思わず飛び起きてしまったケーゲルのベト8

アインザッツが鳴った瞬間、思わず飛び起きた。

それを聞くのが本来目的でなかったから、カップリングの「田園」を聴いた後、そのままにしておいたから、始まってしまったのだ。

聴く気がないから横着して寝転んだ時のこと。
今まで聴いたことがない冒頭の音・・・第1主題がとてつもなく鋭い音で鳴り響いたから、体が反応して、飛び上がってしまったというわけだ。

これまで聴いてきた多くのベト8が与えたイメージは、いわばリズム感あるモーツァルト、そしてベートーヴェンの交響曲の中では、かなり異質な存在であるかのようなものであった。

従ってベートーヴェン全集を購入しても、ようやく最後の方に聴くのが常で、なかには聽かないママのものまである。

小生にとって、最もベートーヴェンらしさがないのが、8番の交響曲であるという意識がその昔から存在していて、だれの演奏を聴いても、好きになれない曲であった。

そんなわけで、今まで一度も聴いてなかったヘルベルト・ケーゲルのベト8だが、これには本当に脅かされ、今だかつて一度も味わったことのない8番、(それはケーゲルの演奏に、理由があるからに他ならないのだが、)まるでベートーヴェンの新曲を聴いているような錯覚に襲われた。

そこにあるのは、モーツァルトではなく、紛れも無いベートーヴェンそのもの。

しからば、これまで聴いてきた演奏とケーゲルの違いはどこにあるのだろうか。
ケーゲルの演奏の何が、ベト8にこれだけの力を与えたのだろうか。

4番と6番を聴いたときにも書いた覚えがあるが、ケーゲルという指揮者は、9つの交響曲があって、その中の1つとしてだけ捉えているのでなく、9つがお互いに有機的な繋がりを持っていて、背景にあるベートーヴェン的思想はさておき、音楽的には「運命の動機」でくくることが出来るのではないかと小生は思うようになった。

いや、「運命の動機」とベートーヴェンの思想的背景は、密接に関わり合っていると推測はするものの、確証を得るまでには至ってない。

歯切れの良さがある、そうケーゲルの演奏を表す人も少なくないと思う。
そのハギレの良さは、ケーゲルのアクセントにあるのではないかと、小生は思っているのだが、ただでさえアクセント依存度が高い8番に、さらに強めのアクセントをつけることで、8番が異次元の世界へ導かれていく。

2楽章(小生は引用したカノンを秘曲集聴いた)メルツェルさん、御機嫌ようから引用し、メトロノーム発明者であることから、正確なリズムで優しく奏される事が多いのだが、ケーゲルはここでも強いアクセントをつけて、メトロノームから開放した演奏をした。
第1Vnが目立つ演奏が多いが、ケーゲルは第2Vnを第1Vnと同等に扱っていて、低弦の刻むリズムを強調しているから、終曲のグリッサンドの強烈さは、他のだれもやってない新鮮さを見せる。

3楽章は木管、特に金管を際立たせた演奏で、通常聞こえない音が、とび出すように聞こえてくる。
クラリネットの裏の音、対位法で書かれた部分の音と音色はすばらしいし、ファゴットにもいい仕事をさせているのが極めて死温泉である。

クレッシェンドの妙は4楽章にありで、管と弦の掛け合いのところでは、「運命の動機」のリズムパターンがハッキリとわかるし、バスーン、ファゴットと低弦のリズムに支えられ、ヴァイオリン群が上昇下降する様は清々しい気持ちにさせられた。

中間部、クレッシェンドしていき音量が上がったところで、それを受けて低弦が歌うところが随所にみられるが、音響的にも、情念の発露という意味でも、とても納得の行く表現である。

掛け合いも多くみられ、猫の目のようにリズムの変化点が多い終楽章を、ハイスピードだが、1音足りともおろそかにすることなく、全ての音が聞こえ響くようで、しかもケーゲル節と言っていいのか、ケーゲルが強調したいところ、そしてそレを演奏する楽器を際だたせるようにして印象度を強くする。

小生は「運命の動機」がリズムパターン化されたものを、終楽章に見ることとなったが、それはケーゲルのアクセントとクレッシェンドのなせるところからで、他の指揮者では全く気がつかなかったことであった。

8番が特に好きだという人は、そう多くはないと思うところだが、ケーゲルを聞けば、8番の良さがもう少しわかるのではないだろうか。

ケーゲルは、冷血、異常、奇怪、爆演という言葉で語られる風潮があるが、小生が聴いた限り、そういうところは一切無く、アクセントやクレッシェンドの強力な所が、そして「自殺」をしたことが、そんな風評を生んだのであろう。
東ドイツで一生を終え、西欧とのマージが無かったことで、彼についての正しく豊富な情報が得られなかったことにも原因があると思われる。

