聖書の中の逸話を聴く。メンデルスゾーン「エリヤ」
メンデルスゾーンの「エリヤ」を聴いた。
以前にも聴いたが、その時はエリヤとは何者なのかだけを調べたが、歌詞の内容も何もわからずじまいの単なる音楽として聴いただけだった。
今回は一神教、多神教、バアル、ヤハベといった古代ヘブライ史の一コマを、ある程度理解した上でのことだから、当時のイスラエル国家の宗教的状況と、預言者「エリヤ」の出現の背景に、興味を持ちながら聴けたから、かつて聴いた時とは全く違った印象を持つこととなった。
イスラエルに多神教のバアル信仰者が増えつつあったと、いうより、イスラエル国王がバアル信者の妃を娶った事もあって、殆どの国民がバアル信者となっていったことを危険視したヤハベの密命を帯びたエリヤが、一種の宗教改革に死力を尽くす物語である。
この逸話の核心ではないにしろ、小生が一番興味を持ったのは、エリヤとバアル神の神官の闘い。
生贄勝負の場面である。
10パートから17パートにわたってその時の様子があらわされている。
小生はこの話、生贄に2頭の「牡牛」を使ったとうことから、戦わずにしてエリヤの勝ちではないかと思った。
どちらの神が火を持って生贄を焼いてしまうことが出来るかという勝負だから、バアル信者の大事なトーテムは「牡牛」であるが故、それを焼いてしまうことなど、毛頭考えられないことだ思ったからである。
この仕掛けをおこなったエリヤは、預言者であるが、相当な智慧者でもあったと推測出来る。
結果エリヤは、バアルの神官450人、そのほかのバアル神信者の代表数百人を処刑したという。
神官を処刑しても、生活と密着していたであろう宗教の力は、そう簡単に排斥できるものではないようで、エリヤはイスラエル国王から命を奪われそうになって逃亡する。
暴力で改宗を迫ったエリヤのやり方は、アイルランドケルトをキリスト教化した、のちの聖パトリックに比べると、非常に強引であるといえる。
しかし、エリヤについての詳細は、その活躍ぶりに反し、聖書では余り語られないように思うがなぜなのか。
そして彼の行状にキリストが見え隠れするのは何故なのか。
実に謎の多い人物である。
オラトリオ「エリヤ」を聴くにあたって重要な対訳がネット上に有るのを発見し、それを活用して聴いてみることにした。
ライブ録音であるが、其れらしき雰囲気がないのは、とりわけ宗教色の強い演奏だからなのか。
「若者」役は、ボーイソプラノのように聴こえるがいかがであろうか。
クリスティアン・ゲルハーヘル(預言者エリア=Br)
ナタリー・シュトゥッツマン(王女イゼベル=A)
ジェームズ・テイラー(王アハブ=T)
シビラ・ルーベンス(天使=Sp)
マクシミリアン・クラス(若者=Tre)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス合唱団
モルテン・シュルト=イェンセン(合唱指揮)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
youtubeにあった動画と、対訳をつけたので、興味ある方はどうぞ。
Mendelssohn's Elijah No. 10 "As God the Lord of Sabaoth"
10. Rezitativ mit Chor 10.合唱つきレツィタティーフ
Elias エリア
So wahr der Herr Zebaoth lebet, vor dem ich stehe: わたしの仕える万軍の主は生きておられる。
Heute, im dritten Jahr, 三年目の今日、
will ich mich dem Könige zeigen, わたしは王の前に姿を見せよう、
und der Herr wird wieder regnen lassen auf Erden そうすれば 主は再び大地に雨を降らせてくれるだろう。
Konig Ahab アハブ王
Bist du’s, Elias, bist du’s, der Israel verwirrt? おまえが、エリアよ、イスラエルを乱す者なのか?
Das Volk 民衆
Du bist’s, Elias, du bist’s, der Israel verwirrt! おまえが、エリアよ、イスラエルを乱す者だ!
Elias エリア
Ich verwirrte Israel nicht, わたしがイスラエルを乱しているのはではない、
sondern du, König, そうではなく、王よあなたと、
und deines Väters Haus, あなたの父の家だ。
damit, daß ihr des Herrn Gebot verlaßt あなたたちは主の戒めを捨て
und wandelt Baalim nach. バールに従って生きている。
Wohlan! So sende nun hin さあ!直ちに使いを送って
und versammle zu mir das ganze Israel すべてのイスラエル人を集めよ
auf den Berg Carmel, カルメルの山へ、わたしの前へと、
und alle Propheten Baals, すべてのバールの預言者、
und alle Propheten des Hains, 女王の食卓の席につく
die vom Tische der Königin essen: すべての森の預言者を集めよ。
Da wollen wir sehn, ob Gott der Herr ist. 主が神であるかどうか、見ようではないか。
Das Volk 民衆
Da wollen wir sehn, ob Gott der Herr ist. 主が神であるかどうか、見てみよう。
Elias エリア
Auf denn, ihr Propheten Baals, さあ、バールの預言者たちよ、
erwählet einen Farren, und legt kein Feuer daran, 牛を選び、火をつけずに置いておけ、
und rufet ihr an den Namen eures Gottes, そして おまえたちの神の名へ呼びかけよ、
und ich will den Namen des Herrn anrufen; わたしは主の名を呼ぼう。
welcher Gott nun mit Feuer antworten wird, 火をもって答える方の神を、
der sei Gott. 神としよう。
Das Volk 民衆
Ja, welcher Gott nun mit Feuer antworten wird, よし、火をもって答える方の神を、
der sei Gott 神としよう。
Elias エリア
Rufet euren Gott zuerst, denn eurer sind viele! 大勢なのだから、先におまえたちの神へ呼びかけよ!
