白い渚のブルース

ブログで行き来があるHABABIさんが、「ビリーヴォーン」のLPのことをUPしていたので、同じLPが有ったことを思い出して探してみた。

いかにも60年代初期という女性の扮装が印象的なので、このLPのことは遠い記憶の中でハッキリ憶えていた。

今からもう40年も前になるが、学生時代の音楽サークルDRACが、其れまでは部員数50人を超えたこともあったが、学園闘争の中にあって、部員数が極度に減少し、その存続が危ぶまれていたころの事。

学生会館別館BOX4Fに有った部室には、ほとんどだれも寄りつかなくなった。

部室荒らしや盗難のおそれがあったため、研究会が開催されるようになったときには戻せばよいので、高額なアンプだけは、小生が預かることにして下宿に持って帰ることにした。

普段触ることのないレコードBOXには、入部した頃から数枚のLPが有ったが、手にとって見ると、非クラシック系統のものばかりなので、全ての部員が見向きもしない物だった。

入部した時からすでにそこにあったから、そして当時の4回生も誰の持ち物だかわからないようであったから、すくなくとも1965年以前からそこにあったものだと言える。

其のまま放置しておいても問題はないのだが、確かめると中に「ビリーヴォーンゴールデンベストヒット集」というLPがあるのに気が付き、夏はそろそろ終わりであったが、その頃FMで良く流れていた「真珠貝の歌」を始め、全てが何らかで聴いていたものばかりが収録されていたので、懐かしく思い聴いてみようと、そのLPを持って帰ることにした。

その時持って帰ったものが、今小生の手元にあるというわけで、持って帰ったのはいいものの、あまりにもひどい状態の盤だったから、3曲目の「白い渚のブルース」まで針を落としただけで、その後一切聞くことがないまま他のLPに紛れ込んで、長いことその存在すら忘れてしまっていたのだった。

HABABIさんがUPした、ジャケット写真を見て、どこかで同じ物を見た記憶が蘇り、ひょっとしたらと、ほうぼう探して発見したのは全く同じジャケットのLPだった。

日本ヴィクター、SWG-7002
Dotレコード、SDOT-10002
d0063263_15294321.jpg
40年以上前のことだけれど、女性の顔のジャケットだから、印象的だったのかもしれない。

先ほど針を落としてみたら、やはりスクラッチノイズが多く盤の状態は良くなかったが、聞くに耐えないほどではないから、片面を聞き終えたところ。

そういえばむかしは、状態が良くないレコードは、フォノカートリッジの針を傷めるという話を信じていたから、そういうレコードを極力聴かないようにしていた。

その頃、後先の事はお構いなしで、ようやく入手したのが、SONYのTTS-3000サーボマチック・ターンテーブルと、MCカートリッジ、サテンM7-45、アームはSTAX、UA-70という組み合わせのプレーヤーで、合計出費が10万円に届く贅沢なものだったが、スピーカーは使用せずSTAXのイヤースピーカーで聴いていたから、合計額ではそんなにも高額ではなかった。

それでも当時、下宿代が6000円、近所のレストランのカレーが120円、市電が13円、学食のBランチが70円、素うどんが15円の時代だったから、かなりの贅沢品であったのは間違い無い。

だからカートリッジの針を痛めるのは飛んでもないと、レコード盤の状態はとても気になった物だ。

ビリーヴォーンが特に好きというわけではないが、むかしは夏になると、彼らの様々な曲が良く聴こえてきたから、曲名は知らなくても、親しみやすいメロディーと、スローマリアッチスタイルと言っていいのだろうか、独特のサウンドは、記憶の片隅にある。

原曲名「Stranger on the Shore」、本来ならば「渚の異邦人」あるいは「海を渡ってきた異邦人」などと訳すのが忠実だろうが、「白い渚のブルース」と邦訳したのは、渚の青と白い砂浜という色彩感が出ていて、ベタではあるが良い。

「渚、砂、サンゴ礁、波」「白、青、蒼」は、当時からいまでもポピュラー楽曲のタイトルに良く使われる。
関係はないが、「渚ゆうこ」の京都シリーズも良く掛かっていた。

この曲は、別ヴァージョン、というか、こちらがオリジナルかもしれないのだが、「アッカー・ビルク」というJAZZクラリネット奏者で作曲編曲家の作品である。
ビブラートの利いたクラリネットが、妙に哀愁をさそう。