かつて小生はケーゲルを、楽譜を改ざんしているかのように書いたことがあった。
それは聴こえてくる音が、今まで聴いてきたものに比べ、あまりにも違う所が多かったからだが、そうでなく、ケーゲルは、オケの音響を、出来る限り全ての音が聴こえるような配慮をしたのだろうと今思っている。

自分のためのオケでなく観客のためのオケであるためには・・という問いかけをいつも持って望んでいたのではないか。

そして楽譜改ざんではなく、むしろその逆で、細かい音符も、丁寧すぎるほどトレースしているが、そこにくわえて自分の楽曲解釈結果を鋭く反映させるようにした結果、いつも聴こえてくる音響とは少し異なったものに聴こえるのである、決して奇を衒ったものでない、そう考えてよさそうである。

なぜならば、一風変わっている思われてるケーゲルの音楽だが、聴いたほとんど全てが素晴らしいからである。
[PR]

by noanoa1970 | 2011-07-31 14:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(42)

Commented by HABABI at 2011-08-01 00:48 x
sawyerさん、こんばんは

8番でなくて恐縮なのですが、ケーゲル指揮の6番「田園」の第1楽章の最初の部分は、どんな感じですか?
私は、N響を指揮したものを持っているのですが、とてもゆっくりと始まり、フェルマータがとんでもなく長く、そのまま終わってしまうのではないかと思うほど引っ張った後、少し休止をとります。
その後は、少し加速し、あまり明るい表情のない、ゆったり目の演奏が続きます。骨太な感じです。嵐は大変迫力ある演奏です。最終楽章は、何だかブルックナーを連想させる響きがありますが、感謝と言うより回想風となり、終わる直前も、とてもテンポが遅くなります。
色彩感のある演奏ではありませんが、全体構成に指揮者の個性を覚えます。
sawerさんの手許にあるCDも、以上のような感じでしょうか?
Commented by こぶちゃん at 2011-08-01 01:22 x
ケーゲルは本当に素晴らしい指揮者です。私は東独エテルナ原盤(入手はPhilips)と思しきモーツァルトの宗教合唱曲で彼を知りました。
その後、何枚か素晴らしい録音を知った後で入手したのが、貴写真のドレスデン・フィルのベートーヴェン交響曲全集。私はLaser Light盤で入手しました。

彼がやりたかったコンセプトは、この史上稀に見る最悪のオーケストラからでもわかるのですが、金管楽器の酷さ(他も総じて下手)に閉口してしまい、その後ほとんど聴いてません。
何故、東側でも命脈を保っていたドレスデン歌劇場やゲヴァントハウスで録音しなかったのか恨めしかった…
前衛と思われる現代音楽の普及にも尽力していた彼が正当な評価を受けられなかったという説がありますが、このオーケストラの酷さを聴けば納得してしまいました。

東西ドイツが統合された年にピストル自殺を遂げて、その素晴らしい才能を西側に広く知られることなく生涯を閉じてしまったのが惜しまれてなりません。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 05:43
HABABI さんこんばんは
ケーゲルの「田園」で先ず気がつくことは、テンポがまれに見るような速さだということで、それは楽章間でもそう変わりません。
曲ベートーヴェンが標題としてつけた其々を無視する如く、何かに憑かれてでもいるかのように付き進んでいきます。
そしてこれは多分ケーゲルの1つの特徴であると思うのですが、急速なクレッシェンドがここでも随所に見られ、速いテンポとアクセントとあいまって、「田園」のイメージ・・・たとえば、ワルターの「田園」にみられるような自然賛歌的なものは一切見ることができません。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 05:44
続きです
ケーゲルは内声部をとても良く表現するので、出てくる音響が他の指揮者の演奏と少し違うように聴こえることがあります。
「嵐」は、凄まじいもので、まるで暴風雨の神が全て集まってきて、鉄槌を下すような表現力です。
嵐の後の感謝のコラールも、テンポが速く歌わせないので、とても感謝には聞こえません。
全編張り詰めた空気が漂い、緊張感を強いる「田園」ですから、精神の安らぎを求めて聞くと、大怪我をしそうです。
2楽章の後半で、縦の線と横の線がずれてしまう演奏が多いですが、ケーゲルはそういうところはキッチリ、ハッキリとしています。
ケーゲルが意識した上でのことだと思うのですが、田園が「運命の動機」で他の番手とつながっていることを、耳から教えてくれたのがケーゲルでした。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 05:45
さらに続きです
N響との演奏は聴いたことがありませんが、HABABIさんのおっしゃる演奏スタイルとは、まるで別人のような感じなので、小生も驚いていますが、1989年同じドレスデンフィルと来日時の「田園」ライブは、スタジオ録音に近いとの感想が多いようですから、N響との演奏は特異なのかも知れません。(なぜかの理由はぜひ知りたいところです)
ケーゲル/ドレスデンフィルの「田園」は、「自然崇拝、自然賛歌」でなく、「自然への脅威、慄き」すなわち「神の力」に目覚めよ、というメッセージのように聴こえてしまいます。「運命の動機」が強調されることから受けた印象です。
>何だかブルックナーを連想させる響きがありますが
おそらくこのことは、ケーゲルが内声部を重視し、バランスの取れた音響の再現に長けていたからではないでしょうか。
普段耳慣れない和声が聴こえてくることの多いケーゲルです。
Commented by HABABI at 2011-08-01 06:16 x
sawyerさん、おはようございます

