「ロードランダル」と「激しい雨が降る」のことなど

ボブディランの「激しい雨が降る」が、スコティッシュ&アイリッシュオールドバラッド「ロードランダル」から、メロディを引用したことは、トラッドファン並びにディランファンでは、すでに周知のことであろう。

かつて、ロードランダルの話と、北方ゲルマンの民話「オルフ殿」の類似性について、そしてそれが、ヘルダーが採取したデンマーク民話「妖精の娘」を引用した、ゲーテの「魔王」の原型であろうことは、当ブログでも書いてきたが、こういう「殺し」に関する話は、広くヨーロッパに伝搬しているらしい。

特にアイリッシュ&スコティッシュオールドバラッドには、父親、娘、夫、兄弟姉妹、子供の「殺し」に関するものが多いが、母親殺しはなぜか見当たらない、このことは母権社会であることを象徴するものだろうか。

ディランや彼の先人たちが、海の向こうのブリテン諸島のトラッドフォークソングから、多大な影響を受けたことは、アメリカ音楽の歴史を紐解くまでもなく、アメリカという国の発祥や移民を考えれば、至極当然の成り行きであろう。

ブルーグラス、カントリー、フォークというジャンルにワケられるが、いずれもがブリテン諸島のトラッドフォークから影響を受けており、ジャズやゴスペルといったほかのジャンルからの影響が少なく、最も純粋なのが、ブルーグラスとアメリカンフォークソングということが出来る。

我が国の60年代に始まるフォークソングは、アメリカンフォークソングの影響を多分に受けていて、アメリカンフォークソングの推移を追いかける様に、やや遅れてその歩調を併せてきたフシがある。

故人となってしまった「高田渡」はその一人で、彼もまたアメリカンフォークの先達からメロディーを借りて、それに日本語の詩をつけて歌った。

中にはディランやディランの先達者、ウッディ・ガスリー、ランブリン・ジャック・エリオットの影響を強く受けたフォークシンガーもいて、彼らからの引用メロディに日本語の詩をつけることによって、日本のフォークソングを牽引した時期があった。

彼ら自身は気がついていたかどうか分からぬが、彼らが引用したアメリカンフォークソングの引用先は、ブリテン諸島のオールドバラッド=トラッドソングが多いから、孫引き引用ということになる。
つまり、ブリテン諸島トラッドフォーク⇒アメリカンフォーク⇒日本のフォーク(全てではないが)という図式となる。

本日は、日本のフォークソングやその他のジャンルの音楽に、多大な影響を与えた、ディランが引用したモトネタ「ロードランダル」について再度考察することにした。


Lord Rendal
 “O WHERE ha you been, Lord Randal, my son?
   And where ha you been, my handsome young man?”
   “I ha been at the greenwood; mother, mak my bed soon,
   For I’m wearied wi hunting, and fain wad lie down.”
“An what met ye there, Lord Randal, my son?
   An wha met you there, my handsome young man?”

オールドバラッドにみられる典型的な4行詩でできていて、「問いかけ」とそれに対する「答え」という形式で物語が進む。これはデンマーク民話、父親殺し「エドヴァルト」と全く同じ形式である。
第1節
どこに行ってたの,可愛い息子ランダル。
だれにあったの、可愛い息子ランダル。
森に行ってました、お母さん早くベッドをこしらえてください。
狩りで大変疲れました、体を横たえたいのです。

ディランは、4行詩から逸脱した節による、しかも「問いかけ」に対する「回答」が非常に長い。
ロードランダルでは母親が問いかけ息子が答える形式だが、ディランは、問いかけ者が誰か、答えるものが誰か一切わからなくしていて、しかも節の行数を多くとっているのは、言いたいことがたくさんあるということなのだろう。
「where have you been」「I've」「And」という言葉を多用して詩においても曲においても、印象づけの工夫をしている、ちがう言葉を使用しているが、このことは5節の詩すべてに共通するものだ。
こういうところ、すなわち「韻」を踏むことで、語感とリズムが、詩単独とでも引用メロディとの調和を図る意味でも大成功、ディランの天才ぶりは、こういうところからも分かるように思う。
原曲もその傾向はあるが、ディランの曲ではリフレインの妙味が最大の特徴と言ってよいだろう。

(以下のような、隠された物語の背景もあるが、「オルフ殿」との類似性が強い)
禁断の緑の森の奥に踏み込んだランダルは、そこで女に遭遇するが、女は妖精であった。
妖精はランダルを誘って踊の輪に入れようとするが、ランダルは、それを断って森から脱出する。
しかし妖精は自分の誘いに応じなかったランダルに、仕返しをして、死に至らしめる。

ディランの歌はわかりにくいので、ジョーンバエズで。

Oh, where have you been, my blue-eyed son?
  Oh, where have you been, my darling young one?
  I've stumbled on the side of twelve misty mountains,
  I've walked and I've crawled on six crooked highways,
  I've stepped in the middle of seven sad forests,
  I've been out in front of a dozen dead oceans,
  I've been ten thousand miles in the mouth of a graveyard,
  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, and it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.

