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秋刀魚の味と戦後

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8月6日は「特別な日」である。それは太平洋戦争戦争終結にいたるための、大きな犠牲の日であるからだ。
そこで急遽小津作品の中の戦争を探ってみることにした。

中学時代の漢文の先生であった、「ヒョウタン」こと東野英治郎が落ちぶれてやっているラーメン屋「燕来軒」で駆逐艦「朝風」の艦長だった平山(笠智衆」と1等航海士の坂本(加東大介)が偶然出会い、坂本行きつけのトリスバーでの会話。
「どうして日本は戦争に負けたんですかねー」
「バカヤローどもが威張らなくなっただけでも良かった」「艦長さん、あんたのことではないですよ、あんたは違う」
「日本が勝っていたら、今頃ニューヨークですよ、ニューヨーク」・・・・・・・・・
「青い目して丸髷結って・・・・」「ザマー見ろだ!」
「でも戦争に負けてよかったじゃないか」

「敗戦したことが良かった」・・・・戦後10年足らずのこの時期、当時ではなかなか言えないことである。まして公共の場で大衆が見る映画の中では、これを言わせるのにはとても勇気がいることだった思う。

この風景が何時のものか特定できないが、映画は1962年製作であるから、少なくとも戦後15年は時を経ているはずであると思うが、当時の国内ではまだまだ戦争の残像の数々が残り、語られていたのであった。
戦争で行方不明になった人を探す「尋ね人」の番組放送をNHKがラジオでやっていたのを小生は覚えている。小学生だったから、1960年当時のことであったと思う。

小生はこの当時小学生高学年か中学生、今でも記憶にあるのは、その頃住んでいた家(中部圏の都市)の上空は、いつも米軍のジェット機が激しい爆音を響かせて飛んでいて、そのたびに「また戦争が起こるのだろうか」と本気で思ったことが幾度もあったことをはっきり覚えている。ロッキードのT-33,F-86F、F104スターファイターが上空を飛ぶ姿はハッキリ目に焼きついている。
小生の親たちの世代の太平洋戦争の記憶がまだ乾かないときの1950年に、朝鮮戦争が起こり、軍事的、政治的、経済的・・・全てにわたり日本もその影響下にあったので、特に「いつ北が攻めてくるか分からない」という不安と恐怖の影響を、小生も受けていたのだと思う。
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「秋刀魚の味」は1962年・昭和37年製作、最後の小津作品。
もと駆逐艦「朝風」の艦長平山=笠智衆が「日本が負けてよかった」と、共に戦争にいった加東大介につぶやき、トリスバーで軍艦マーチを聞き、酒をかたむける複雑な心境。戦争で悲惨な目にあいながらも「負けてよかった」とあえて言うところに、今を生きることに対しての喜びと同時に、個人ではどうしようもない過去の「不条理」への懺悔と後悔と、ほろ苦い思い出が複雑に絡み合う心境を小津流の言い回しであらわしているのである。

娘を女房代わりに便利に使い、娘の結婚願望に気がつかず、好きな人と一緒になる夢を奪い、結局見合いで結婚することになる。・・・・脂の乗った美味しい秋刀魚も「旬」を逃すと、その味を極端に落としてしまう・・・・という皮肉も、この「秋刀魚の味」というタイトルにこめられている。

             -追加-
昨夜(今朝)の「朝まで生テレビ」は終戦60年特集で、戦争を体験した世代の方が集まり、お話をした。70代後半から85歳付近の年齢の、陸軍、海軍で戦争を戦ってきた・・いわば最後の生き証人たちである。731部隊の方の生々しい話しもあったが、
その中で「もし戦争に勝っていたとしたら、日本は今より良い国になっていたと思うか?」
の質問に対して、「よくなっていた」と答えた人は誰一人いなかったことをあえて書いて置くことにする。

by noanoa1970 | 2005-08-06 07:57 | 小津安二郎 | Comments(0)