間違えました。私が持っているのはN響ではなく、1989年ドレスデンフィルとの来日時のライブでした。失礼しました。第1楽章は12:21の時間が掛かっていて、反復のことは調べていませんが、例えばフルトヴェングラーのスタジオ録音(11:52)よりも(第3楽章と第4楽章を除いて)全体が長くなっています。ゆっくりではありますが、ケーゲルがリズムを意識している感じは出ています。以前、sawyerさんが書かれたものも拝見致しましたが、テンポに関しては随分異なっているようです。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 06:17
こぶちゃん さん、おはようございいます
>金管楽器の酷さ(他も総じて下手)に閉口してしまい、その後ほとんど聴いてません。
そんなにこのオケ、ヘタでしょうか。Laser Light盤がどのようなマスターリングなのか知りませんが、小生所有のものでは録音も良い方なので、オケの技量はわかりやすいと思うのですが、金管ガ前に飛び出すことはあるにしろ、総じてオケの質は悪くはないと思うのですが。

>彼がやりたかったコンセプトは、この史上稀に見る最悪のオーケストラからでもわかるのですが
この部分ケーゲルがやりたかったコンセプトとは何を指すのでしょうか。差し支えなければご教示ください。
「史上稀に見る最悪のオケ」とは、よほど気に入らなかったのですね。ケーゲルはライプツイッヒ放送響のように、なぜかネームヴァリューのあるオケとの演奏録音が少ないようですが、ドレスデンフィルも、超1流の技量ではないにしろ、2流のオケではないように思いますが、小生の評価は甘いでしょうか。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 06:54
HABABIさんおはようございます。
小生も間違いに気がついたので、訂正し用途の持っていたところでした。
録音を1989年としたのですが正しくは1982年から1983年です。同じオケで演奏内容がこうも違うのは、たとえばフリッチャイの新旧の「新世界」のようなものがあるのかも知れません。
1989年は11月9日にベルリンの壁が崩壊する年にあたります。
来日はその前だったでしょうが、10月9日にライプツィヒでホーネッカーの退陣を求めて「月曜デモ」が起こったのが切っ掛けですから、ライプツイッヒを根拠地としていたケーゲルは其の空気を感じていたのではないでしょうか。今調べると、来日は1989年10月でいたから、デモは知っていたし国内の政治的変革の動きはさっちしていたと思います。ゴルビーとゴルバチョフを呼んで、慕っていたというケーゲルは、どんな想いで日本にやってきたのでしょう。色々な思いが交錯する中での来日そして演奏ですから、尋常でないものが有ったに違い有りません。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 07:00
続きです
小生は聴いてませんので、アチコチでの感想を見ると、感情移入が随所でみられるということですから、感慨めいたものが演奏に現れたように推測させられました。尋常でないのはケーゲルの特徴でしょうが、スタジオと来日ライブでは、おそらくザッハリヒとインプレッショニズムのような違いがあるのかも知れません。ドレスデンを拠点にしていたケーゲルは、両方の藝術風土から影響を受けていたと思われ、現代音楽をも積極的にとり込んだことも其の現れであったように想います。スタジオ盤のケーゲルベト全は、おしなべてザッハリヒな演奏ですが、昨日聞いた8番、そして「田園」、4番は、中でも特に変わり種で、これらの曲が持たされていたイメージを全て開放した演奏です。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 07:14
HABABIさん追伸です
ちなみにケーゲルスタジオ録音の演奏時間ですが、左から純に1楽章から、最後はトータル時間です。
リピートを入れて10:45ですからライブの12:21より相当速いです。
10:45 13:26 5:24 3:52 8:20 41:47
フルヴェン/VPOの田園は1952と54録音がありますが、どちらでしたでしょうか?