第1節1から2行目、Lord Randal, my son?がmy blue-eyed son?に変わっているが、ディランの詩と、ロードランダルの詩の共通点は、最初の2行、オールドバラッドでは固有名詞が出てくるが、、ディランでは抽象化してしまったが、其の方が普遍的な広がりを見せることになる。

しかし、オールドバラッドの目的は、ブロードサイドが、かわら版などで、固有名詞を明かすことにあるから、それはそれですごく意味の有ること、しかもヨーロッパ中に広まったというから、ディランよりも、影響度は高かったと思われる。

ブラームスが歌曲とピアノ曲両方に曲をつけた、カールレーヴェの詩「エドヴァルド」の時に、父親殺しの犯人を探ってみたが、エドワード3世だとする推論は、ほぼ合っているとの確証を、いつも訪問していただいているabendさんの情報から得るに至った。

それで、詩のことはこれぐらいで置いておいて、ウナギの毒を盛られて、女房に殺された「ランダル」とは、実在したのかを探ってみたい欲求に駆られたのでそのあたりを。

その前に「ウナギの毒」について、小生はこのバラッドがアイルランドで創作若しくは取材されたものだから、古くからアイルランドで食用とされてきた「ウナギ」が、その血液に毒素を持つことから、ウナギの毒で死んだとされているのではないかと思うことがあった。

小生は有るところで、ウナギの刺身を食したことがあったが、血液が少しついた所があったのが原因なのか、刺激がある苦酸っぱい味がしたことを覚えているが、体調に変化は一切なかった。

調べると、確かにウナギの血には「イクチオヘモトキシン」という毒が含まれているが、先ず生で食べなければ問題はなく、もし血が体内に入ったとしても、死に至るほどの毒ではないというから、バラッドの翻訳の「ウナギ毒」には疑問が残る。
第一生で食す風習が有ったのかも疑わしい。

従って「ウナギの毒」と言われるが、そうではなく、ほかの原因だと推測される。
歌詞の別ヴァージョンでは以下のように、ウナギとウナギのスープを食べたというランダルが、「彼女は、それらをどこから手に入れた」という、母親の質問に直接応えるのでなく、背後のコーラスが陰の声のように、(この場合は民衆の声か)に、「(彼女が手に入れたのは)お母さん、生垣や溝からです」と語らせる。
Rendal, my son? Rendal、ランダル、私の息子?
Where did she get them from, 彼女は、それらをどこから手に入れた
My pretty one? 私の可愛い息子よ?
From hedges and ditches, mother, 生垣や溝からです、お母さん。
From hedges and ditches, mother. 生垣や溝からです、お母さん。

つまり、「ウナギの毒」とされる恋人が盛った毒は、「ウナギの毒」ではなく、生垣や溝から採取した何かに寄るものを暗示していることになる。
ウナギは、生垣や溝には生息しないから、よって推測できるものといえば「毒蜘蛛」あるいは「毒蛇」「毒蜂」などでhないのかと推測される。
そしてそのほうが毒素が強いから、死に至るには十分である。ウナギの毒では死ぬことはない。

さらに、母親に肌の色を問われたランダルは、spickit and sparkitと答えるが、これは不規則な斑、斑点を表すから、「ウナギの毒」ではないように思われる。

スコットランド音楽博物館によると、ロードランダルは、1787年に、「ロードロナルド」として印刷されたものが有るとのことだが、印刷される前からあると推測されるので、当然それより時代は下がるであろう。

ランダルがだれかということについて、以下のような記述を発見した。

『サーウォルタースコットは、トーマスランドルフロバートブルース(スコットランド王ロバート1世)の甥でマレー伯爵であると推測した。
それは次のことからである。
Randolph died at Musselburgh in 1332 and some suggested because the death was so untimely for Scotland, it could have been caused by poison.
ランドルフは1332にマッセルバラで死亡したとされる、早死だったので、毒によって引き起こされている可能性が有ることを示唆した。』

ウォルタースコットといえば、スコットランドの詩人、作家で、「アイバンホー」で有名だが、民謡収集家でもあったようだから、「ロードランダル」について調べていたのであろう。

一方、以下のような記述をも発見した。
『民謡の学会誌 (Vol.ii.、第6号および第III巻。、第10号)で、ミスギルクリストは、ランダルのアイデンティティは、1232年に亡くなったチェスター第六伯爵であることを示唆している。 The said Earl was poisoned by his wife.* 伯爵は彼の妻によって毒殺されたと述べた.』
しかし、チェスター第六伯爵とは、第4代チェスター伯ラヌルフ・ド・ブロンドヴィルの誤記ではないだろうか。
チェスター第六伯爵に関する情報は得ることが出来なかった。

調べてみた結果、以上のように、マレー伯トーマスランドルフ1323没、あるいはチェスター第六伯爵(第4代チェスター伯ラヌルフ・ド・ブロンドヴィル1232没)のいずれかである可能性が高いと思われるが、しかし、いずれも決定的根拠は薄い。

調べるうちに分かったのだが、バラッド詩自体が、時代と共に、そして地域ごとに微妙に変化してゆくから、原形を確定することは、極めて困難なことである。
其の年代が特定できるものの中で、一番古いものがそうである可能性は高いが、民間伝承発祥の歴史的時間的事実関係は、いつも曖昧であることが多いので非常に厄介だが、固有名詞を事実上の人物と符合させることが目的ではないから、あまりこだわっても致しかたあるまい。

曲が付けられたものの中に、中世のシャンソンンを彷彿とさせるカウンターテナーによる、興味深いものがあったので、貼りつけておいた。

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by noanoa1970 | 2011-08-14 00:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)