想いを新たに聞くべき音楽が固まってきた

「ヤコブの梯子」ブログから発展に発展し、旧約聖書創世記から南北イスラエル分裂崩壊までとなり、その間100を超えるコメントをいただいた。

お忙しいなか、時間をたくさんとって、有益で刺激的なコメントを頂いた、HABABIさん、abendさん、こぶちゃんさん、には特に感謝の意を表さねばなりません。

アダムとイブ、カインとアベル、モーゼとアロンの解釈へと発展し、ここ最近では、ユダヤのバビロンj捕囚の話で相当刺激を受けたところであった。

そもそも旧約聖書の出来事が話題になったのは、このブログの特徴でもある、クラシック音楽からのもので、
音楽の素材となった、「逸話の背景を探ろう」という、ちょっとした試みであったが、音楽が追いつかない距離にまで発展してしまうことなった。

解釈を含めた逸話の奥深い背景を知った上で、それに関連する音楽を聴いた時の感慨は、それまで漫然と聞いていた時とは雲泥の差があり、特にオペラ、カンタータ、オラトリオなど、ストーリー性があるものでは、芸術家の逸話解釈も見えてくるようで、非常に有意義な時間を過ごすことができたから、これを機会に他にも旧約聖書の周辺に関係する楽曲があるはずと探してみることにした。

これをやってみようと思ったのは、abendさんから、ロッシーニのオペラ「ナブッコ」は、新バビロニアによって滅ぼされ、捕虜となってバビロニアに連行され、労働力となったユダ王国の為政者や民衆が登場するものと教えていただいたことが切っ掛であった。

そのような背景から、聖書周辺の題材にある音楽で、いずれ近いうちに聞こうと思うものを探し出し、アトランダムに書きだしておくことにした。

シェーンベルクの「ヤコブの梯子」「モーゼとアロン」は散々議論となり、解釈もできたので、改めて見聞きすれば新しいものが見えそうな氣配が濃厚である。

ロッシーニのオペラ「セミラーミデ」には、バビロン女王、アッシリア士官、土着宗教のバアル神の末裔が登場する。旧約聖書に、ヤハベ信仰とバアル信仰の対決が随所でみられるので興味深い。

追加
書き忘れてしまったので、追記しておく。
メンデルスゾーン カンタータ「最初のワルプルギスの夜」は、異教徒、ドルイド教徒をハイライトしたカンタータ。キリスト教文化に侵略され森に住んだとされる異教徒たちの代表的存在でもある。
ハルツ山にひきこもり、密かに宗教儀式を行いながら暮らしていたが、たびたび侵略するキリスト教徒に、目にものみせんと、悪魔に変装し追い払ったという物語。「最初の」とは、五月祭前夜の4月30日のこと。
ヨーロッパに広く伝わったこの話は、ケルト、北方ゲルマンの勢力を象徴するようだ。

ヴェルディのオペラ「ナブッコ」の由来は、原題『ナブコドノゾール』からで、南ユダ王国を滅ぼした新バビロニアの王、ネブカドネザル2世のことで、エルサレムとバビロンにまたがる話。
ヘブライ人たちが祖国への想いを歌うのが有名な合唱曲、第2のイタリア国家と言われる「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」である。
処刑寸前のヘブライ人の前にナブッコが登場し、バアル神の偶像破壊をしようとするが偶像は自分から崩壊し、ナブッコはヤハベの偉大さを知ることとなって、結局ヘブライ人を解放するというナブッコ礼賛の物語だ。
史実と照らし合わせ、オペラの作者の台本編集の技も見てみたい。ヴェルディの劇的表現も興味り。

ビバルディのオラトリオ「ユディットの勝利」は、アッシリアの大将であるホロフェルネスが、北イスラエル王国を支配下に置くためにやってくるが、それを危惧した女性ユディットは、酒宴の席に出向き、酔ったホロフェルネスの首を跳ねてしまう、その結果アッシリア軍は動揺し、イスラエル軍に撃破され敗退するという物語。「ユディット」は、数々の絵画になっている女傑。史実との違いがだいぶあるが、そのあたりを探ることで、ヴィヴァルディの思いが伝わりそうだ。

「ベルシャザルの饗宴」、これも新バビロニアによる南ユダ王国のバビロン捕囚の時の物語で、ウイキによれば、「バビロニア王ベルシャザールは、ユダヤ人の神器を用いて異教の神々を称え、ヤハウェを冒涜した。奇蹟が起きてベルシャザールは死に、バビロニアは崩壊し、ユダヤ人は自由を取り戻した。」とある。
異教・・おそらくダゴンかバアルを信奉したであろうベルシャザールにヤハベが鉄槌を食らわすという、ヤハベ礼賛物語。
ウォルトンのオラトリオが有名だが器楽曲ではシベリウスの組曲「ベルシャザールの饗宴」がある。
ヘンデルにもオラトリオ「ベルシャザールの饗宴」がある。

ヘンデルには「サウル」「サムソン」「ヨセフとその兄弟」「ユダ・マカベウス」
「ヨシュア」「ソロモン」「ヨハネ受難曲」などと、旧約聖書の人物の作品が多い。

J.S. バッハ:コラール《来れ、異教徒の救い主よ》 BWV 659。異教徒とは何を指すか、救い主とはだれか検証後今一度聞いてみたい曲。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、異教徒の祭典を、刺激的なリズムによって描いたもので、何回も聴いて入るが、異教徒とは何かを確認して、もう一度聞くことにした。