Commented by Abend at 2011-08-01 12:36 x
sawyer様、こんにちは。
カプリッチョの8CDBOXは、私も持っております。
ケーゲルは、オケがドレスデンPOかライプツィヒ放送SOかで随分と印象が異なります。ドレスデンPOは「ケーゲル合奏団」とでも呼びたくなるようなオケです。ビゼーの『アルルの女』や『カルメン』組曲、アンネローゼ・シュミットと組んだブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴いても、ベートーヴェンの交響曲と同じ印象を受けます。
一方、ライプツィヒ放送SOを振ったものは、実験的ともいえるバッハの『音楽の捧げ物』などを除けば、『新世界』もヴィヴァルディの作品も、非常にロマンティックな表現に貫かれています。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 15:48
Abend さまこんにちは
>ケーゲルは、オケがドレスデンPOかライプツィヒ放送SOかで随分と印象が異なります。ドレスデンPOは「ケーゲル合奏団」・・・
このことはドレスデンがケーゲルの手足として十分働いているという意味なのでしょうか。それともスケールが小さいというようなことでしょうか。ライプツィヒ放送SOはアーベントロートを引き継いだものですから、いわば手兵のようなものと思っていますが、このオケとの演奏はコンヴィチュニーではよく聴いていますが、ケーゲルでは聴いたことがないので、よくわかりません。
>「ロマンチックな表現」とおっしゃっておられるところから、ケーゲルには2面性があり、音楽の中で混在していることがあると確信しました。基本的にはザッハリヒな音楽なのですが、ときとしては、かなり大仰な表現、言い換えればロマンチックなあるいは表現主義的な表現があることで、これは師匠アーベントロートにも言えることではないでしょうか。もしかすると、ライプツィヒ放送SOは、そういう伝統を保つてきたオケということが言えるのかも知れません。(コンヴィチュニーとの数々の演奏を聴いて)
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 15:57
これはabend様からのコメントです。
皆さんにお読みいただきたいので、移動しました。
sawyer様。
私は『田園』が苦手です。初めて買ったこの曲のレコードはフルトヴェングラー/VPO(1944年録音)のもので、コンサートではベーム/VPOとブロムシュテット/SKDでも聴いているのですが、苦手感は抜けませんでした。コンヴィチュニー盤でも第2楽章には瞠目させられましたが、全曲となると寝てしまうのです。そういうわけで、ベートーヴェンの交響曲の中では、『田園』は第2番とともに様々な演奏を聴いたことが最も少ない曲になっています。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 15:58
abend様のコメントの続きです。

ケーゲル/ドレスデンPO、リンデンベルク/ウィーン・フォルクスオパーO。私が一気に聴けた『田園』の演奏は、この二種類だけです。ケーゲルとリンデンベルクはアプローチが全く異なりますが、推進力の逞しさという点で共通していると思います。リンデンベルク盤のタイムは、10:57/12:35/05:30/04:25/10:40 Total44:07と、ケーゲル盤に比して3分近く遅いのですが、そう体感出来ないのです。どうやら、私を寝かさない『田園』の演奏とは、そのイメージとは離れた、交響曲第6番としての演奏のようです。

Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 16:19
abend様
こちらに返信させて頂きます。
>私は『田園』が苦手です・・・
なんとなく分かる気がします。小生は2楽章の後半部が弛れる・・・テンポが引きずられてしまい、各パートがバラバラになりがちが要因で、縦の線と横の線が交差して醸しだす和声が、キチンと出てこない演奏があまりにも多いので、せっかくそこまではいい演奏だったのに、一気に☓をつけたくなってしまいます。敬愛のコンヴィチュニーの2つの演奏でさえ破綻ギリギリの感がありますが、もう一歩のところで踏みとどまっています。この部分をキチンと演奏したのは、今まで聞いた中ではマークとカイルベルト、そしてケーゲルです。田園はこの部分が小生の試金石ですから、ここが良くない演奏は聴くきがしなくなってしまいます。小澤/サイトウキネンを聴いたときは、途中で帰りたくなり、後は耳に入りませんでした。先ほど聞き直してみましたが、ケーゲルのクレッシェンドは神業であると再確認しました。
リンデンベルグは「新世界」も褒めていらっしゃいましたね。一度オークションをあたったのですが、未出品でした。
Commented by Abend at 2011-08-01 16:23 x
sawyer様。
移動させていただき、ありがとうございます。こちらに書くべきでした。
「ケーゲル合奏団」と書きましたのは、ケーゲルの手足となって働いているという印象と、透明度が高く、音の分厚いオケとは異なる合奏体と思うからです。ケーゲル以外の指揮者が振ったものでは、マズアがシュミットと組んだモーツァルトのピアノ協奏曲全集とデ・ブルゴスが振ったワーグナーの管弦楽曲集ぐらいですが、音の透明度は変わりません。140年余の歴史を持つこのオケのカラーですね。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 17:19
Abend さま
いいえ、どういたしまして。
HABABIさんが「田園」について書いていらっしゃたので、読んでいただこうと考えました。HABABIさんのブログです。よろしければ訪問してあげてください。http://hababi.cocolog-nifty.com/blog/
「ケーゲル合奏団」の件、了解致しました。
そういえば先ほど思い出したのですが、ケーゲル/ライプツイッヒ放送SOの演奏は、ギレリスのバックですが、チャイコのPコンをやったものを所有しています。コンヴィチュニー/LGOとのモーツァルト21番協奏曲のカップリングでした。
いすれも素晴らしい演奏です。ケーゲルのチャイコは、珍しいかも知れませんね。ケーゲル15枚BOXが欲しくなりました。
ケーゲルにはヴォツェックが似合いそう・・・怒られますが。
Commented by Abend at 2011-08-01 18:06 x
sawyer様。
ギレリスとのチャイコフスキーは、赤地にロシア語のジャケットのCDでしょうか。十字屋烏丸店で見たことがあり「おっ」と思ったのですが、高かったので買わず、それきりです。
ケーゲルの『ヴォツェック』は聴いたことがありませんが、興味が湧きますね。ライプツィヒ放送SOとのウェーベルンの管弦楽曲集は持っていますが、長いこと聴いていません。
ケーゲルは、梵鐘かと思う鐘を使った幻想交響曲や、異様にテンションの高いアルビノーニのアダージョによって、怪演指揮者のレッテルを貼られていますが、固定したイメージを持つのは危険ですね。私は、学生時代にメンゲルベルクのべト4を聴いて、その正確無比な演奏によって彼に対する固定イメージを叩き潰された経験があります。
Commented by HABABI at 2011-08-01 21:08 x
sawyerさん、こんばんは

