仏PATHE MARCONI 盤で聴く2つの録音のことなど

先日ミュンシュ/パリ管、仏パテ・マルコーニ盤の音質が良くないということを書いたが、違う曲ではあるが、同じ仏パテ・マルコーニの音盤があったのでこちらも聴き直ししてみた。

この音盤、最後に聞いたのはいつだったか、今ではその記憶さえない状態であるが、おそらく10年以上は経っているのではないかと思われる。

盤の状態は、数回針を落としただけなのですこぶる良い。
事実針を落としたが、物理的ノイズは皆無であった。

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プーランクの2台のピアノのための協奏曲、クラヴサン協奏曲「田園コンセール」:ジョルジュ・プレートル/パリ音楽院管弦楽団、プーランク自身のピアノ他による。

録音は1962年、録音技術者データは記載されてないが、ミュンシュのブラームスと同じシリーズである。
同一エンジニアの録音とも考えられるが、定かではない。
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聴いてみて仰天したが、1962年録音にもかかわらず音は鮮明、現在のデジタル録音と比較して、遜色がない。
音の角はなく、聴いていてワクワク感が喚起され、プーランクの小洒落たところが良くわかる。
CDも所有しているが、LPのほうがエネルギッシュに聞こえる。
ピアノの音色が冷たく感じないのがLP、余分な響きをカットしたような音のCDは綺麗だが色気がない。
ミュンシュ/パリ管のブラームスと比べ、オケの録音状態をチェックしたが、響いた音は生々しく、ヴェールをかけたようなブラームスとはまったく異なるもので、同じレコード会社の録音だとは、到底思えなかった。

いったいブラームス音盤製作の工程でで何が起こったのだろう。
何かの瑕疵がなければ、あのような醜い結果にはならなかったはずだ。

EMIは、録音が良くないということが、その昔掲示板でも話題になった覚えがある。
その中には、イギリスEMIは良くないが西ドイツEMI,仏EMIは結構良いから同じ曲目でも、西ドイツか仏盤を探すと良いなどというものがあったが、ブr5アームスを今回仏パテマルコーニ盤、国内盤(手元にないので記憶だけだが)、そして国内盤CDを聞き比べてみたが、違いはほんのわずかで、音が良くなったというほどのものではなく、いずれも相変わらずよくなかった。

上のことは、主にカッティング、ラッカー板、プレスのいずれかの工程に要因があると考えられるが、厳密に言えば、音質劣化はオリジナルマスターラッカー板が使えなくなって、それをコピーした2番手3番手を使用することによっても起こる。

しかし英EMIが慨してよくないというのは、オリジナルマスターとサブマスターの差であるということでなく、工程すべてのどこかに、重要な問題点を抱えている可能性がある。

たしかに海外で録音されたものを日本で製造発売した国内盤は、外国のものより概して音質は良くない傾向であるが、端からサブマスターを使用してプレスまで行くのだから、その大きさはともあれ、最初から差がついているのは確かなことだ。

LPでマニアがオリジナル初期盤を求めるのは、原盤:オリジナルマスターが使われた可能性が高く、子、孫、曾孫となるにしたがって音質が悪くなると思っているからであるが、EMIが総じて音質が悪いこと、そして中でも英EMI盤にオリジナルマスターで作成されたものでも、良くないものがあるということになると、音質が良くないことは、マスターに原因があるのではないということになる。

小生はすべてのEMIのカッティングマシーン辺りが怪しいように思うが、確たる証拠は見えてこない。
仏EMIがもし新しいカッティングマシンを新規導入していて、それが1968年以前1962年以降であれば、そこから音質が変わり、人によっては音質が劣化したと思うのかもしれない。

プロデュサーやエンジニアが、新規導入のカッティングマシーンを使いこなせなかったという推理も浮かんでくるが、まったくの空想であるから、この辺りでとどめることにしよう。


しかし、プーランクの協奏曲は1962年録音にもかかわらず、1968年録音のブラームスを、はるかに凌駕した優秀音質であるのはどういうわけなのか、実に不思議なことである。