Ich aber bin allein übergeblieben, ein Prophet des Herrn. ただわたし一人だけが、主の預言者として残った。
Ruft eure Feldgötter und eure Berggötter! おまえたちの森の神々、山の神々へ呼びかけてみよ!
Mendelssohn's Elijah No. 11 "Baal, we cry to thee."
11. Chor 11. 合唱
Propheten Baals バールの預言者たち
Baal, erhöre uns! バールよ、われらの声を聞いてください!
Wende dich zu unserm Opfer, われらの捧げ物を顧みてください、
Baal, erhöre uns! バールよ、われらの声を聞いてください!
Höre uns, mächtiger Gott! われらの声を聞いてください、力強き神よ!
Send’ uns dein Feuer あなたの炎をわれらに送り
und vertilge den Feind! 敵を滅ぼしてください!
Mendelssohn's Elijah No. 12 & 13 "Call him louder!"
12. Rezitativ und Chor 12. レツィタティーフ
Elias エリア
Rufet lauter! Denn er ist ja Gott: もっと大声で呼びかけよ!バールは神なのだろう。
Er dichtet, oder er hat zu schaffen, 彼は考え事をしているのか、それとも他にやる事があるのか、
oder er ist über Feld, 旅にでも出ているのか、
oder schläft er vielleicht, daß er aufwache! おそらく眠っているのだろう、起こしてやらなければ!
Rufet lauter, rufet lauter! もっと大声で呼びかけよ!もっと大声で呼びかけよ!
Propheten Baals バールの預言者たち
Baal, erhöre uns, wache auf! バールよ、われらの声を聞き、目を覚ましてください!
Warum schläfst du? なぜ眠っているのですか?
13. Rezitativ und Chor 13. レツィタティーフ
Elias エリア
Rufet lauter! もっと大声で呼びかけよ!
Er hört euch nicht! 彼にはおまえたちの声は聞こえていない!
Ritzt euch mit Messern und mit Pfriemen おまえたちのしきたりに従って
nach eurer Weise. ナイフと錐で自分の体を傷つけよ。
Hinkt um den Altar, den ihr gemacht, おまえたちが作った祭壇の周りをふらついて
rufet und weissagt! 呼びかけ、預言してみせよ!
Da wird keine Stimme sein, しかし声もなく、
keine Antwort, kein Aufmerken. 応えもなく、耳を傾ける者もないだろう。
Propheten Baals バールの預言者たち
Baal! Gib Antwort, Baal! バールよ!答えてください!
Siehe, die Feinde verspotten uns! 見てください、敵はわれらを嘲っています!
Elias エリア
Kommt her, alles Volk, kommt her zu mir! 来なさい、すべての民よ、わたしのもとへ来なさい!
14. Arie 14. アリア
Elias エリア
Herr, Gott Abrahams, Isaaks und Israels, 主よ、アブラハムの、イサクの、イスラエル人の神よ、
laß heut kund werden, 今日こそ知らしめてください、
daß du Gott bist, und ich dein Knecht! あなたが神であり、わたしがあなたの僕であることを!
Herr, Gott Abrahams! 主よ、アブラハムの神よ!
Und das ich solches alles わたしがこれらの事をすべて
nach deinem Worte getan! あなたの言葉に従った行った事を知らしめてください!
Erhöre mich, Herr, erhöre mich! わたしの祈りを聞き入れてください、主よ、聞き入れてください!
Herr, Gott Abrahams, Isaaks und Israels, 主よ、アブラハムの、イサクの、イスラエル人の神よ、
erhöre mich, Herr, erhöre mich! わたしの祈りを聞き入れてください、主よ、聞き入れてください!
Daß dies Volk wisse, daß du der Herr Gott bist, この民に知らしめてください、あなたが主なる神である事を、
daß du ihr Herz danach bekehrest! あなたが彼らの心を立ち返らせたという事を!
Mendelssohn's Elijah No. 16 "O Thou, who makest thine angels spirits."
16. Rezitativ mit Chor 16. 合唱つきレツィタティーフ
Elias エリア
Der du dein Diener machst zu Geistern, 僕を精気とし、
und dein Engel zu Feuerflammen, 御使いを燃え盛る炎とする主よ、
sende sie herab! 彼らをここに降してください!
Das Volk 民衆
Das Feuer fiel herab! Feuer! 火が降ってきた!火だ!
Die Flamme fraß das Brandopfer! 炎が焼き尽くす捧げ物を飲み込んだ!
Fallt nieder auf euer Angesicht! 皆ひれ伏せ!
Der Herr ist Gott, der Herr ist Gott! 主は神だ、主は神だ!
Der Herr, unser Gott, ist ein einiger Herr, わたしたちの神である主は、唯一の主、
und es sind keine anderen Götter neben ihm. 主の他には神はいない。
Elias エリア
Greift die Propheten Baals, バールの預言者を捕らえよ、
daß ihrer keiner entrinne, 一人も逃がしてはならない、
führt sie hinab an den Bach, 彼らを川へ引いてゆき
und schlachtet sie daselbst! そこで殺すのだ!
Das Volk 民衆
Greift die Propheten Baals, バールの預言者を捕まえろ、
daß ihrer keiner entrinne! 一人も逃がすな!
17Octavio Moreno - Is Not His Word Like A Fire
17. Arie 17. アリア
Elias エリア
Ist nicht des Herrn Wort wie ein Feuer 主の言葉は炎のようではないか?
und wie ein Hammer, der Felsen zerschlägt? 岩を砕く槌のようではないか?