>ちなみにケーゲル スタジオ録音の演奏時間ですが、左から順に1楽章から、最後はトータル時間です。
>リピートを入れて10:45ですからライブの12:21より相当速いです。
>10:45 13:26 5:24 3:52 8:20 41:47

フルトヴェングラー/ウィーン・フィル 1952年録音は
11:52 13:24 5:58 4:25 8:59
ケーゲル/ドレスデン・フィル 1989年10月18日録音は
12:21 15:31 3:37 4:08 10:23

ケーゲルの演奏が如何に変わったか、演奏時間を見るだけでも分かるように思います。1989年録音の時ケーゲルがどうであったのかは、当時の楽団の人にでも聞かないと分かりませんが、即興であのような演奏が出来るとは思えませんので、ルハーサル時からの着想と思います。第1楽章の最初、第1小節から第3小節のおわりまでが5秒、続く第4小節のフェルマータと短い休止の部分の僅か1小節だけで6秒です。疲れ切って田園にたどり着いたイメージです。果たして、憩いや慰めが得られたのか。嵐だけが目立っているように感じます。やはり不思議な演奏だと思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 22:05
Abend さまこんばんは
>赤地にロシア語のジャケットのCD
そのとおりです。http://www.hmv.co.jp/fl/12/747/1/
ヴォイトブリックの案内ページ下から3番目に、安くなって出ています。2615⇒784ですからかなりの値引きです。
アルビノーニ(昨今ではアルビノーニではなくなっていますが)のアダージョ、カプリッチョ盤で聞く限り、みなさんが言うほどの暗い淵を思わせるようなとこころは小生は感じませんでした。ひょっとして別バージョン演奏があるのでしょうか。
ただし、他の演奏よりはそんな雰囲気を持っているのは確かでしょう。小生はかねてからアダージョは、R・シュトラウスのメタモルフォーゼンもしくは「英雄」の葬送行進曲によく似た曲だと思っていました。
しかし、アルビノーニが引用したとするには、時代が違うのでありえないと言うことにしたのですが、アダージョガ実はレモ・ジャゾット1958年出版という事実が明らかになって、やっぱり、と思い直したものです。そして「英雄葬送行進曲」「メタモルフォーゼン」の2つの楽曲と、曲想もメロディラインもとても良く似ているところがありますから、引用の可能性は十分あると踏んでいます。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 22:28
HABABI さんこんばんは
こうなると1989年ライブの田園を聴かねばなりませんね。
変化の軌跡を確認したいと思います。
89年は壁崩壊、それも直前に来日したケーゲル、翌年には自殺するという数奇な運命の持ち主です。いろいろなことが推察されているようですが、個人の内面はわからないにしろ、ケーゲルを取り巻く客観的事実があまりにも激しいので、そのような想像をサせるのでしょう。
小生は版権が切れた音源をNETからDLすることがありますが、以前フルヴェン/VPOの「田園」を、52年と54年両方DLして聴いたことがあります。どちらがどうというところまで聴きこんではいませんでしたので、HBABIさんがお書きになった54年録音を明日にでも聞き直してみるつもりです。