ラヴェルの歌曲集ヘブライの歌は聞き流す程度にしか聞いてないため、歌詞を理解しながら聴きたい。

シェロモ(ヘブライ狂詩曲)はブロッホが作曲した「ソロモン像」から着想を得たとしたもの。ソロモンを知った上で聞くと感慨も新たになるに違いない。『イスラエル交響曲』も併せて聴いてみたい。

名前さえ知らなかったアレヴィの歌劇『ユダヤの女』。アレヴィの門人にグノー、ビゼー、ルコック、サン=サーンスと、そうそうたる人がいるとは、オペラ史を語るに外せない人であるといい、マイアベーアのオペラとは真逆のシリアス作品が多いという。時代は下がり、神聖ローマ帝国時代、背景はカトリック対反カトリックの宗教戦争である。かつてローエングリンを宗教戦争と捉えた小生には特別の興味がある。

プロコフィエフの「ヘブライの主題による序曲」は、単純にプロコの楽曲の造りを楽しむことにしたい。

リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」は、『新約聖書』の「福音書」にヘロディアの娘として登場する。洗礼者「ヨカナーン」の首を切り落とすがそれは母親にそそのかされてのこと。ヘロデは近親婚をシたとヨカナーンに非難されたが、後には彼を尊敬するようになる、しかし娘のサロメは首をとってしまう。母親嫌いのサロメが母親の言うことを聞くハズがないから、その複雑な心中を測るのに興味がある。オスカーワイルドの台本が元である。ちなみに先日録画を見たが、サロメが血だらけで、ヨカナーンの首を持ってうろうろするシーンに、思わずスイッチを切ってしまった。

サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」。ユダヤの英雄サムソンは、宿敵ペリシテ人をさんざんやっつけるのだが、デリラの色仕掛けで、自分の弱点が髪の毛であることを明かして捉えられるが、髪の毛が伸びて力を取り戻したサムソンは、再び活躍するという話。ペリシテ人が信奉する神が、バアル神でなく、ダゴン神となっているのに着目。
サン=サーンスの宗教心ある音楽にも注目して聴きたい。

ベッリーニ「ノルマ」には、ケルトの自然神、樫の木をトーテムとするドルイド教の巫女が登場し、異国の男との恋愛悲劇を扱ったもの。異教徒同士の恋愛ものがたりで、ノルマの歌うCasta Divaは美しい曲である。ケルトの国の宗教の巫女と、ケルトを支配下におくために登場するローマの将軍の許されなくただならぬ恋物語り。

メンデルスゾーンの「エリヤ」は何度も聴いているが、バアル神の神官とヤハベの代理エリヤが、生贄を前にして勝負し、ヤハベの神力が優ったので、エリヤがバアルの神官450人アシラの神官400人を惨殺してしまうところ。。エリヤが生きながら昇天する所が特に聞きものだ。メンデルスゾーンがこの場面をどのように曲にしたか今一度確認したい。

「聖パウロ」はメンデルスゾーンと同じように、ユダヤ教からキリスト教に改宗した人である。
メンデルスゾーンはそのことを、終始気に病んでいたフシがあるように思うのだが、かつてはキリスト教徒を迫害さえシたが改宗によってキリスト教徒となったパウロは新約聖書の重要な位置を占める。メンデルスゾーンはパウロン自己投影をしたのだろうか、それとも改宗に批判的だったのか、そのあたりが探れるとありがたいのだが。ちなみに、メンデルスゾーンはユダヤの名前で生涯を通し、キリスト教徒名は一切使用しなかった。

未完の「キリスト」は、メンデルスゾーンの宗教三部作として、小生は其々が有機的な繋がりを持つと見ている。そしてキーワードは「改宗」ではなかろうか。未完だがぜひ聴きたいと思っている曲である。

上調べがつくもので、今まで熱心に聞いてこなかったもの、全く聞いてないものも含めて、ほとんど聖書周辺にある出来事から題材が取られていることが分かり、題材となった逸話のストーリーとその歴史的背景などの知識を持った上で音楽を聞けば、新しい感慨や新しい価値観に浸ることが出来るのではないだろうか。

カンタータ、オラトリオはわかるが、オペラの題材になったものがかなりあるのに、正直驚いている。
あらすじだけわかって聴いても、その時代背景がわからないと、単に恋愛もの・・特にイタリアオペラに多いように思うが、それだけのものとして見聞きしてしまったことが悔やまれるが、イタリアオペラに対する偏見が薄れそうな予感がする。ベルカントだけは、」どうしても好みに合わないが。

古今の作曲家は、オペラの題材としても積極的に使用した形跡が顕著だから、ユダヤ教・キリスト教と密接に生きていた(反・汎含め)のを実感した。恋愛劇だと思っていたものの奥には、壮大な歴史的背景が存在することを知って今後の接し方、理解の仕方が、相当変化するに違いない。
改めてもう一度見聞きすれば、必ず新たな価値が発見できるものと思う。
[PR]

by noanoa1970 | 2011-07-29 18:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)