Sein Wort ist wie ein Feuer 主の言葉は炎のようであり、
und wie ein Hammer, der Felsen zerschlägt. 岩を砕く槌のようである。
Gott ist ein rechter Richter 神は正しき裁き手、
und ein Gott, der täglich droht. 日々怒りを表す神。
Will man sich nicht bekehren, もし人が神に立ち返ろうとしないなら、
so hat er sein Schwert gewetzt, 神は剣を研ぎ、
und seinen Bogen gespannt und zielet! 弓を引いて構える!
小生が気に入っている所。
讃美歌のような敬虔で非常に美しいメロディである。
モーツアルトのP協奏曲にも同じ様なメロディがあったように思うのだが・・・
Mendelssohn's Elijah No. 29 "He watching over Israel"
29. Chor 29. 合唱
Siehe, der Hüter Israels 見なさい、イスラエルを護る方は
schläft noch schlummert nicht. 眠ることもまどろむこともありません。
Wenn du mitten in Angst wandelst, あなたが不安のただ中で歩む時も、
so erquickt er dich. 彼があなたを元気づけてくれます。
by noanoa1970 | 2011-07-23 10:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(49)
同じCDを持っています。その1枚目の6番目、「So ihr mich von ganzem Herzen suchet...(心をつくして我を求めなば…)」 アリア テノール独唱(オバデヤ) は、うちの次男がかつて発表会で歌いました。他にも3種類の演奏録音を持っています。
音楽だけについていえば、モーツァルトの「魔笛」を想起するような曲に思います。
1週間前に注文した本が、やっと届きました、浅野順一著「旧約聖書を語る」。その中に、カインとアベルのところで、某ウェブサイトで引用していた次の文章がありました:「このように考えますと、カインとアベルの抗争は.....遊牧文化は農耕文化を征服した形になる訳です。」さらに、「結局、カインはアベルに敗北したということになります」と続いています。著書のこの部分では一神教や多神教のことは出て来ていませんでしたが、聖書が示す神は、少なくとも旧約の中の時代では、限られた民族・部族の神ですので、他の民族・部族の神と当然異なっていたでしょう。浅野氏の著書では、敢えてそのことに触れて何かを書くという意図を持たなかったのだろうと想像します。 (つづく)
HABABI
幾つか本を調べ、アロンに関して何か新しいことが書かれていないか調べてみましたが、今のところ、特に出て来ません。
ヨシュアに関しては少し見つかり、カナン地方で滅ぼされたと思しき部族の跡が見つかったり、聖書の記述とは異なる部族が滅ぼされていたようであったり、全て滅ぼした訳ではなさそうであることが書かれていました。また、「アマルナ書簡」というのにヨシュアのことを指していると思われる人物名が出ているという指摘もあるようなのですが、書簡が示している時期がヨシュアの時期より前になってしまうのだそうです。出エジプトの時期を、もっと前とする説のあること合わせ考えると、大変興味深いことと思いますが、今後さらに発掘等で新たなことが分かると、また別の説も加わるのかもしれません。いろんな話の中に、聖書の筆者は信仰に関わる記述を織り込んで行ったのでしょう。
それにしても、アロンのことを書いたものが見つかりませんね。
HABABI
前置き)
非論理的な小生ですから、以下のことについての内容はほとんどが推理です。
学問の世界では、仮説→実証という経過が辿れないと、まったく無意味なものとされますが、そこは素人の強み、勝手な解釈や創造、推理によって自己満足するところです。
しかしこういうと大胆不現在敵ですが、たとえば学問としての歴史においても、過去の誤びゅうが改められつつある近年、在野の研究家たちの意見をも参考にすることは間違いではないと思っています。
検証することが学問としての存在価値を高める、というやりかたばかりでは、検証不可能な分野については、研究がまったくなされなくなってしまい、歴史の片すみに追いやられることになってしまいます。
また検証に重きを置くことで、文献の読み方が恣意的になるという問題点を孕んでいるように思います。結局完全なものなどは望むべくもないことで、どこかに解釈としての推理創造がつきものでしょうから、学問も在野の研究も同じようなものだと思います。権威という厄介者が大きく違うところでしょうか。
本論)へ続く
モーゼとアロン2つのエクソダスの出現背景には、わが国の邪馬台国論争にあるように、場所を特定する根拠となるものを、数次の記述違いとか東西南北が違っているとか、記述されたものとその国が違っているとか、つまり現代の感覚で合理的なものにするために、辻褄を合わせるというやりかたにも見えます。
文献がないでしょうから、検証などは多分できないとからい、学界からは無視される典型だと思いますが、わが国の歴史でも、かつて学校で習ったものに、多くの誤びゅうがあることは、あきらかになっています。
従って在野の研究家の指摘の中にも、事実があるかもしれないと小生は思っているわけです。
在野の研究家、「八切史観」の「八切 止夫」の著述にも相当刺激をうけたものです。
最近はネットで著述が無料で読めます。http://www.rekishi.info/library/yagiri/