>疲れ切って田園にたどり着いたイメージ
スタジオ盤では「田園」というイメージが湧いてこない演奏で、他の即物主義的な演奏指揮者のだれよりも標題を排除したような演奏です。クレッシェンドの扱い方の巧みさで、音楽が硬直していないのが救いで、裏の音をハッキリと出すことに寄る和声の斬新さとあいまったケーゲルの良さだと思います。
Commented by こぶちゃん at 2011-08-01 22:35 x
ドレスデン・フィル…歴代の常任に名だたる指揮者を迎えているのに下手なオケです。ロイヤル・リヴァプールほどに最悪ではないものの、日本の学生オーケストラの方がもっと上手くなっている昨今の状況を思えば、二流でも甘いくらいです。
特に金管がダメダメで、トレーニング不足なのかケーゲルの要求に応えられず、無視してしまったのか…少なくとも指揮者に対する敬意の無さは後のミュンヘン・フィルのレヴァインに対する状況と近いのかもしれません。
因みにその基準ですが、コンヴィチュニーのゲヴァントハウス盤を聴いて、何故同じ東独でこれだけの演奏を知っていながら、あんな酷い演奏が出来るのか…聴き比べて頂ければ、実力差は一目瞭然と思います。

ケーゲルのコンセプトというか聴いて私が感じ取れた範囲は、極めて正当な解釈に加え、抑えどころが適格ということにつきます。
もし、この指揮者がドレスデン歌劇場を振っていたらベートーヴェン交響曲のリファレンス足りえたと思いますし、ブロムシュテットの出番は無かったかもしれません。又、ウィーン・フィルを駆使しながら、ラトルがあんな暴挙にも出なかった…と思えます。
Commented by Abend at 2011-08-01 22:36 x
HABABI様の演奏時間比較を拝見し、私も頭の整理がつきそうです。
ケーゲルのスタジオ録音は1982年~83年ですから、6,7年で随分と遅くなっていますね。ケーゲル62,3歳時と68歳時の比較になります。
先に挙げましたフルトヴェングラー/VPOの1944年録音盤ですが、タイムは次のとおりです。
11:00/13:40/05:45/4:00/09:05 Total 43:30
1952年盤の8年前ですから、ケーゲルの両盤の年差とそう大きな違いはありません。フルトヴェングラー58歳時と66歳時の比較になります。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 22:47
追記です
以下のURLに、許光俊 「ケーゲル、悲惨な晩年の真実~写真集について」というコラムがあります。ケーゲルの伝記があるとの情報で探していたら見つけました。小生のお気に入りではない人の書いたものですが、伝記からの抜粋として読むには都合が良いと思います。しかし伝記は大体そうですが、どうしても創作したものがツキものです。100%あてにすることはできないので、リテラシーを持って接することが必要でしょう。ケーゲル自身の言葉として、「私は本来、ロマン主義者なのだ」という言葉を紹介していますが、そのことは音楽に現れていると小生は思います。
て「http://www.hmv.co.jp/news/article/408120001/
Commented by Abend at 2011-08-01 22:57 x
続きです。
ケーゲルの1982,3年盤→89年盤と、フルトヴェングラーの1944年番→52年盤の、楽章ごとの演奏時間増減をまとめてみます。
K:+01:36/+02:05/-01:47/+00:16/+02:03
F:+00:52/-00:16/+00:13/+00:25/-00:06
これをどう見るかは様々だと思いますが、フルトヴェングラーにおける1944年、ケーゲルにおける1989年が、ともに亡国の前年であったことと、両者の年齢ということも考える必要があると思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 23:13
こぶちゃん さんこんばんは
確かに金管が飛び出したように奏されるところがあるのは、小生も聴いていて思いました。
ケーゲルの指揮ぶりの良さに比べ、あまりにもオケが弱い、もし中部ドイツに点在するもっと良いオケを振ったならば、凄い演奏になっていたはず・・・ケーゲル評価のあまりそうおっしゃっている、そういうことですね。
オーディオに造詣が深いこぶちゃんさんには蛇足ですが、試しにできる限りヴォリュームを上げて8番を聴いてみてください。少しはオケの評価が変わるかも・・・

ブロムシュテットは主張がなく凡庸、ラトルはその前に、自分のベートーヴェンをキチンと見せる必要があったにもかかわらず、擬似ベーレンライター版、ピリオド奏法の小手先を使ったことで、彼の狙いとは逆に、ベートーヴェンを、むちゃくちゃにしてしまったように思います。
Commented by Abend at 2011-08-01 23:28 x
ケーゲルがLGOと録音したものには、ブルックナーの3番のライブがありますね。ケーゲルとマズアは非常に仲が悪かったと言われていますが、そうだとしたらマズアがよく客演を許したものだと思います。オークションにも出品されていますが、今はブルックナーの交響曲を聴く気が無いので購入は留保します。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-01 23:49
Abend さま、皆様
興味深いデータありがとうございます。
没国の前年とは、奇妙な符合ですね。果たしてケーゲルは、この年のいずれかで、死を覚悟したのでしょうか。
片方は仲間や友人、知人、家族、そして音楽のために、なんとしてもドイツにとどまって生きようとした。片方は絶望のあまり死を決意した・・・そんな推測もできそうですが、そのことと音楽の変化がドウ結びつくか、どういう因果関係があるのかが知りたいところです。晩年にテンポがゆったりとなっていくのは、よくみられる光景ですが、体力気力的以外の大きな要因はなんなのでしょう。思考停止気味に、既成事実として受け止めていましたが、考えてみると不思議なことです。年をとると、話し方がゆっくりになるのと同じなのでしょうか。
小生はフリッチャイを思い出すのですが、トスカニーニからフルヴェンへと演奏が変化したと言われるフリッチャイの場合は、病気が原因であると言われていて、多分そうであろうと小生も思うのですが、純音楽的な何かの作用が同時に存在したのではないかとも思います。

