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開高健の言葉から

書くようにしゃべる作家、開高健が20年前に語ったことが、印象的であった。

どういうわけかNHKが先の番組で、本人死亡のため未完に終わった釣旅行のドキュメンタリー映像を放送した中でのことだ。

番組のテーマの1つであった、さまざまな釣の経験を経た後、開高健が最終的に行き着いたのが、バスフィッシングであったこと?の謎を探るのも面白いだろうが、(答えは小生の中では既に出ている)ここはその含蓄のある話に話題を集中することにする。(そもそも小生は、最後に行き着いたのがバスフィッシングだとは思わない)

小生の印象に強く残った開高の言動は、「西欧文化と日本文化の違いの大きな理由」といえるものだった。

葛飾北斎の浮世絵春画の天真爛漫さが本当に理解できたのは、西欧のそれらと同列に比較することが出来た北欧での展覧会であったというところから話がスタートした。

なにごとにもGod、教会、すなわちキリスト教の影響が付いて回るまわる西欧であるがゆえに、たとえ反キリスト教的意思の元の諸作品でさえ、キリスト教教会を意識したものであり、その影響下にある。
意識的にせよ無意識的にせよ、神の存在があるということは、キリスト教の長い歴史の伝統といってよい。
西欧の春画にしても、Godの影の元に存在するから、意識しないにもかかわらず性をよくないものとして捕らえる力が働くのか、どうしても自然なおおらかさに欠ける。

ところが日本では、アニミズムのDNAはあるが、特定の宗教がない、つまり宗教的束縛が一切無いから、北斎の浮世絵春画に見られるような、天真爛漫さが表現される。

文化的にはそのとおりだが、科学となると話は少し違って、西欧のキリスト教国では、科学、科学技術といったものには常に懐疑的で、批判である。
これはいまだにダーウインの進化論を否定するキリスト教地域もあるぐらいで、歴史的に培われたものである。

しかしわが国のようにアニミズムのDNAが文化的に残るだけの国柄は、無批判に科学あるいは科学技術を受け入れる傾向にある。
自分たちの生活に都合よいものは素直に受け入れてしまうというわけである。
このことが宗教、キリスト教を根に持つ国柄と、そうでない国柄の決定的な違いである。

戦前まではそういう無批判的受け入れを、お上という権力が取捨選択し規制してきたが、敗戦後価値観の大転換が起こり、自由主義国家となった日本に、いい意味での規制がなくなってしまったことが、文化も科学も無批判な享受に結びついたというのは、ある意味正しい見方の1つだ。

開高は以上のように、大雑把でかなり独断的に思えるような論理展開をしたが、小生はこのことを聞いてすぐに東日本大震災、そして福島原発事故を想起した。
事故の大きな要因は、想定外という言葉が表すように、人間の勝手な思い込みの結果が大きな原因で、神や自然に対する畏怖の欠如が助長したと見てもよいだろうから、開高の20数年前の指摘は、まことに的を得たものであると感心してしまった。

釣はその世界に浸かると、釣るという行為以外のものがたくさん見えてくる。
開高がルアーフィッシングから、魚の生態を学び、魚がの捕食行動行動産卵行動、テリトリー守護行動を研究し、さらに魚の生態に関係するあらゆる自然生物学的対件を得たのも、開高本人のあくなき探究心もさることながら、必然的な結果でもある。

catch and eatからcatch and releaseへの移行時代があり、ルアーフィッシングであらゆる大物を釣り上げてきた経験がある開高が、バスフィッシングの次に向かうステージを、フライフィッシングであると小生は断定することが出来る。

57歳であの世に旅立つことがなければ、バスのルアーフィッシングから西洋式毛ばり釣、」すなわちフライフィッシングに向かうと思う根拠は、フライフィッシャーの多くは、バスフィッシャーからの転向者が多いこと、小生もその1人であったからだ。

ルアーが主に小魚の泳ぎを演出して、より大きな魚をおびき寄せる釣りだとすれば、河川湖沼の淡水魚の捕食行動でもっとも多い、陸生昆虫水生昆虫を小魚に加えた「フライ」での釣を覚える必然性があるからだ。

バスはファイトという見方からは確かに面白いが、誰にでも、其れこそ、どこでも釣れる魚種となってしまったし、日本ではスモールマウスバス1種類しかいない。

それに厳冬の魚釣り休眠期間でも、フライを巻くという楽しみ方があり、昆虫類の生態系、フライの材料の知識、巻き方のノウハウを鍛錬する楽しみ、そいsて自分が作ったフライで魚を釣るという楽しみもある。

決定的なのは、ルアーフィッシングではめったに無い、水面で昆虫類を捕食する魚を、フライで釣るときの魚の捕食の姿が目の前で見られるということで、これは一度でも経験すると、感動もので、病み付きとなってしまう。

ルアーキャスティングと違い、キャスティングに慣れるのにも練習が欠かせない釣で、釣の前に準備することが非常に多いのも、フライフィッシングが並大抵の容易さでない釣り方であり、其れがかえって魅力度を増していることになる。

したがってさまざまな釣、特にルアーフィッシングを経験した釣師から転向する人が多いというのもうなずける。

「餌釣りは子供と老人の釣り、ルアーフィッシングは大人の釣り」といいながら、最近は子供のルアーフィッシングの上手なことを付け加え、自分の釣の立ち位置を見直すような発言もしたから、子供が絶対にやらない、やれないフライフィッシングに転向する確立は非常に大きかったと思うのである。

海外での釣行の多い開高のことだから、そしてフライフィッシング人口の多いイギリスでの釣行から、フライフィッシングに関する情報を得ていたし、本を読み漁ってもいたに違いない。

開高が生きていてフライフィッシングをやっているとすれば、これまで以上の釣の作品をたくさん書くに違いない。
釣るという行為以外にも話の材料が豊富なのも、フライフィッシングの特徴だから。

TV番組側の疑問に対しての答えは、最後にたどり着くのは、「フライフィッシング」で、バスのルアーフィッシングではないといっておこう。

そして一時話題になったがいまや忘れ去られようとしている感がある、さまざまな開高語録を今一度、この時期だからこそ見直す必要があると思う。

棚に眠っている開高の著作を今一度読もうと強く思っている。

by noanoa1970 | 2011-10-02 16:42 | 書籍・作家 | Comments(0)