長編ですが、「古代史入門」がお勧めです。
長文失礼しました。sawyer
いろいろ教えて頂き、ありがとうございます。
日本史に関しては、小和田哲男氏の書いた文庫本を読んだりしていましたが、昔学校で教わったことが変わってしまったことや邪馬台国の近畿説と北九州説のそれぞれの根拠のことなど、その推論の仕方を含めて、なるほどなと感心することばかりです。
旧約聖書の場合も、恐らく今まで数え切れないほどの人が史実との関係を調べたり、仮説を考えたりして来ていて、結局、その検証が出来ないというより、仮説の意味、価値といったもの、たとえば、その仮説を持って為そうとしていることが、評価されないままになっているという面があるように思います。
(つづく)
「遊牧文化は農耕文化を征服した」という意味は、土地の利用方法が変わり、生産手段が変化したということなのでしょうが、私も既に別のところでコメントさせて頂いているとおり、また、先にヨシュアに関して調べたことを少しですが書いたとおり、地域全体としてはここは二者択一の話ではないと思います。
「エホバの功名な所は」という表記や似たような書きぶりのところを拝見致しましたが、失礼とは思いましたが、ここは「旧約聖書の筆者が」と書かれるのが良さそうに思われました。これも失礼な言い方で恐縮ですが、私はsawyerさんの書かれた内容に、特に違和感を覚えるものではありません。
私の手許にある文献は、いわゆる学者あるいは大学関係者が書いたもので、確かに根拠の全くない想像による話は避けていますが、それでも、かなり大胆と思われることを書いています。
(つづく)
1963年に出されたF.ジェイムズ著の「旧訳聖書の人びと」の中に、モーセがエジプトから逃走して「ミデアンの地」に行ったことが書かれていますが、ここでモーセはミデアンの祭司エテロに会っています。上記の本の中で、これに関連した学者たちの意見を紹介しています。それは、ミデオン人の礼拝した神の名が、後にモーセが伝える神の名と同じであり、また、この神への礼拝方式は、モーセはエテロから授かったというものです。なお、ミデオンの民も、遊牧の民となっています。この説には反論が出ていることも著者は紹介し、どちらが正しいという理由も見いだせないと記しています。この箇所以外でも、いろいろな説が紹介されています。
学者たちも自らの仮説を苦労して説明しようとしていますし、それもかなり多くの話がありそうですので、それらを見てみるのも悪くはないと思います。
それと、ユダヤ教の方が聖書に書かれていることを解釈した本も入手しました。この本の中では、聖書に書かれたことにさらに話が付け加わっています。書かれてあるままではない、というところがまず発見でした。
HABABI
旧約聖書(このネーミングは小乗佛教と同じで、差別的なものだと何時も思います)の原型はBC1000頃に成立したといいますが、長い歴史を有する宗教の例にもれず、神も経典も後代に加上されていると見るのが妥当でしょう。BC1000頃の我が国は弥生時代で、日本という国号も無かった時代ですが、イスラエルは既に王制部族国家で、そこで祀られたのがヤーウェだったと思うのですが。この時代には、諸神の中での最高神という概念はあっても、唯一絶対神というそれは無かったと思います。一神教ー多神教という相対概念は、唯一絶対神を頂く一神教の成立において出来た、比較的新しいものですね。
遊牧民ー農耕民という相対概念もそうではないでしょうか。山の部族、海の部族というのは大昔からいたのでしょうが、遊牧、農耕という生産様式は、人類の共同体が国家として成立してからのものではないでしょうか。
>「エホバの功名な所は」という表記や似たような書きぶりのところを拝見致しましたが、失礼とは思いましたが、ここは「旧約聖書の筆者が」と書かれるのが良さそうに思われました。
これは失礼を申し上げました。ご指摘ごもっともです。聖書の筆者という意識が薄弱でしたので、ついそのような書き方になってしまいました。
>「遊牧文化は農耕文化を征服した」という意味は、土地の利用方法が変わり、生産手段が変化したということなのでしょうが
そうだと小生も思います、そして、「牧畜」がキーファクターのように思います。
>ミデオン人の礼拝した神の名が、後にモーセが伝える神の名と同じ
解釈が多々あるという喩えで引用されたことのコメントで申し訳ないのですが、アブラハムの8人の子供のミディアンが作った国が「ミデアン」とされます。セム族であることから、モーゼの神と同じ神を奉じていたということは言えると思います。ということはヤハベはモーゼによって初めて知られることになったのではなく、それ以前から存在したことになります。
この問題は、ヤハベという神はモーゼによって初めて知らされたのか、それともアブラハムの(子供)時代にすでにその存在が知られていたのかという問題の予感がします。いずれにしても聖書の作者の見解の違いがあるように思います。つまるところ、アブラハムが神と約束したカナン定住を、モーゼが実践したということなのでしょうが。
アブラハムもモーゼもエジプトにかなりの関係を持っていますが、入ったり出たりしたことの背景を知りたいと、今思うところです。
ひとつの事象に様々な解釈がありますが、突き詰めれば、自分はどの解釈に加味するか、あるいは様々な解釈を推敲して、自分独自の解釈を仕立てるうか、ということになるのでしょう。
有益なコメントありがとうございます。
こちらは早朝から、雷神風神雨神が頭上に全て集まったような、今まで経験したことがないほど凄まじい雷雨でした。
古代人が経験したら、神の脅威なるものを感じたことでしょう。
田園交響曲の4楽章そのものを体験できたように思います。
