ラプソディインブルー、「ブルー」とはなんだ
有名なガーシュインの曲、小生は「ブルー」の意味は、「憂鬱」「気怠い」という意味合いと、「ブルーノート」という、JAZZの特徴の一つでもある音が使われているからだと思っていた。
しかし本来の意味の「ブルー」は、JAZZの象徴的意味合いを持つとのことだから、「ラプソディインブルー」は、憂鬱な狂詩曲ではなく、JAZZ風の狂詩曲であることを知った。
しかしながら、ブルーノートスケールの音は、気だるそうに聞こえないこともないから、「憂鬱な狂詩曲」でも良さそうに思うがいかかだろうか。
でも曲想全て憂鬱というわけではなく、むしろ曲の中では、そういう雰囲気の箇所より、華やかな所が多くあるから、やはりJAZZっぽい狂詩曲とするほうが妥当なのか。
ガーシュインは苦手なオーケストレーションを、グロフェに依頼したと言われ、現在演奏されているものは、グロフェの手になるものが主流であるらしい。
ブルーノートのことが出たので、一度整理してみようと思い、探していると、かつてバーンスタインが「音楽を語る」という番組で、「クラシックにおけるジャズ」のセクションでの講義で、アーロン・コープランド、スコット・ジョプリン、エリック・サティ、ストラビンスキー、そしてダリュス・ミョー:「世界の創造」とジョージ・ガーシュイン:「ラプソディ・イン・ブルー」 を例にあげて説明した内容についての記述を見つけた。
ミヨーと今日取り上げたガーシュインとミヨーの楽曲は、小生も耳に馴染んでいる曲である。
その中のどの部分に「ブルーノート」が使用されているか、特定するのに都合が良いから、youtubeの力を借りてその特徴的な箇所を示しておくことにした。
ミヨー「世界の創造より」の出だしの部分。
そして、
ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー前半 A・プレヴィンP A・コステラネッツ&ヒズ・オーケストラ
開始から1分あたりからのピアノソロ。
これがブルーノートの典型であると同時に、この2つの楽曲に共通するのは、この部分が同じfyレーズだということだ。
2人が引用したのは、(どちらか、多分ミヨーが真似をしたとも考えられるが)アメリカで古くから存在したという
「Good Evening Friends」だという。
ちなみにラプソディインブルーは1924年、世界の創造は1923年の作品と微妙だ。
だがジャズ畑のガーシュイン、クラシック畑でしかもフランス人のミヨーを真似るはずはなさそうだから、偶然の産物であるとともに、引用元がかなり有名であったとも言えないことはない。
しかし別の見方も考えられ、ガーシュインがクラシックの作曲技法を学ぶために、ジャズを取り入れたミヨーを研究しミヨーの引用フレーズを孫引きしたとも言えないことはない。
引用されたこの曲のプロフィールを調べてみたところ、情報に乏しい中、ようやく次の英文情報を発見した。(The phrase "good evening friends" is from the themesong of the radio show Al Jolson had in the 1930's.)
ジャズ歌手としても、ウエスタン歌手としても知られ、我々は「ローハイド」のテーマ音楽を歌った人と覚えた、フランキーレーンが引用元、「Good Evening Friends」を歌っているものを貼りつけておく。
Frankie Laine & Johnnie Ray - Good Evening Friends
ブルーノートが使われた曲の代表は、バーンスタインが指摘したとおり、JAZZ分野からのアプローチ:ガーシュインの「ラプソディインブルー」とクラシック分野からのアプローチ:「ミヨーの世界の創造」であるが、いずれもが1930年代のラジオ番組のテーマソングだった「Good Evening Friends」を引用している。
「Good Evening Friends」については情報に乏しいため、作られた年代は不明だが、英文の記述から、成立は1930年以前であることがわかる。
また様々なジャンルのアーチストが取り上げているところから見ると、かなり流行し有名だったようだ。
ブルーノートを、音楽理論的に解説するのを読んだが、あまりピンとこなかったので、実際の音を聞くのが一番だと思い、youtunbeを利用させてもらった。