カッティング以前の工程、すなわち録音→ミキシング・マスターテープ作成(マスターリング)→カッティング→金型作成(ラッカー版)→プレスという工程の、音質決定の大きな決め手にもなるといわれるテープからヴィニールレコードを作成するカッティングの瑕疵なのか、録音時の問題なのか、それとも原盤作成時か、それともその後の工程のいずれかよくわからないが、アナログディスク作成には、小生のような素人などにはわからないものがあるのだろう。

たとえば、発売当初の国内盤のアナログディスク、ロストロポーヴィッチ/ジュリーニ、ロンドンフィルのドヴォコン1977録音、演奏はすごく気に入っているのだが、最強音で音が団子状態になり明らかに歪んでいる。
カートリッジを替えてみたり、スピーカーを切り替えて聴いてみたが、結果は同じで音盤に瑕疵があるという結論になった。

問題はこのような状態の音盤にもかかわらず、平気で市場に出してしまうという消費者をなめきった態度だ。

再生装置の問題かもしれないと、知人の装置でも試したが、同じ箇所で聴いていられない音の歪みが発生しし、それまではゆったりとしてよく歌う演奏に身を委ねることができたのに、その箇所に差し掛かるととたんにそれまでの気分が興ざめしてしまう。
ブログの知人HABABIさんも、同じ音盤の同じところで、「針が飛ぶような歪みが出る」「カッティングの問題ではないか」といっておらるので、やはり間違いないことであろう。

発売前の視聴で、製作者側がこのことに気がつかない訳はないと思うが、それでも発売してしまう神経の鈍さと、音盤製作のプライドのなさ、そんなものを感じざるを得なかった醜い音盤であった。

しかし最近のリマスター盤CDでは、演奏録音ともに高い評価レヴューとなっていることが多かったから、改善されたと思うが、小生が入手した最初期アナログディスクでは、歪むことを知っていながら直そうとせずに、そのまま市場に出したことは、小生に言わせれば一種の犯罪行為に近い。

営業サイドなどほかセクションとの変なバランス感覚が働いて、製作者側が妥協してしまうことは、ないでもないとは思うが、企業体質なのか個人のあるいは製作グループの資質なのか、やってはいけないことを見てしまったようで、非常に後味が悪い。

「個人」の依存度が高いのは、良い面と良くない面があるが、この音盤担当総合プロデューサーは、品質よりも、納期や営業上の利益を優先してしまったように推測される。
一昔前であれば、エンジニアのプライドが許さなかったことが、組織の論理優先の結果、こういうことが平気でまかり通ってしまうようになったとすれば、エンジニアの耳の劣化のせいだけでは解決できないものが存在する予感がし、とても厄介な時代になってしまったように思われる。

先ほどEMIエンジェル盤で、ムーティ/リヒテル、フィルハーモニア管のベートーヴェンの3番の協奏曲を聴いてみたが、こちらはたいそう音質が良かった、1979年録音であったが、こういう良い音盤も存在しているからEMIの音盤品質の劣化原因究明のための状況把握は困難を極める。

購入する際に、「賭け」の要素があまりにも強いと、消費者は遠のいてゆくことなどは十分承知だと思うが、小生が知るEMIの総合印象では、音盤品質の良し悪しのばらつきが大きいことは、否定できない事実だと思う。

よくないものを、なんとかより良いものにしていこうとする視聴者側の行為の幅は、非常に狭められてしまうが、それでも何とかしたいと思う気持ちは、演奏が良い音盤ほど強いものがある。(今ちょうど件のdヴォコンを聞いて2楽章に入ったところだが、問題だった1楽章第2主題を奏でる、チェロのグリッサンド直後のツッティ
時の、歪みによる音の混濁は、わずかだが以前よりも抑えられていて、ずいぶん聴きやすくなった)

再生装置を追い込んで、より良い状態にしたことによって、過去あまり評価できなかった音盤でも、もう一度見直すことで新しいものが発見できることを体験したのは、大きな収穫で、聴かなくなってしまった音盤から、見直しの1枚を発見することは、復活、再生、生き返りに貢献するようで、いいことをしたという気分になれ精神的にも良いことだ。

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by noanoa1970 | 2011-09-23 10:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)