5楽章の「感謝」は、嵐が去ってよかったということもありますが、雨が降って牧草や植物が豊作となることへの感謝でもあったように今は思います。
>イスラエルは既に王制部族国家で、そこで祀られたのがヤーウェだったと思うのですが。この時代には、諸神の中での最高神という概念はあっても、唯一絶対神というそれは無かったと思います。一神教ー多神教という相対概念は、唯一絶対神を頂く一神教の成立において出来た、比較的新しいものですね。
北イスラエルアハブ王国の時代約BC800では多神教と一神教が混在しており、祭壇には両方が祀られていたといいます。次第にバアル信奉者が増加し、「エリヤ」が登場するのですが、神官800人余りを殺害しても、バアル信仰はなくなりませんでした。
農耕牧畜を生業とする民であるがゆえに自然神信仰は当然だったのでしょう。周辺の異民族の襲撃や土地拡大の戦争などで、生活が不安定になってゆくと、戦いを司る一神教神への要求が始まりますがしかし、イスラエル王国時代は、階層的一神教と一神教と多神教の中間型であり、真の一神教が起こったのは、王国滅亡後という見解が正しいようです。
北イスラエル王国は、紀元前721年にアッシリア帝国によって、南イスラエル王国は、紀元前587年にバビロニア帝国によって滅ぼされますから、国が無くなっていわば放浪の民となったイスラエル民族はイスラエル国家復興という民族の結束ガ必要だったことから、かつて自然神と共に祭壇に祀った唯一絶対神だけを奉じることになった。民族の不安定期には自然神信仰は芽生えないからだと思います。
>遊牧、農耕という生産様式は、人類の共同体が国家として成立してからのものではないでしょうか
農業+牧畜=定住という荷がキーファクターだと小生は考えます。遊牧と農耕というあたかも対立概念とする見方は近代合理主義の表れのように思います。
国の成り立ちは、農耕の民が遊牧の民に攻撃にあい困窮した事から、「七人の侍」のように、傭兵を雇い防衛して集団を守ろうとする中、それを束ねる「長」が出現し、周囲の集団と連携連合して大きくなっていき、その集団の中で権力を握ったものが「王」となったということが出来、集団≒国の人口が増えるに従って領土拡大、食料補給生産方式も変化せざるを得なくなり、先に上げた図式のようなスタイルが出現したと小生は思っています。
いすれにしても、2つの生産スタイルは、完全分離していたわけではなく、頭のよい種族は「取引」=物々交換によってマージシていくうちにお互いの技術を学び、それを発展させていった種族があったということでしょう。そういう種族の一部が蓄財(冨と権力)を背景に、巨大国家を形成していったのではないでしょうか。
国家意志とは、支配者側の意志が共同体の意志として表出されたものであり、近代以前においてその媒介となったのが宗教でした。国家は、かかる国家意志に対応した統治形態およびその実存形態たる統治機構の総体であると考えます。
預言者エリヤは、ユダヤ教復興の英雄というイメージでいいでしょうか。エリヤにとっての神が軍神的であることから、そう把握したのですが。エリヤが対峙したバアル信仰は、当時既に国家意志形成の媒介として揺るぎない地位にあったと思います。
部族国家であったイスラエル王国は、分裂の危険性を最初から孕んでいたと思います。分裂後の王国がアッシリアと新バビロニアに滅ぼされたのは、古代帝国時代に入っていた当時としては必然の事柄ですが(なぜ、「バビロン捕囚」として南イスラエル王国の側だけがクローズアップされるのでしょうか?)、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの、アジア的な宗教寛容政策によってユダヤ教は復興して行きましたね。
音楽では、ヴェルディの『ナブッコ』に描かれた時代です。南イスラエルを滅ぼしたナブコドノゾル2世が最後はユダヤの神に帰依したという捏造がなされていますが。
重要な問題点・視点が次から次へと出現しますね。
こういう所が歴史の醍醐味なのでしょう。
>国家意志とは、支配者側の意志が共同体の意志として表出されたものであり、近代以前においてその媒介となったのが宗教でした。
ダビデによって12氏族が統一され、統一イスラエル国家となりますが、其々の民が同じ神だけを信奉した、ということではなかったと思います。勿論セム族の統一にヤハベは必要であったと思うのですが、やはりダビデの統一に、実質不可欠だったのは、戦力、軍隊(傭兵を含め)を持ち掌握していたからだと思います。ダビデはイスラエルの宿敵ペリシテを撃破するのですが、ペリシテ人は昔から強力な軍隊を持っていたとされますから、それを撃破したという12氏族からの尊敬があったのではないでしょうか。一方形式的には、ペリシテ人が信奉したバアル神との戦いでもあるため、対抗手段としてヤハベを全面に担いで勝利したということで、統一のための宗教的柱となり、戦力の誇示が伴って12氏族統一に成功したと見ています。
>なぜ、「バビロン捕囚」として南イスラエル王国の側だけがクローズアップされるのでしょうか
これについてはイスラエル王国の統一分裂の話から進めなければなりません。
かなりややこしかったので、整理したものを次のページ以降に書きます。少しはわかりやすいと思います。
>アブラハムの8人の子供のミディアンが作った国が「ミデアン」とされます。セム族であることから、モーゼの神と同じ神を奉じていたということは言えると思います。
この部分は、ご明察ですね。聖書に書かれていることと、部分的にではありますが辻褄が合っています。ほかに、南アラビアの風雷神で、似た名の神を起源とする説もあるそうです。いずれにしても、聖書の著者が、いろいろな話、中には時代の離れた話も集めて、骨格の揃った一つの話にまとめている様子が窺えます。