さて、冒頭に小生が「ブルー」について思っていたことは、実際に使われた「ブルーノート」を聞くと、まんざらでもないように思えてくるし、気分はブルーという時の「ブルー」・・けだるくて鬱陶しい雰囲気もある。
しかしそのことに拘る必要もなく、定説となっているような「ジャズっぽい狂詩曲」でも良いが、ジャズ畑のガーシュインが果たして、「ジャズっぽい」などというのかと思ってしまう。
ジャズのタイトルには、ウイット溢れる(ダ)洒落で、複合的意味合いを持たせたものが多いから、そんな風に思えば両方の意味が複合されたものとして、解釈するのがいいのかも知れない。
さて、この曲の演奏に話を移すが、大きく分けて、ジャズ寄りの演奏とクラシック寄りの演奏がある。
ガーシュインのこの楽曲をどう捉えるかによって、おそらく選択肢が分かれるのではないだろうか。
また、クラリネットのあの特徴的なグリッサンドをどのように処理しているかも好みが分かれるところであろう。
かくいう小生、この楽曲はたった数種類所有するのみだ。
どうも小生の中で、ガーシュインは位置づけがはっきりしない作曲で、パリのアメリカ人かラプソディ、せいぜいポギートベスを聞くのにとどまっていたし、演奏云々を考慮しなくてはならないほどの魅力に至らなかったというののが、正直なところである。
改めて・・・30年ぶりになろうか、聴いてみたが、録音はやはり良い。
そして、特に際立ったところは無いのだが、過去の試聴からイメージしていたよりは、数段上出来の演奏をしていたことが分かり、少し見なおしてあげないといけないと思った。
調べてみると、カンゼルもリストも2度に渡ってこの楽曲の録音をしているし、来日公演でも取り上げたところを見ると、お得意の曲だったように思う。
そしてこの演奏は、珍しいが、ジャズとクラシックの中間派の用に位置づけておくことができそうだ。
他にはコステラネッツ、LSO、ピッツバーグ響と3回録音したプレヴィンが有名所だが、ベニーグッドマンをクラリネットに起用したトスカニーニ盤、自作自演盤、バーンスタイン盤、小生な聴いたことがないが、マズア、シャイーがLGOと録音している。
ジャズの作曲演奏家としてもクラシックの指揮者としても知られるプレヴィンだが、ジャズテイストが表に出た、コステラネッツ管との引き振りが好きな演奏であったが、現在行方不明。
自作自演は定番になり得るかと思ったが、なにせスピードが速すぎるのと、前のめりになる箇所が散見され、やけにファゴットが目立つオケの音質に難があるため、期待はずれであった。歴史的価値の音源だ。
トスカニーニ盤は、ベニーグッドマンの思い切った独創的な奏法は良いが、トスカニーニのシンバルをぶっ叩く楽譜改ざんは、曲想とアンマッチ。
現在なら、他にもっと聞くべき音源が豊富にあるだろうが、この曲は演奏内容が推理しにくい曲だから、どなたかいいと思う演奏があればご教示いただきたい。
ジャズテイストが豊富な演奏とバシバシのクラシックの演奏両方でお願いしたいところです。
by noanoa1970 | 2011-07-02 10:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(13)
私もプレヴィン&コステラネッツ盤が好きですが、最近聴いたロジェ&ド・ビリー/ウィーン放送SOの演奏はフレンチテイスト溢れるクラシック寄りのもので、ラヴェルの曲のように聴こえるものでした。
「ラプソディー」は「熱狂的な詩歌」という意味があるようです。狂詩曲と訳したのは、これに因んでのことではないかと思いますが、狂詩曲は幻想曲などとともに、自由な発想で作られた作品一般にもよく使われています。
「ブルース」は「ブルーズ」と発音するのが正しいらしく、淡谷のり子の「別れのブルース」のSP盤では、「ブルーズ」と歌われています。また、blueの音楽用法には「ブルース風の」と辞書にありました。ジャズには不案内な私ですが、しますと「ラプソディ・イン・ブルー」とは、何か憂鬱な気分を自由に表現した曲ということになるのでしょうか。
>ラプソディーの意味は「熱狂的な詩歌」
なるほど、様々な楽曲から、そういう感じはあるような気がしますから、
熱狂的という解釈は当たりかもしれませんね。
ブルーズはブルージイという言葉があるように、歌謡の歌詞の中にも「ブルーズ」と言わせているものもあったので、それとなく知っておりました。日本人がブルースと換えて発音したのは、そのほが曲への乗りが良かったから、あるいは耳障りが良かったから