Commented by こぶちゃん at 2011-08-01 23:56 x
実はLaser Light盤と貴写真のBoxセットも持ってます(笑)。
今、写真のBoxセットから8番を聴いてます。
この演奏スタイル(速度やアーティキュレーション)は、オケの欠点を巧く隠している気がします。
ただ、この音の終わりを伸ばさず、切り刻むような手法はケーゲルの意図だったかどうかは疑問が残ります。
何故なら、この人は結構オケを歌わせるのが巧い人だったから、こういうオケの差が出にくい演奏スタイルは腑に落ちないのです。
同じ手法は、マッケラスもロイヤル・リヴァプールを振った時にやりました。
もっとも、こちらは完全に破たんしていたので、それと比べたら、随分マシな感じがします。

以前、システムのセッティングを変更した時、この交響曲全集の7番を聴いたのですが、ドレスデン・フィルはそんなに下手ではないかも?と見直したことがあります。
ただ、私の基準は全盛期のクリーヴランドやフィルハーモニア、コンヴィチュニーがスコッチ飲んでがんがん振っていた頃のゲヴァントハウスが1流ですので、ドレスデン・フィルが2流であることに大きな変化はありませんでした。
Commented by こぶちゃん at 2011-08-02 00:02 x
続き)

ブロムシュテットの評価は難しいですね。何せオケがすごいですから…。下手に主張すると完全に浮いてしまう危険があって、若い頃のジェフリー・テイトは、キャラを抑えた7番で成功し、名演を残しました。
ラトルはベルリン・フィルの常任就任と共に自分を見失ったのかも?と思っています。
バーミンガム市響と録音したカリスマ性は何処へやら、各自がソリスト級と言われるベルリン・フィルの団員に振り回されているとしか思えなかった。
その前哨戦だったのかウィーン・フィルとのベートーヴェンは気負いだけでやってしまった感が否めません。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-02 00:21
こぶちゃんさんこんばんは
>この音の終わりを伸ばさず、切り刻むような手法はケーゲルの意図だったかどうかは疑問が残ります
このベト全は、総じてザッハリヒな演奏ですが、随所にロマンチシズムを匂わせるようなところがありますが、全てが番手に共通しているのかと思うと、そうではなく、それぞれで主張するものが異なるように思います。8番の前アタック、アクセントとクレッシェンドの強調は、明らかにケーゲルの意図だと小生は思います。今まで聴いてきた8番演奏ののイメージとかなり違うのも、ケーゲルの意図した演奏結果でしょう。変化のないリズムを刻むだけで、抑揚のないものの象徴、メトロノーム的音楽へ1石を投じたものと解釈します。(2楽章はメトロノームの開発者を題材にした自作カノンの引用です)カノンを聴いてみると、ベートーヴェンが、決してメトロノームを良いものと思ってなかったのではないかと思われます。
Commented by Abend at 2011-08-02 00:33 x
sawyer様
加齢による聴力の衰えがテンポを遅くさせるというのを聞いたことがありますが、これも一概には言えませんね。
ケーゲルには、自殺するかなり以前から希死念慮を伴う鬱症状があったと言われています。ソ連崩壊によるドイツ統一への気運の高まりに伴う東ドイツの音楽事情の悪化が、指揮一筋のケーゲルに最後の打撃を与えたのだと思います。自殺こそしませんでしたが、スイトナーも亡国を機に体調を崩し、完全に引退してしまいました。ケーゲルは1920年、スイトナーは1922年生まれですから、
敗戦→東西ドイツ分裂→ソ連崩壊による統合と、3つの国難の経験者で、国策による指揮活動の真っ只中にいた人ですから、我々戦後世代の想像を絶する苦悩があったと思います。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-02 00:51
続きです。
ビロムステット以下の話は、指揮者のオケのコントロール法に関わりそうですから、深堀はしないでおきたいところですが、ラトル/バーミンガム、無名に近い初期の頃生で観たのですが、音楽が生きていて、オケとピッタリ生きがあっていて、カーリーヘアーの若者にしては、良い音楽を聴かせるんものだと感心して帰った経験があります。おっしゃるように、バーミンガムとの録音に良いものが多いのは、あのBPOに無理強いをした結果かもしれませんね。今年の音楽祭を聴いたときには、かつてほどBPOが後ろ向きではないように思いました。BPOも民主的になって、変化したのでしょう。東洋人も女性も多く起用するようになりました。
面白いのはVPOで、かなり捌けているようで、多くの指揮者を柔軟に受け入れ、突拍子も無い曲をも平気でやっていました。
マゼールとの、実弾発射大砲の音入り戦争交響曲と序曲1812年のカップリングLPをみたときには驚いてしまいました。入手してしまいましたが(笑)