エリアがバアルの預言者たちと対決した場所は、註解書によれば、どちらかと言うとバアル側の聖域のようなところだったようです。預言者の数の多さと合わせて、わざとバアル側の有利なところで闘って勝利の効果を高めようとしたようです。F.ジェイムズの著書の中では、イスラエルの神が捧げものを好む方だったので、エリアは捧げもので勝負したというようなことが書かれていました。残酷な場面ではありますが、いろいろ戦略があって、面白いところでもありますね。
イスラエルの統一⇒分裂過程
サウル・ダビデ時代に統一王国イスラエル・ユダ連合王国=ヘブライ王国が完成
(ちなみにダビデは後に南王国を建てるユダ族出身である)
ソロモン末期時代に、ヘブライ王国からユダ王国(南王国)が分離
南ユダ分離後イスラエル王国は北イスラエル王国(北王国)となる。
《ややこしいが、イスラエル王国の呼称は、統一王国(イスラエル・ユダ連合王国=ヘブライ王国)と分裂後の北王国の両方で使われる。》
ソロモンの死後ヤロブアム1世が北王国(イスラエル王国)の王となる。BC922年 - 901年
12部族のうち、10部族がヤロブアムを支持し統一北王国となりBC922年、残り2氏族のユダ族とベニヤミン族がレハブアムを師事し南王国(ユダ王国)が始まる。
イスラエルを構成する12氏族を、1つの王国イスラエル・ユダ連合王国=ヘブライ王国に統一したのはダビデである。BC1000年 - 962年
ダビデの子供ソロモンは統一王朝を更に発展させたが、増税、服役、出身部族ユダ族を優遇、ユダヤの神以外の神を認めた、偶像崇拝をも認めたなどが原因でユダヤ教徒と他の宗教信者との宗教的対立となり南北の王国に分裂した。
結果、統一イスラエル王国は、北王国=イスラエル王国と南王国=ユダ王国に分裂した。BC922年
すなわちイスラエル12氏族がダビデによって統一されるが、その子ソロモン末期に再び分裂し、10氏族が集合する北王国と、2氏族の南王国に分離、統一前の状態に戻ったと言うこと。
北王国は南王国・反ユダで纏まっていたに過ぎず不安定。クーデターが頻発し、王朝はたびたび交代した。
一方南王国では王朝の交代はなく、世襲のように王だけが交代するという形態であった。
アッシリアによって捕虜となったものを、第一次バビロン捕囚という。
南王国はダビデの出身でもあり、かつてダビデによって南北が統一された歴史から、再び南北を統一したい願望があったから、分裂後60年間は衝突し南北は戦争状態にあったがやがて和解した。
しかし、BC722年アッシリア帝国に北イスラエル王国が滅ぼされてしまう。
南王国=ユダ王国はアッシリアの占領下で存続したがBC609年、メギドの戦いに敗北しエジプトの支配下に入る。
BC597年に新バビロニアのネブカドネザル2世の前に屈した。
南王国の捕虜はバビロニアへ連行されることになり、第2次バビロン捕囚である。
しかし南王国は、アッシリアに完全制服をのがれた数少
ない国の一つでその理由の一つは、南王国(ユダ王国)が政治的にも
地理的にも重要性をもっていなかったからでこれが、イスラエル王国(北王国)滅亡
後、属国であったが150年間、ユダの南王国が国家として存続した理由であった。
つまり北滅亡後150年存続したユダ南王国がついに滅亡し捕囚されたということは①イスラエルの12支族全てが捕囚され、イスラエル民族存亡の危機という歴史的事件となったこと。
小生はこの史実から以下の結論を得ました
③「アッシリアの移住政策によって、イスラエル人はペルシア地方に連れて行かれた。アッシリアの碑文によると、サルゴン2世による捕囚は2万8千人近くに上った。代わってバビロンからの移民がサマリヤに定住して、旧北イスラエル王国はアッシリアの一属州になった」
以上の史実が正しいとすれば、イスラエル人はバビロニアに捕囚となったのでなく、ペルシア地方に連行されたから、「バビロン捕囚」とは言わない事になり、アッシリアの北イスラエル捕囚は「ペルシア捕囚」と読んだほうが良い。
従ってバビロン捕囚は南ユダ王国に限っての呼称という理由なのかも知れない。
すぐにでも、コメント返しをいたしたいところですが、多くのコメントに答えるべく能力を使い果たした(笑)ので、今夜は失礼します。
明日にでもお返事さし上げるつもりですので、しばしお待ちください。。
おやすみなさい。
sawyer
ネットで見つけた記述ですが以下のようなものがあります。
これによるとアッシリアのバビロン捕囚は、捕囚先がバビロンだけではなく、アッシリア地方各所とされています。一方新バビロニアの捕囚先はバビロン出会ったために、バビロン捕囚と言われるようになったということでした。
第1次2次捕囚はいずれも新バビロニアによる捕囚が2回あったということで、アッシリアが第一次で新バビロニアガ2次とするものもl存在します。
以下のことが④の理由にもなる可能性があると思います。
『捕囚(exile)には、北イスラエルのサマリヤ陥落後のアッシリア捕囚と、南ユダの滅亡後のバビロン捕囚(babilonian exile)があります。前721年、北イスラエルの民はアッシリアに連れて行かれて、いくつかの町々に住まわせられました。(列王紀下17:6)南ユダの滅亡の時は、バビロニアの首都バビロンに連行されました。第一次捕囚が前598年、第二次捕囚が前587年です。』
アッシリアの捕囚がハイライトサれないのは、多分アッシリアの歴史書が乏しかったからではないでしょうか。それに比べ、新バビロニアの「年代記」その他の資料は充実しているように思います。よってプロパガンダの差であるかも知れません。想像に過ぎませんが、アッシリアの捕囚は、新バビロニアの2回に渡る捕囚と比べて、規模が小さかったのかも知れませんね。残されたイスラエルの民も多かったような記述を読んだ記憶がありますが、出典は思い出せません。