ではないかと思っています。
ラヴェルはガーシュインからインスパイアされたようですから、逆の意味でのピアノの弾き方はあり得るかも知れません。
黒人のソウル色を廃した(ブルーノートをあまり意識しない)演奏も当然ありで、こういう演奏スタイルは、多分聞き飽きないかと思います。
この曲は、演奏するのは簡単なようですが、実は聴衆の受け取り方も演奏上の解釈も難しい曲ではないかと思います。
ジャズもクラシックモ知り尽くしたプレヴィンなどは、演奏上の迷いが有ったのではないかと邪推してしまいます。
その点コストラネッツ盤はそのような迷いから解放されたような所があったような記憶があります。
紹介いただいた「ロジェ」は他にも録音がある・・・調べてはいませんが確かデュトアとがあったような気がしますが、お得意なのでしょうか。
ラヴェル風ガーシュイン、興味がわきます。
聴いてみたいとは思いませんが、マズア、シャイーとLGOが取り上げたのには正直驚きました。
「ラプソディー・イン・ブルー」の解釈が難しいのは、この曲がアメリカ音楽でありながら、スメタナやドヴォルザーク、あるいはバルトークやコダーイの作品にある民族性がないからだと思います。ジャズは民族音楽ではありませんし、アメリカ人自体が民族を指す概念ではありません。歴史が浅く、最初から近代国民国家として誕生したアメリカにおいて、アメリカ的なるクラシック音楽を打ち立てようとすれば必然的に生じるカオスを、ガーシュインの作品は体現しているように感じます。そして、それが演奏におけるクラシック・テイストとジャズ・テイストの間の迷いの原因ではないでしょうか。
見事なご推察だと思います。
ガーシュインは、ユダヤ系ロシア人の血統だといわれてますが、彼の音楽からは、そのルーツはうかがえません。(一部においてラプゾディにユダヤ音楽が使われているという指摘もある)
多分、ヨーロッパの音楽家ですと、ユダヤの残像は見え隠れすることが多いようです。アメリカという国柄がユダヤ人をあまり差別しなかったことによるのでしょう。
それだけにガーシュインは、黒人差別に目を向けつつ、黒人音楽に、そしてラグタイムとシンコペーションとブルーススケールを使った黒人音楽としてのジャズにも深く傾倒していったのではないでしょうか。(黒人音楽を単に材料として使っているのではないように思うのです)
純粋な白人ではない、ユダヤの血を引くガーシュイン、黒人に対するシンパシーが、彼の根っこにあるように思います。自由と民主主義を獲得し、移民差別を乗り越えつつあったアメリカ近代国家が唯一抱えた矛盾は、黒人差別ではなかったでしょうか。「ポギーとベス」は、きっとガーシュインの反差別意識の体現でしょう。
関西シティーPOのHPから、「ポーギーとべス」に関する興味深い記事を見つけました。
http://kcpo.jp/info/34th/PorgBess.html
この作品を、ガーシュイン自身が「黒人以外で演じてはならない」と言明していたこと。
ガーシュインの死の直後になされた作品の資産価値評価で、「ラプソディー・イン・ブルー」が2万125ドル、「パリのアメリカ人」が5千ドルだったのに対して、「ポーギーとべス」はわずか250ドルだったこと。
ナチス政権下のドイツおよび占領地域では、ガーシュインがユダヤ系だったにもかかわらず、「ボーギーとべス」が黒人差別を告発した反アメリカ的作品として、オペラ劇場での上演を許可されていたこと。
私には初耳のものばかりで、いい勉強になりました。
ご紹介いただいたHP拝見しました。
ガーシュインのオペラが、ナチス政権化で上演が認められたとは意外なことでした。
面白かったのは、裏話の、デンマークのレジスタンスが、ドイツ軍大勝利を告げるプロパガンダ放送の周波数に割り込んで、"It ain't necessarily so"を流したという、話の信憑性はともかく、ガーシュインのオペラが、ヨーロッパでかなり浸透したことを表すものとして、またナチス反ナチス両方から利用されたということも興味深いことでした。
黒人差別の国アメリカに対する敵対心高揚のプロパガンダおよび、自らのユダヤ差別を覆い隠す狙いもあって、オペラ上演を許可したのではないかと思います。例えばRシュトラウスの息子の嫁がユダヤ人であるだけで、迫害するぐらいでしたから、本来ならば、ユダヤ人の血統のガーシュインの音楽が、許可されることはないでしょう。
