「秋刀魚の味」に見る何気ないセリフの深い意味

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「お葬式ですか?」「いやまあそんなもんだ」
娘の結婚式の帰りに一人で立ち寄ったトリスバーでのママと平山の会話である。
平山はママが死んだ女房に少し似ているとかねてから思っており、娘の結婚式帰りに立ち寄った。・・・・きっと無き妻への思い出と娘を嫁に出した悲しさをここで自ら慰めようとしたのだろう。しかしバーのママには・・(見ればすぐに分かるはずなのに)、「お葬式ですか」などといわせて見せる。
亡くなった女房の代役としての立場でもあり、一緒に暮らしてきた娘を手放すことは、ある種」「葬式」ではあるのだが、それにしてもこのバーのママは気がつかなすぎである。・・・何かの伏線のためにわざと言わせたと見るのが妥当であろう。
娘がいなくなることは有る意味「葬式」だとは小津流のブラックユーモアとしてなんとなく理解できるが、それにしても、亡くなった女房に似ていると思っているバーのママになぜこのようなことを言わせたのか?(ネクタイを見ればすぐ分かるのに)確信犯的にわざとらしく言わせたのはなぜだろうか、大いなる疑問が湧いてくる。

小生はこのように考えてみた。
実はこのバーのママのセリフは、娘の結婚を有る意味葬式のようなもの・・・といわせることの導入和音以外にもとても重要な意味がある。

バーのマダムに対する「亡くし女房ににているという平山の幻影」を断ち切らすためなのではないか、そしてここで娘の結婚を本当に喜べる自分を発見した・・させるためなのではないだろうか。
娘がいなくなっても女房に似た女がいることで得られるひと時の慰めを、完全に断ち切らせてしまうのである。
そうして父親の娘離れが成立し、自立せざるを得ない新しい生活(伝統的大家族主義あるいは父権家庭の崩壊による)への小津のレクイエムなのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2005-08-21 06:51 | 小津安二郎 | Comments(0)