主となってからレヴァインが録音したオケの曲は、日本での世評があまり高くありませんが、私はそうとは思いません。BPOを振った『浄夜』も収められている"A 60th BIRTHDAY TRIBUTE"の4CDを聴くと、どれも見事な演奏で感心させられます。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-07 23:31
Abend さまこんばんは
ルートビッヒ、お聞きになられましたか。両方ともに小生の満足度は高かったです。やはりオペラをぜひ聴いてみたいです。こういう時代ですから、いずれ発売されることでしょう。
わが国の特徴なのか、オペラを聴かないクラシックファンが多いようで、そのせいか、オペラ出身の指揮者を下に見る傾向があるような気がします。海外では逆の傾向があるのではと推測します。ジョルジュ・プレートルだってオペラ指揮者出身だし、お揚げになったレヴァインなどは典型でしょうね。彼のメトfでの「指輪」は相当よかったと記憶します。ドイツレクイエムで、歌手陣を手際よく補助しオケを自在に操る巧みも、劇場の経験が豊富な証拠でしょう。風貌がカーリーヘアーなところが損をさせているように思わないでもないですが、ダイナミックで力が漲る音楽を提供してくれますね。