>南アラビアの風雷神で、似た名の神を起源とする説もあるそうです。
ソロモンと女王シバを連想させますね。しかしシバの国については諸説あるようです。
カナンの祭壇にはバアル神のトーテムである黄金の仔牛が祀られていましたが、祭壇を破壊したイスラエルの民は、黄金の仔牛はそのままにして彼らの礼拝の対象にしたとの記述もあるように、民の混合、神の混合が図られたのと、それ以上に出自が同じであったという大胆な説も生まれてきます。
聖書を歴史的背景から読むHPの中で、筆者は以下のような叙述を紹介しています。
「浅野順一著「預言者の研究・エリヤの宗教改革」p17で、「ベテルとダンに金牛を安置し、之をヤーウェとして拝した。」
ようするにこのことは、ヤハベの信仰は偶像信仰でもあり、対象は黄金の仔牛ということになります。敵対するバアル信奉者と同じトーテムであったということになります。ヤハベ信仰は最初は偶像に黄金の仔牛を使っていたことになります。これをどう見るかは別として、天地がひっくる替えるほどのインパクトです。ヤハベとバアルは、近親憎悪ということなのでしょうか。
>エリアがバアルの預言者たちと対決した場所は、註解書によれば、どちらかと言うとバアル側の聖域のようなところだったようです
これはそのとおりだと小生も思っていました。
行けにウェを捧げるのですから神聖な場所で、エリヤはバアルにいてしかもバアルの神官アシュラの神官を集めさせたのですから、バアルの祭壇がある広場での可能性の見方は妥当でしょう。
聖書の作者はエリヤを、ヤハベの遣わした知恵者としても描きたかったのでしょう。それでよりヤハベの神力が示せることになるのではないでしょうか。
バビロン捕囚について多くのご教示を賜り、厚謝申し上げます。おかげをもちまして、古代イスラエル史への関心が一層高まりました。
黄金の仔牛は、大きな問題を孕むものですね。アロンが拵えた金牛像も、偶像なのか方便なのか、判断が難しいと思います。教義から見れば、偶像崇拝を禁ずる神意が先にあり、アロンはそれに背反したということになりますが、歴史から見れば、かかる神意自体が偶像崇拝へのアンチテーゼとして後から造作されたことになるでしょう。教理や祭司のシステムが整う過程において、信仰者集団は教団として再編成され、教理に合わせて歴史が書き換えられて行きます。その時に、何が、どういうふうに取捨選択されたのかが問題となるでしょう。
シェーンベルクの「モーゼとアロン」でも、「黄金の仔牛」の場面は、音楽的にも演出上も難しいと言われていますね。きっとシェーンベルクも、アロンの行動の解釈が難しかったのではないでしょうか。
『北イスラエルでヤハウェ主義者のエヒウが政権を握った時、すべてのバアル神殿を破壊しましたが、金の子牛像には手を付けませんでした。というのは、この金の子牛像はヤハウェ礼拝の中心だったからです。
浅野順一著「預言者の研究・エリヤの宗教改革」p17で、「ベテルとダンに金牛を安置し、之をヤーウェとして拝した。」と説明しています。』
「
「金の子牛像はヤハウェ礼拝の中心だった」という大胆な指摘もあるようですが、小生は仔牛であるかどうかより光り輝く「黄金」そのものが重要視され、たまたまバアル信奉者が大事にした「牛」と組み合わせたことによって、「黄金の仔牛」として偶像化され、崇拝の対象として祭壇に置かれたということも考えられます。
アロンが金で仔牛を作ったことは、光り輝く黄金とバアルのトーテムを組み合わせることで新たな礼拝対象とし、様々な自然神信仰の民衆の心を統一し、反抗を抑え、目的を果たせるように、バラバラの民衆の心をまとめ、一体感を得ようとしたことにあるような気がします。「金」が世界各国の宗教と切り離せないのは、やはり「金」のもつ神秘性や貴重性、荘厳、神聖さがそこにあるからではないかと思います。
アロンは後世の聖パトリックのようであると、小生は思い始めました。
性格は異なりますが、『法華経』に「三車火宅」の喩が思い出されます。長者の屋敷が火事になるのですが、屋内にいる子供は遊びに夢中で気づきません。そこで長者は、「外に出たら、おまえたちが欲しがっていた羊車、鹿車、牛車があるぞ」と言って子供を屋外に導きます。子供は喜んで外に飛び出し、難を免れます。そして、外にあったのは羊、鹿、牛の三車ではなく、これらよりはるかに立派な大白牛車であったという喩です。
この喩は、後に中国佛教で論争を巻き起こします。大白牛車(真理)の方便が三車の中の牛車であるという論と、大白牛車は牛車とは別であり、これのみが真理であるという論です。
黄金の仔牛は「黄金」に意味があるというご教示をいただき、思い出しました。
『モーゼとアロン』の台本はシェーンベルク自身が書いたわけですが、そこでは、モーゼから偶像崇拝を責められたアロンが十戒の石板も偶像ではないかと反論し、これへの返答に窮したモーゼが石板を割ってしまいます。「出エジプト記」には、こういう両者の問答はありませんね。作曲されることなく終わった第3幕の台本では、両者の勝敗はどうなっているのでしょうか。
十戒はヤーウェの神託が記されている石板ですが、神託自体が重要とはいえ、それが「記されてある物」である以上、アロンの反論は正当なのではないかと思えます。しますと、一口に偶像崇拝といっても、偶像を神とするか、神の象徴とするかによって大きく異なってくるのではないでしょうか。
紹介いただいた、「三車火宅」の喩から、「嘘も方便」、「嘘から出た真」という諺を連想しました。
この話で共通するのは「車」です。わざわざ「三車」とした「三」にも重要な意味があるように思いますが、仏教の「三」には特別の意味があるのでしょうか。