ナチスは音楽を政治利用することに、非常に長けていたのですが、その諜報本人は、宣伝・啓蒙大臣のヨゼフ・ゲッベルスでしたね。
ゲッベルスはソ連映画「戦艦ポチョムキン」が大好きだったといいます。監督のエイゼンシュテインはユダヤ人ですね。また、彼の提案で「夢の女」というドイツ、スペイン合作のミュージカルが作られたといいます。その一方で、彼は表現主義芸術を頽廃芸術として、これに属する作品を集めた見せしめの展覧会をやったりもしました。何か、ゲッベルスは矛盾に充ちた人物という感じがします。
日本では、戦局が不利へと転じた1943年に、ジャズ等の米英音楽が政府によって敵性音楽と断じられ、放送やレコードの発売が禁止されましたね。ピアノが洋琴、ベースが妖怪的四弦という造語に言い換えられたのもこの時だそうです。さすがに現代では楽器はカナ表記ですが、交響曲(森鴎外の造語ですね)や協奏曲等の分野名称はすっかり定着し、一方で奏鳴曲とか遁走曲等は死語になりました。
ゲッペルスが「表現主義音楽」を頽廃音楽としたのは、裏を返せば、スターリンがロシアンアヴァンギャルドを排斥し、「社会主義リアリズム」を奨励したことと、目指すものは違え、思想的によく似たものがあります。どちらも芸術(音楽)は、国家の目指すものに沿ったものでなくてはならないという考え方は、ナチスの国家社会主義もスターリンの共産主義も同じような気がします。
またドイツロマン主義から脱却できてない彼等の耳と、芸術家(音楽家)に、ユダヤ人が多かったこと、新芸術運動が体制批判を内在していたこと、それらが表現主義を表現主義音楽:無調や12音の音楽を排斥することにつながったと思われます。「ヴォツェック」は内容も登場人物も、ゲッペルスから「頽廃」の汚名を記されるのに格好の獲物であったと思います。
興味深いことは、反共のナチスも、汎共のソ連も、いずれもがユダヤ弾圧をしたことです。「バビヤールには墓碑銘がない」と歌われる、ショスタコーヴィッチの13番の交響曲babi yarhaは、実はこのあたりの歴史的事実を含んだもので、「カチンの森事件」を告発するものであるという説もあります。
イギリスやフランスのような近代市民主義の段階を経ずして国民国家を形成したドイツにあっては、ドイツロマン主義の芸術思潮に胚胎していたナショナリズムが帝政という国家統治の形態として現出するのが必然的であったと思います。バッハもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンも、ドイツロマン主義の音楽家によって「解釈」されたものであり、これが「ドイツ的」なる作品、演奏形態を作り上げたのだと、私は常々考えております。ドイツ的な演奏=重厚さ、渋さという愛好家が持つ画一的観念もこれによって形成されているのではないでしょうか。
ユダヤ教徒を意味したユダヤ人という概念が、ユダヤ民族→ユダヤ人種という観念化の過程の申し子にして、その破滅的帰結を成したのがナチスドイツであると思うのです。同様のことは、日本でも起こりました。例えば、「大和魂」という言葉が初めて登場するのは『源氏物語』ですが、その意味は「政治的才覚」というもので、現代でも使われている大和民族としての心という意味は、日本ロマン主義ともいえる本居宣長の和歌である「敷島の大和心と人問わば朝日に匂ふ山桜花」にその淵源があるといえます。
「ドイツ的なるもの」の源を「ドイツロマン主義」におくという考え方には小生も賛成です。
『領邦国家に分裂した社会及び近代世界の克服がドイツにおけるロマン主義の主要な主題で、民族共同体の意識が強かったオリエントへの憧憬や教会と神聖ローマ帝国のもとにあった中世への懐古と結びついた』とウイキにある通り、ドイツロマン主義思想には、民族意識が内包されていたという指摘は的を得ていると思います。
ヒトラーの間違った選民思想は、人種としてのユダヤ人そして、キリストを売ったユダがユダヤ人であったという宗教的な意味の両方、さらには、ユダヤ人は生産をしないで金儲けをする、つまりキリスト教の教からは考えられない人種であるという理由で、ホロコーストに行きつくことになったわけですが、誤った選民思想は日本にもかつて存在しました。神国日本、大和魂、単一民族国家などがその象徴でしょう。保田與重郎の日本浪漫派という文学運動が存在しました、代表作「日本の橋」は、日本的なるものの美的な観点の著述ですが、結果として民族意識高揚の役目を果たすことになり、ロマン主義が民族主義を内包している事の例でもあります。