「アッカー・ビルク」は事故に合って指の第1関節をなくしたというが、ギターの「ジャンゴ・ラインハルト」のように、其れをものともしないような素晴らしい演奏者となったという。

クラリネットの音色が素晴らしく柔らかいのは、その事と関係があるのだろうか。

この曲は、「アッカー・ビルク」で聴いた記憶が全くなく、ビリーヴォーンかときどきハーブ・アルバートでかかっていたと記憶するが、アッカー・ビルクとビリーヴォーンは少し似た所があるから、気が付いてなかっただけかもしれない。

HABABIさんも言及されているが、左右の分離がとても良い。
左右の分離が良いのは、この頃の時代の録音の特徴でもあるが、其ればかりかセンターからもキチント音が出ていることに、当時のアメリカ録音のレベルの高さ、プロデューサーの質の高さを改めて知らされた。

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by noanoa1970 | 2011-08-27 16:14 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

Commented by HABABI at 2011-08-28 03:10 x
sawyerさん、おはようございます

YouTubeによるアッカー・ビルクの演奏のご紹介、ありがとうございます。聴いいてみましたが、ビリーヴォーンのものもクラリネットをフィーチャーしているので、昔、ラジオでどれを聴いていたのか、定かではありません。

私は、大学紛争の影響で(だろうと思いますが)、入学するのが遅れ、入学した時には、紛争は下火になっていました。紛争中は、どこも大学内は大変だったようですね。逆に、今は、とっても静か。

私のところにあるLPと全く同じものがそちらにありますね。私は、数年前、リサイクルショップの床に置かれたダンボール箱の中を調べ、聴くかもしれないと思って数百円で買っておいたものです。その時、もう1枚、渡辺美里のLPも買いました。

サテンのカートリッジは今も持っていますが、針がすっかり駄目になっており、交換針も手に入らないので、残念です。高音のかった、独特の音でした。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2011-08-28 08:14
HABABIさんおはようございます。
サテン音響は大学の近く、歩いていける距離の下総町にありました。
その頃レコード会社も音響機器メーカーも、たいていは学生の音楽サークルには、便宜を計ってくれたものでしたが、サテンは、一切値引がありませんんでした。でもMCカートリッジには珍しく、昇圧トランスやヘッドアンプが必要ないこと、針の交換が自分で可能なことから、サークルでも個人でも使用する人間が多かったです。小生はM14まで使用してましたが、現在は交換針が残っているだけになっています。いつも非常に早い時期に交換していましたから、まだまだ使えると思います。本体は友人に譲ってしまいましたが、残しておくべきだったと後悔しています。シルキートーンという音の想い出が未だに有ります。
Commented by Abend at 2011-08-28 22:49 x
sawyer様、こんばんは。
ビリー・ヴォーンのLPは、1967年に来日記念盤として発売されたようです。"STEREO"と赤で大きく表示されていたり、写真の豊富な見開きジャケットであることなど、時代を感じさせます。

サテンのカートリッジは使ったことがないのですが、名は昔から知っています。下総町あった会社は記憶にないのが残念です。学生時代は生活エリアだったのですが。
Commented by ベイ at 2011-08-28 23:45 x
noanoaさま

「白い渚のブルース」のオリジナルはアッカー・ビルクです。ビリー・ヴォーンはカバーですね。BBCのテレビ番組と同名の主題歌が「Stranger on the Shore」です。

ウィキのビルクの記事↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%AF
Commented by noanoa1970 at 2011-08-29 10:57
Abend さまおはようございます
>ビリー・ヴォーンのLPは、1967年に来日記念盤として発売
有難う御座います。
そうなると、小生の推測はまちがいですね。
1967年は小生が1回生の時で、その頃から有ったという記憶がありますから、見知らぬ卒業生の誰かの置土産だったのかもしれません。当時はまだ新品同様だった事になります。学生数も多かったので、67年は総部員数が80名になっていたと思われますが、しばらくして60名ほどになったという記憶がありますから、入部してしばらくして去っていった諸氏のものという可能性も出てきました。67年はいろいろな意味で特に懐かしい年です。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-29 11:07
ベイ さんおはようございます。
>BBCのテレビ番組と同名の主題歌が「Stranger on the Shore」です。
「最初はビルクの娘に捧げられ、原題も娘の名前の"Jenny"で、歌詞もありませんでした」
とありますから、かなりの遍歴があったようです。
よく聴こえてきたのはアッカー・ビルクだった可能性が高いのでしょうが、この人の名前は記億にありませんでした。