>これへの返答に窮したモーゼが石板を割ってしまいます。
小生も何故せっかく入手できた大事なモノを、叩き割ってしまったのか、不思議に思っていました。
Abendさまの意見の>アロンが十戒の石板も偶像ではないかと反論し、これへの返答に窮したモーゼが石板を割ってしまいます
という説は、それまでの経緯から素直に想像ができますから、説得力があります。
「金」の共通は、その後モーゼが仔牛と石版を砕いて粉にして民衆に飲ませた後、新しい石板を授かるのですが、モーゼは礼拝用の具体的な対象が必要であることを悟り、二体の金のケルビムに守られた金メッキの「約束の箱」を作り、その中に石板を納めたとされていることから見ても、「金」で作られた物が礼拝の対象になり得たということを表すもので、モーゼはなおかつその中に石版を入れることで、形式は「金の箱」内容は「石版」という礼拝対象を創造したということになり、非常にうまいやり方をしたと言えるでしょう。
「有ることをするとそれは奥にある何かに繋がる」「形から精神へ」という宗教的発想は共通してあるようです。
というより、偶像を作った側の狙いは神の象徴でしたでしょう。
「鰯の頭も信心から」の諺のように、どんなものであれ最終的には目指す神に繋がれば良い、逆に、これをやれば神に通じるとだけ教えるほうが民衆カラは指示を得やすいので、アロンはいち早くそれに気づき、遅れたがモーゼも、そのテクニックを使い金のアークを造りました。しかし最初「偶像を通して神に近づく」という象徴理念が、時と共に薄れていき、偶像そのものが神であるかのようになってしまう。
そのような信者が増えた暁には、否定は最早できなくなり、偶像=神という自然感覚を認めざるを得なくなった。
一神教の論理<自然神多神教・・・という感覚に、民衆は目覚めていたということに他ならないと考えます。
石版が偶像であると指摘されたモーゼは、新しい石版を黄金のアークに隠すことで、アークを礼拝する民衆だが、そのことは同時に中にある石版が象徴する、「神」への祈りが担保されたことでもある、という理屈を考え実行したと小生は見ています。
三車は三乗の喩です。三乗は三種の修行方法のことですが、これを唯一絶対の真理に至る方便とするのが一乗思想で、『法華経』はそれを宣揚した経です。一切衆生は悉く成佛できるという考え方は、この一乗思想を基盤としています。
偶像は、おっしゃるとおり神の象徴として造られたものです。しかし、民衆は偶像を神性の象徴としてではなく、偶像自体が神性を有していると見たのでしょう。貨幣自体に価値が内在していると見るようなものです。アロンが偶像を黄金で造ったのは、このような民衆の見方を更に強固なものにしたと思います。その点において、アロンは優れたオルガナイザーだったのではないでしょうか。
ご教示ありがとうございます。
>三車は三乗の喩です。三乗は三種の修行方法のことです
多分小生の解釈は間違っているとは思っていましたが、「修行方法」の喩とは思いもしませんでした。「声聞乗」と「独覚乗」と「菩薩乗、大乗」の修行があり、迷いから悟りへ導く乗り物が「乗」と知りました。名前だけ知っていた、小乗仏教、大乗仏教は修行法の違いでもあると推測(また間違っているかも知れませんが)されますが、如何に仏教について無知なのか、改めて認識させられました。
お経もさることながら、説話にも、仏教の場合は、「言葉」の概念を捉えておかなければならない難しさがあります。西欧の宗教的それらとは違うように感じるのはなぜなのでしょう。
仏教のカリスマ達が、一言で唱えられる仏教の言葉を使って、大衆に仏心を享受(言葉の使い方がおかしいですが)させたことの意味が何となくわかるような気がします。
>その点において、アロンは優れたオルガナイザーだったのではないでしょうか。
聖書に、ほとんど名前だけしか登場しないアロンですが、だから本当は宗教に柔軟で寛容な実力者で、グローバルな非独裁的思想の持ち主であったのでは、とさえ思ってしまいますね。アロンのこのような考え方は、後のソロモンに引き継がれるようにも思います。宗教的寛容さ柔軟さは、時代を考えれば危険分子を孕んでいたが、王権が長く続き繁栄するためには必要だったかも知れません。
ナオミとはルツ記に出てくる賢女ですが、ルツはダビデの出自にあたるモアブ人の女性で、ナオミは彼女の義母です。夫が死んで故郷ベツレヘムに帰りたいナオミに、義理の娘ルツがついてきて、ベツレヘムの土地でユダヤ人と結婚します。ルツは結婚の際ユダヤ教に改宗します。ナオミはルツの子供を大事に育てたという物語ですが、ルツがナオミとともに、生まれ故郷である異教徒の国モアブから異教徒の国でナオミの故郷イスラエルに行かなければ、ダビデは生まれていなかったというわけです。ルツにユダヤ教改宗までさせたのも、ナオミの強い宗教心であったと言うところでしょうか。
佛教は、佛法あるいは佛道という方が正確です。釈尊は法(真理)を悟った者で、大乗では佛=如来(真理より来たりて、真理へと去り行く者)となります。釈尊の時代のインドでは、偶像崇拝は問題とはなり得ませんでした。同時代の古代ヒンドゥー教(バラモン教)や六派哲学に偶像崇拝がなかったからです。なお、釈尊は現在のネパール出身で、アーリアン説とモンゴリアン説があり、決着していません。
ヘドバとダビデが『ナオミの夢』を録音した当時の記事が載っている『週刊FM』をまだ持っているのですが、2人が歌って東京国際音楽祭でグラン・プリを受賞したヘブライ語の曲『Ani Holem Al Naomi』に、作詞家の片桐和子が日本語の詞をつけ、2人が日本に滞在している1週間で慌しく録音したものが『ナオミの夢』です。
女優のナオミ・ワッツやモデルのナオミ・キャンベルの名もNaomiからつけられたようです。