Commented by Abend at 2011-08-02 01:04 x
ベートーヴェンのために補聴器を作ったのもメルツェルですが、彼はこの補聴器を嫌い、筆談帳しか使わなかったといいます。その後、メルツェルがベートーヴェンのい委嘱した『ウェリントンの勝利』の版権をめぐって両者が対立し、メルツェルの作ったメトロノームを
気に入って和解しました。この時に作曲されたのがカノン『親愛なるメルツェル』ですが、この作品自体が、後にベートーヴェンの伝記を「捏造した」といわれるシントラーが作ったものと言われています。
作曲家の病歴については、ケストナー『大音楽家の病歴』や医師で愛好家の五島雄一郎『音楽夜話 天才のパトグラフィー』のよって、一定の理解を持っていますが、演奏家の病歴についてはまとまった本がありませんね。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-02 01:12
Abendさま夜も更けて参りました
>ケーゲルは1920年、スイトナーは1922年生まれですから、
敗戦→東西ドイツ分裂→ソ連崩壊による統合と、3つの国難の経験者で、国策による指揮活動の真っ只中にいた人ですから、
東ドイツにとどまって活動した人程打撃が大きかったのでしょうね。亡命して音楽が妥協の産物になるよりは、自分の音楽上の信念を貫きたかったのでしょう。
彼ら東ドイツの芸術家の海外公演は、国策の一環だったようです。小生が敬愛するコンヴィチュニーの来日も、東ドイツは藝術で勝負という国策で、技術の西ドイツと対抗上の措置でした。コンヴィチュニーが酒の力に頼らざるを得なかったのは、時代の急激な変化があってそこから派生する諸々が有ったからなのでしょう。コンヴィチュニーは、明らかにアル中だったそうで、大阪公演では舞台に上がる前に飲んだと思うほど、顔を真赤にしたままで指揮棒を振ったと、会場に行った出谷氏から聴いたことがあります。それにしては当日の「運命」が出色の出来だったとも言われます。小生は中学1.2年生でしたから、5.6番が品目の名古屋公演の演奏の記憶は殆どありませんが。
Commented by Abend at 2011-08-02 01:24 x
sawyer様。
時も省みず、夜型の自分にかまけての無礼をお詫びいたします。
学生時代に徹夜で議論した癖が抜けていません。悪癖です。
反省します。お休みなさい。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-02 01:29
過去記事ですが、http://sawyer.exblog.jp/1918848/に
ベートーヴェンの「秘曲」と8番交響曲というブログきじがあります。小生はここで、カノンの作者を、シントラーでなく、ツェルニーではないかと推理しました。

話は変わりますが、今夜NHKディープ・ピープル「スーパー指揮者」という、3人の指揮者の音楽の姿勢や指揮法についての番組がありました。まだ見ていませんが、明日にでも録画したものを見るつもりです。
指揮者が普段何を考えているのか、伝記や執筆されたものと違い、リアル度は高いように思います。
何か新しい発見があるかも知れません。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-02 01:38
Abend さま
気になさりませんように。
こういうものは一気にやっておくことも必要です。
しかしこのブログ、コメントの制限文字数何とかならないものでしょうか。趣味の話とはいえ、学術的要素も多分に有りますから、どうしても長くなります。
最近はWORDで書いて文字数確認し、分割コピペするようにしていますが。
とはいうものの、年寄りの身に徹夜はしんどいですから、今夜はこのあたりで打ち止めとさせて頂きます。
おやすみなさい。
Commented by k_hankichi at 2011-08-02 07:36
とても聴きたくなりました。ケーゲルを。しかしその盤は見たこともなく、なんとか探したいです。
Commented by noanoa1970 at 2011-08-02 09:31
k_hankichiさんごぶさたしております
トいっても貴ブログにはいつもおじゃましていますが。
>その盤
それがベト全のことであれば、カプリッチョからSACDとなって再発売されましたが現在廃盤とのことでした。来日ライブの田園であれば、Altusからです。HMVで購入可能です。http://www.hmv.co.jp/product/detail/921408
Commented by k_hankichi at 2012-01-01 18:12
とうとう8番を聴くことができました。これはこれまで聴いた8番の概念を底辺からくつがえしました。
Commented by noanoa1970 at 2012-01-01 21:46
k_hankichiさん
あけましておめでとうございます。
ケーゲル盤ななかなかのものでしょう。